第36話 決戦
畑地・休耕地の広がる平原に、陣を整えた両軍が対峙し、弩弓の有効射程距離となる四百ホーフ弱(四百メートル)まで、間合いを狭める。西から寄せてくるヨナーク大公国軍に対し、ニグヴィ都城を背にしたヴァナン大公国が迎え撃つ形だ。
通常、人数が多いほうが攻勢にでる。
「戦象隊、突撃――」
定石に従い、ヴァナン王国の執政シグルズ元帥がまず、最前列にいた戦象四十頭による突撃を命じた。
土埃が上がる。
「散開して戦象をかわせ――」
――想定内だ――とばかりに、ヨナークのブラジ・スキルド元帥が麾下の〈黒装兵団〉を柵列状に散会し、戦象突撃をやり過ごす。
灰色猫の俺・ヨルムンガンドは、同じ駒に乗っていたシグルズが、舌打ちするのを聞いた。
そこからは、
「弩弓、続いて投石――」両軍が応酬する。
矢が尽きると、ヨナーク勢のバルドル王子手勢が、最後尾に戻って行く。
直後、味方騎士隊が、隻眼大公率いるヨナーク大公国後衛方陣の両側面を衝いた。――騎士隊は、初期配備でヴァナン王国軍両翼の端に千五百ずついた、ドルズとレリル麾下のものだ。――これを見たシグルズは、横列陣形をとる王国全軍に、
「敵の前衛軍団を半包囲せよ――」
結果、ヨナーク勢の前衛軍団と後衛軍団は、三方向からヴァナン勢に攻められる形となった。――普通ならば、三方向から攻撃されたところで、全軍が瓦解するはずだ。ところがそうはならない。
「《針鼠の陣》だ――」
老軍師ホーコンが助言したのだろう、同じ鹵獲戦象の輿に座乗していたブラジ・スキルド元帥が剣を振るって合図した。
鳴り物が鳴る。
号令一下、ヨナーク〈黒装兵団〉方陣最前列の兵士が中腰で槍斧を構え、次の列が直立してやや斜めに槍斧を構え、さらに次の列からは槍を上に構える。――横から見るとまさに針鼠だ。
「まったく、食えない爺さんだよ!」
敵陣には魔法使いがいる。相手は俺の動きを予想して、攻撃魔法アストラル・レイで撃墜しまくっている。こういう芸当ができる奴はそうはそういない。――白狼の仕業に決まっている。白狼を従える魔法使いは〈黒衣の貴紳〉ロキだ。
俺の魔道具トンボに続いて、ホビット斥候が偽歯鳥も、白狼に撃墜された。俺は近くを飛んでいた鳥に次々と魂魄を移し、上空からの観測を続けるのだが、どうにも視覚画像が途絶えてしまう。
「ヨナーク勢の最後尾にいたエイリミ将軍麾下レオノイズ公国軍四千の現在地が判らんのが気になるが――」馬上の執政・シグルズ元帥が叫んだ。
「抜剣!」
シグルズは腹をくくった。――前衛三個軍団九千の兵で、〈針鼠の陣〉をやっている爺さんの兵・五千にぶつける。……ああいう重厚な槍衾をぶっ潰す方法は一つ、――長剣によるガチンコ勝負だ! ポシェットのウオトカを口に含み、血祭の儀式、酒飛沫をする。
「抜剣隊、前へ」兵士達の気勢が上がる。
シグルズの横では――
魔道人形は、ブリュンヒルドが小妖精化する前の容姿を模して造られている。
「夫を守るのが、わっちの役目でありんす――」シグルズが斬り込むとき、小妖精操る、ミスリルの盾と槍を装備した魔道人形が、巧みに、褐色の偉丈夫と連携して敵を倒して行く。褐色の偉丈夫からその魔道人形に、俺は飛び移った。
トンボを失った俺だが、俺自身も、攻撃魔法アストラル・レイを繰り出すことは出来る。無詠唱による術式発動で、敵陣の最前列を斬撃した。
下馬したシグルズと麾下の精兵達が、敵陣に切り口をつくった。
バラバラと音を立て、敵の槍斧の柄が斬り落とされて行く。
長剣を振り回すシグルズは規格外で、この男が前に出ると、後に道が出来、たちまちブラジ・スキルド元帥とホーコン軍師の二人が乗った戦象に迫った。
元帥と軍師は戦象に合掌してから、抜剣する。
初老の軍師が、
「戦象は臆病な生き物で、敵兵に囲まれて小突かれパニックを起こすと、味方を踏み潰しかねない」
ゆえに元帥は、象の襟首にまたがっている象使いに殺処分を命じた。――象使いが、急所の耳をハンマーで打つ。戦象はうずくまった格好で死んだ。
ブラジ元帥は、
「すまぬ、人の生命には代えられぬのだ」
同じころ姿を消していた、ヨナーク勢の別動隊である、エイリミ将軍麾下のレオノイズ公国軍四千が、ヴァナン王国勢の背後に廻り込んで姿を現し、後衛三軍のうちの中軍三千を叩いた。
*
「人は正面の敵については対峙できるが、背後と側面を衝かれると、メンタルが壊れる」
パニックになったヴァナン王国勢の後衛中軍が浮足立った。同軍三千を率いるのはユンリイ王である。中軍の左右にいた属国ニグヴィ公国やイエータ公国の兵三千は、もともと戦意に乏しい数合わせだ。ユンリイ王が奇襲されるのを目の当たりにすると、パニックを起こし、戦線を離脱する者が続出する。
白い戦象に座上する貴婦人が言ったそうだ。
「合戦の勝敗は、案外と戦死者数ではなく、士気が低下して兵士達が戦場から逃げ出し、隊列を維持できなくなり、崩壊することが原因です」
潰走したニグヴィ公国やイエータ公国の兵士達が離散して向かった先には、ニグヴィ都城がある。
だが連中が都城に逃げ込もうとしたとき、市門の前面に、五百ばかりの女達が立ち塞がって、鳴り物を鳴らしていた。
ヴァナン王国の王姉グルベーグと王妃ノルンが乗った白い戦象グルトブがおり、輿には、若い貴婦人二人が肘かけにもたれて座っている。さらに白い戦象の周囲には、若い女官や将兵の妻や娘がいたのだが、美女ぞろいだった。黄色い声を上げながら盛んに手を振り、
「頑張って――」
逃げて来た徒士達も男だ。正気に返って反転する。
――女達にいいところをみせねば!
王姉グルベーグは不思議な魅力をもった貴婦人だった。前宰相一門の謀反〈ミミルの乱〉のときもそうであったように、優雅に風をまとわせて駆けるだけで、兵が集まり、奇跡を起こしてしまう。ここ、ニグヴィの決戦場においてもそうだった。
白い戦象が、落伍兵を再集結させた。数四千。それがレオノイズ軍四千の背後を衝く。……ゆえに、ユンリイ王の中軍と、王姉グルベーグの再編軍が、レオノイズ軍を挟撃する形となった。
「転進――」
ヨナーク勢に与するエイリミ将軍は判断が早い。麾下のレオノイズ軍が不利と見るや、すぐさま転進させた。――隊伍を崩壊させることなく、本隊〈黒装兵団〉方面に撤収させる。
*
――両軍主力が火花を散らす最前列――
ブラジ・スキルド元帥の帯剣は、人の丈ほどもある両手剣で、剣身には肉厚もあった。それが敵兵に当たると、長剣はもちろん兜もまっぷたつにしてしまう。
元帥は背後にいる軍師に、
「ホーコン小卿よ、別動隊のエイリミ将軍は、ユンリイ王の首を取ったかのお?」
「まったく判らん。ただ言えることは、目の前の敵をなんとかすることだ」
「しゃーない」
元帥麾下にいた五千からなる〈黒装兵団〉前衛の方陣は半壊していたが、シグルズ同様にやはり規格外である元帥の武勇に引っ張られる形で、隊伍の崩壊は免れている。
そこに――
ミスリルの盾で総大将のシグルズを守りながら、切り口をつくってきた、魔道人形の背後に隠れていた、褐色の偉丈夫が現れた。手にはミスリルの長剣〈グラム〉を携えている。
「ヨナークのブラジ・スキルド元帥とお見受けした。我が名はシグルズ、ヴァナンの元帥だ―― 一騎打ちを所望する」
「了解いたした」
大将戦である。両軍兵士達が横にそれて、スペースをつくった。
二人の元帥が間合いを詰めだす。
一方、シグルズは、切先を地面に向けた下段〈愚者の構え〉をとっている。相手の懐に入ったら突きを入れる気だ。
対する白髭の元帥は、両手剣をぶん回しながら、蛇行するような足取りでシグルズに迫っていく。――いわゆる〈蛇行斬り〉ってやつだ。
「老いて益々盛んっていうか、あの爺さん、いったいいくつなんだ?」
俺は魔道人形の肩に乗っていた。同じ魔道人形頭部の王冠形コクピットに収まった小妖精が、激しく同意した。




