第35話 布陣
ヴァナン王国ユンリイ王の三年(ヴァナン大公即位から十一年)冬に行なわれた、第三次中津洲戦争のユグドラ大陸参加国は次のものとなる。
ヴァナン王国勢は、エルヘイム大公国、中津洲ニグヴィ公国、同イエータ公国で、対するヨナーク大公国勢は、アスガルド王国亡命政府、中津洲レオノイズ公国だった。
なお、戦争当事国二国の周辺国家である北西のベルヘイム大公国と、南東のニーザ大公国は、ヨナーク戦役に敗退して参戦する余力がなかった。また、ニーザの南隣にあるドヴェルグ大公国と、ヴァナン本貫地の南方海上にあるムスペル大公国は遠隔地であり、参戦を見送っている。
ヨナーク公国の陣営――
戦後になってからだが俺は、当時のヨナーク側の内部情勢を知ることが出来た。こんな事があったのだそうだ。
ニグヴィからケルムト河を挟んだ対岸の渡し場に陣取っているのは、ヨナーク大公国軍勢だ。鹵獲戦象に載った白髭のブラジ・スキルド元帥と軍師ホーコンが率いる〈黒装兵団〉、そして、アスガルド王国亡命政府のバルドル王子の手勢一千が布陣し、隻眼大公ヴァーリ・ヴォルスングが後方で督戦していた。
今回の出兵について、老練な元帥と軍師は批判的だった。
「主公、斥候が戻って参りました。――ヴァナンの兵数はおよそ二万。我らの二倍です。レオノイズ公国には気の毒ですが、敵味方の差は二倍。ここで斬りこんでも犬死ゆえ、引き上げるべきです」
対して隻眼大公は、
「中津洲に孤立したレオノイズ公国を見捨ててはならぬ。レオノイズはヨナークを裏切らなかった。そういう国を見捨ててヨナークは覇者と胸を張り答えられるのか?」
主君の言葉を聞いた諸将、特に若い士官達がいきり立ち、続々と渡し船に乗り込み、ニグヴィ領であるケルムトの右岸に上陸を開始した。
客分である若い亡命王族バルドルは、同王家秘蔵の魔法陣を素早く描き、その短い儀式を終えると陣を引き払い、アスガルド勢一千とともに、渡し船に乗り込んだ。
ブラジ・スキルド元帥は、「若いな!」と盟友ホーコン軍師に胸の内を吐露したが、「だが、そういう大公の愚かさは、嫌いではない」と言って、戻って来た渡し船に自らも乗り込んだ。
元帥が座乗する鹵獲戦象は筏で対岸に運ぶことになっている。
対岸に全軍が渡り終えると元帥は、軍師の言を採って、渡し場に近い小高い山に伏兵一千を置き、残る軍勢で、攻略対象であるニグヴィ都城を目指した。
*
中津洲三公国のうち東方に位置するレオノイズ公国が最も大きく、兵員六千を誇っていた。将領はエイリミといい、ヨナーク大公国軍に呼応した今回の作戦では、総兵力の三分の二にあたる兵員四千を率いて参戦して来た。
「御子息からです」
レオノイズ公国から革車に物資を満載した輜重部隊が、野営地に着くと、隊長が手紙をエイミリに渡した。
「父様へ/前にも述べましたように市場には異国人も多く訪れます。異邦人達が言うには、『中津洲諸国でヨナーク大公国に味方しているのは、もはやレオノイズ公国一国しかいない。ヴァナン大公国が覇権を握り、やがてヨナークそのものを討って、ユンリイが大陸全土を征服することは、時間の問題だ』と言っていました。けれども僕は、父様のおっしゃる大義が天上におわす大神を動かし、レオノイズに勝利をもたらすと信じています。/アトリ」
エイリミはすぐさま返事を書いた。
「息子へ/敵二万二千に対して味方は一万五千と不利なもので、私も討ち死にするかもしれません。しかし考えてもみてください。ユンリイが剣戟で中津洲諸国の首根っこを押さえつけたとして、そこで正しい志をもっていなければ蛮族と等しく、勝利は一時的なもので、やがては他の諸公国も離反して行くことでしょう。我々は目先の勝敗にとらわれてはなりません。誰もが支持する方法で、ヨナークとヴァナンの長きにわたる抗争に終止符を打つのです。もし私が斃れたときは志を継いでください。/父より」
最後の輜重を受けたレオノイズ公国の兵員四千の軍勢は、〈王者の道〉を西進し、渡河して来たヨナーク大公国軍一万一千に合流すると、ヨナークの隻眼大公ヴァーリ・ヴォルスングの出迎えを受けた。
「エイリミ将軍におかれては、前王朝イースに連なる高貴なお血筋・レオノイズ公爵の弟君だとうかがっている」
「《北の覇者》であらせられる貴男様に敬意のあるお言葉を賜り、恐れ多いことです」
エイリミは隻眼大公に好感を持った。
*
ヴァナン王国の陣営に話しを戻す。
広大な平原・中津洲西側に拠ったニグヴィ公国同名都城である。シグルズが放った〈草〉が、ヨナーク大公国軍の南下を報せに戻って来た。
作戦会議に参加した顔ぶれには、ユンリイ王夫妻、王姉グルベーグ、碧眼の宰相ウル・ヴァン、執政シグルズ、内務卿エギル、騎士団長レリル、侍従長ドルズがおり、さらに、同盟国エルヘイム大公国の大女公ヒョルディス、そのほか中津洲三公国のうち臣従したイエータ公国やニグヴイ公国・両国の将領も参加していた。
褐色の偉丈夫・シグルズが、従者に命じて兵棋を卓地図上に置く。
「諸卿よ、見て欲しい。全軍二万二千は次のように配置する――」
最前列に戦象隊四十、主力の徒士はその後方で、横列陣形を敷く。横列陣形各隊は、前衛と後衛の二列からなっている。主力をなす前衛中軍はシグルズ、前衛左軍はウル・ヴァン、前衛右軍はエギルの各四千。後衛は後詰だ。後衛中軍はユンリイ王、後衛左軍はイエータ公国軍、ニグヴィ公国軍の各三千。この他、左右両翼の端にレリル、ドルズらに騎士団の騎士を千五百ずつ預け、ヒョルディス麾下のエルヘイム大公国軍一千を、奇襲用の別動隊にするという陣立てになった。
なお王姉グルベーグ、王妃ノルンや女官達、将兵の家族女性五百が、後方応援団となり、派手な鳴り物を鳴らして、男達を鼓舞することになっている。
翌日早朝、偽歯鳥に乗ったホビット斥候が、
「敵は渡河を終え、我らのいるニグヴィ都城に向かっています」
ニグヴィ都城に詰めていたヴァナン王国勢は、ユンリイ王による激励の後、執政シグルズ元帥とともに出撃した。その際、褐色の偉丈夫は、全軍を睥睨しやすい前衛中軍で、駒に乗って敵を待ち構える。
偽歯鳥に続き、灰色猫の俺・ヨルムンガンドも、自律型魔道具のトンボを召喚して、敵軍側に飛ばした。
東流するケルムトを渡河して来たヨナーク大公国の軍勢は、上陸地点に近い場所にある小高い丘に移動し、まず陣城を築き、補給拠点とした。
ヨナーク勢力の最前列は、旧アスガルド王国軍バルドル王子が率いる一千の弩弓兵が横並びしている。
次に主力であるヨナーク大公国の〈黒装兵〉徒士五千・二個軍団を方陣にして、縦列隊形をとっている。前衛がブラジ・スキルド元帥、後衛が隻眼大公ヴァーリ・ヴォルスングとなっている。両軍団は縦列とはいっても、前にいる味方部隊で視界が遮られないよう、少しだけ横にずらしてい前進していた。
最後尾にいるのがレイミリ将軍麾下のレオノイズ公国軍四千だ。この部隊が、切り札となる別動隊なのだろう。
地平線の彼方に朝日が昇り、ヨナーク大公国の兵士が携えた斧槍に反射してきらきらと輝いていた。
突如――
「くっそーっ」
「どうしたのでありんす、ヨルムンガンドさん?」魔道人形頭部の王冠形コクピットに乗った小妖精・ブリュンヒルドが聞き返す。
「隻眼大公の食客には神獣の白狼がいる。そいつが攻撃魔法で、俺のトンボを撃墜しやがった」
両軍主力が間合いを詰めて行く――。




