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灰色の魔法猫は英雄譚をうたう  作者: 五色いずみ
五号勅令 執政として全軍を率い、北の覇者ヨナーク大公国勢を殲滅せよ
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第32話 魔性の女

挿絵(By みてみん)

挿図/(C)奄美「湯あみ」

 ヴァナン王国王都・アスガルド宮殿王宮広間だ。〈天使の化石〉の飾り壁を背にした玉座のユンリイ王が、百官を集め合議した。


 ヴァナン王国を担う紅毛碧眼の宰相ウル・ヴァンは、


「廷臣一同よ、知っての通り中津洲三公国はユグドラ大陸随一の穀倉地帯で、三公国の国力合計は、名目上の宗主国であるアガルタ王国の四倍で、北のヨナーク公国や、南のヴァナン公国といった列強の二倍もの生産高を誇っている。中津洲三公国のすべてを服属させた盟主こそ、ユグドラ大陸の覇者である」


 ユンリイ王の父親でヴァナンの先代であるモディ大公が、治世の初めにおいて、中津洲三公国を支配下に置き、覇者となった。たが、三十年にも渡る長い治世の後半で、ヨナーク公国に中津洲を奪われ覇権を失ってしまう。


「――だが、我々は、偉大なるユンリイ王を得て、中津洲を奪還しつつある……」


 モディ治下のヴァナン大公国が、中津洲の覇権を握った戦争を〈第一次中津洲戦争〉と言い、奪われた戦争を〈第二次中津洲戦争〉という。

 〈第一次中津洲戦争〉以前の世代である先代の宰相ミミルは、シグルズによく言っていたものだ。


「中津洲戦争で、人々の規範は一変した」


 〈第二次中津洲戦争〉の前後、中級以上の貴族達は、主家の思惑とは別に、隣国の貴族たちと婚姻関係をもった。他国に蹂躙されることよりも、宮廷闘争による身内の潰し合いで消えてゆく家系が多々あり、予防策として国家をまたいで婚姻家系を持つようになったのだ。貴族間の婚姻関係は敵味方もまたぎ、主家も黙認することで器量というものを示した。


               *


 話は遡る。


 ――この幼さにして放つ色香はなんなのだ。


 イドイン姫の横に、卑猥な笑みを浮かべた男が立った。童女は流すように目線を向けた。


「何かご用、叔父様?」

「姫様は兄君、公世嗣殿下と結婚を望んでおられますね?」

「姫様」と呼ばれたイドインはうつむいて顔を赤くした。

「兄妹は結婚できません」

「どうして?」

「この国、イエータ公国では決まりがあるのです。しかしながら姫様が私の願い事を聞いてくださるのなら、宰相である私が壊して進ぜましょう」

「本当?」イドインは無邪気な声をあげ、「叔父様」と呼んだ宰相が差し伸べた手につかまって立ち上がる。

「ささ、こちらに」宰相は、無垢な姫君の手を引いて、人気のない塔に消えて行った。


 姫君の父親であるニグヴイの公爵は、実態を察したが、実力者の弟である宰相を罰することができなかった。

 本来、公爵の姫君は、大公ないしは公爵、あるいはその令子息に嫁するものだ。傷物であるイドイン姫は、隣国イエータ公ではないところの、その臣下筋である伯爵家へ嫁がされたのだった。傍目には追放のようにも思えるのだが、娘が権臣の慰み者になることを防ぐためにした親心だったのかもしれない。


               *


 ――伯爵夫人は淫乱だというよりも、むしろ〈家〉を守るために、主君を受け入れたのではなかろうか? なんと悲しい運命なのだ。


 王国宰相ウル・ヴァンはかつてイエータ公国を取り込むため、そこを訪れたことがある。

 前宰相ミミルの謀反以来、ヴァナン大公国は慢性的な人材不足に陥っていた。本来、外交は内務卿を兼任しているシグルズの職責なのだが、大規模な北伐の露払いとして、宰相ウル・ヴァンも駆り出され、全権大使として中津洲ミッツガル三公国との秘密交渉に当たっていた。

 イエータ公国側は、紅毛碧玉の宰相が訪れたとき、宿舎をエアルド伯爵邸に宛がった。ウル・ヴァンは大国ヴァナンの侯爵だったので、饗応役の伯爵よりも上位である。慣例に従い、エアルド伯爵は夫人のイドインを伽に供した。


「ニグヴイ公国は美女を多く産するというが、この人は――」


 媚香〈龍涎りゅうせん〉が部屋に漂っていた。

 寝室へ訪れたその人は、黒髪を下ろし、寝台の横に座った。

 ウル・ヴァンは立ち上がって逃げ出そうとしたのだが、夫人が寝間着の袖をつかんで引き留める。彼は振り向いて、灯明に映し出された夫人を見た。――しなやかに伸びた四肢、リュートのように滑らかな曲線を描いた腰、椀形の乳房が、薄絹の寝巻から透けて見える。細面でまつげは長く、唇がめくれあがっている。


「貴女は、アガルタ王室の支流・ニグヴイ公の姫君で、イエータ公爵一門の伯爵夫人ではないですか、一夜の客に伽の相手などする方ではない」

「大国ヴァナンの全権大使であらせられる貴男様を饗応するには、『愛妾では誠意が伝わらぬ』と主人が申し付けたのです」

「全権大使とは言っても、中津洲三公国にご挨拶しているだけで、不要なもてなしだ。――今宵は椅子に座り、薬湯でも頂きながら朝を待つとしましょう。貴女は私に、『抱かれた』と伯爵に報告なさればよい」


 寝台に腰掛けたイドインは、小刻みに震え、泣いているようにも見えた。碧眼の大常卿ウル・ヴァンは慈しむように、しなやかな指を前後に動かし、心を鎮める〈奇跡〉の術式を詠唱しだした。

 ヴァナンの大常卿ウル・ヴァンは、美貌ゆえに深い業を背負ったイドイン伯爵夫人を哀れに思った。

 大常卿が寝台に座る夫人の横に腰を降ろすと、長い髪をした夫人は頭を彼の肩に乗せた。女を抱擁せずにはいられなくなった男の胸板に女は、頬を寄せ、満たされぬ思いを吸い取るかのように唇を重ね合わせる。男は拒むことができない。下着を脱がし合い、寝台に枕を並べ、乱れる。

 昼近くになれば再び、馬車に乗って隣国を目指すであろう。女は名残惜しげに、男の背にすがりついたのだった。


 宰相と伯爵夫人との逢瀬については、後日、褐色の偉丈夫シグルズが広く放っていた〈草〉によって、知らされた。だが本件に関し執政であるその人は、ただでさえ人材難の王国が、細事で人材を損失してしまうことを恐れたため、秘密を胸に収めるにとどめた。


               *


 エギル内務卿は、


「亡命して来たグンナル公の息子達について、個人的には唾棄することであり、イエータに送り返すべきだ。属国国内のことは属国内部で裁かせればよいのだ」


 対して、近衛騎士団長レリルは、


「確かに彼らは愚行で自国を混乱させた。エアルドに同情するところもある。されども、ヴァナン大公国は宗主国であり、属国の過ちを看過するわけにはいけません。グンナル公の息子達を道案内として、ただちに兵をさしむけ、不始末をしたイエータを取り潰すべきです」


 廷臣達の意見を傾聴していたユンリイ王は、


「レリルの意見を採用し、イエータを討伐する。――遠征軍兵員は一万、総指揮は、執政・ノアトゥン辺境伯シグルズに任せることとする」


 廷臣一同は即座に戦いの準備を始めた。

挿絵(By みてみん)

挿図/(C)奄美「会議」


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