第30話 城邑ウトガルダ
北の空に黒雲が立ち込め風向きが変わった。城邑ウトガルダの南門に陣取ったユンリイ王の軍勢が風下になる。四百ホーフ弱(四百メートル)離れた南門から、たて続けに二本の矢が飛んで来て、軍旗と陣太鼓に突き刺さった。
――敵の弓矢は、こんなにも強力なのか!
戦の経験が少ない兵士達は迷信深い。当然のごとく浮足立った。三の矢がきたら脱走兵も出かねない。だがここで、美麗な王が機転を効かせる。
「今飛んできた弩弓の矢は、我が家に代々伝わる魔道具である。――執政職にあったホグニが、宝物庫から盗んだものだ。既に二本を放ったから三本目はない」
面頬の王は、そう叫んで、矢の一つを引き抜き、戦象に座上して麾下の将兵達に掲げて見せた。――おおっ!――歓声があがり、勇気をだした将兵達は、さらに間合いを詰めて、弩弓の矢の射程距離である百ホーフ〈百メートル〉、さらに詰めて有効射程距離である五十ホーフ〈五十メートル〉まで陣を進める。
そこで――
「風向きがまた変わったぞ!」
すかさずユンリイ王が伝令を送り、百騎隊長レリルに、矢を射かけるよう指示した。ほどなく、空が黒くなるほど、敵味方の矢が飛び交いだす。
次に、
「衝車を出せ――」
衝車は破城槌が付いた装甲車だ。これを出して、南門の扉をぶち破り、そこから国王軍が突入する。――南門の内側にも柵を巡らしていた籠城側の激しい抵抗を受ける。――最初の突撃で兵員一千が死傷した。攻城戦には四倍の兵員が必要になるというが、それにしても城邑に突入した国王軍は、人数のわりに、攻城側の損害が甚大だった。
だが美麗な王は深く迷っている様子で、横にいた腹母兄の大常卿に胸の内を明かした。
「宰相や執政を相手に勝利は確信できる。だがその後はどうか? 将校や職業軍事の大半を失ってしまう。これではヨナーク大公国に、あの隻眼大公ヴァーリ・ヴォルスングや、ブラジ・スキルド元帥に勝てるわけがない」
このときノアトゥン辺境伯領の騎兵二千が、ユンリイ王の軍陣に合流し、王が座乗する戦象の横にやって来た。シグルズだ。
「王よ、自分を軍使として敵の降伏勧告に赴かせて戴きたい」
「ならば宰相一門が治める五つの城邑のうち、四つを没収。宰相ミミルと執政ホグニは隠居とすることをもって和睦条件とする」
早速、褐色の偉丈夫は丸腰で、ウトガルダ城邑の奥にある居館に向かった。
*
王党派軍は自軍が取り囲んでいる市壁の上に、磔柱が立ったのを見て、固唾を飲む。磔柱に縛り付けられているのは、降伏勧告に行ったシグルズだった。
オッドアイのユンリイ王はノルン王妃の肩を抱いて、黙っていた。
紅毛碧眼の大常卿ウル・ヴァンが、
「シグルズ卿が磔に。――しくじったのか!」
小妖精のブリュンヒルドが、「うぐぐぐぐ……、あのお馬鹿さん、――亭主を取り返すのは、才色兼備な、わっちの役目でありんす!」と息巻いて、魔道人形の肩に乗り、市門の扉をぶち破ろうとするのを、俺は止めた。――ところで、なんでそこに、「才色兼備」という言葉が入るのだ?
魔道人形は遠目に見ると本物の大人女子に見える。
そんな魔道人形の頭に跳び乗った灰色猫の俺・ヨルムンガンドが、
「ブリュンヒルドよ、シグルズのことだ、磔柱の縄など、その気になれば引きちぎれるはず。何か魂胆があるのだろう」
頭に血の昇った押しかけ女房が、正気を取り戻した。
磔台の前に立っていたのは偉丈夫の執政ホグニである。ホグニは城壁の下に群れる国王の軍勢を前にして、
「今まであった大戦の全てに我ら一門がいた。ヴァナンを守ってきたのは、ユンリイなどではなく、我らだ。今頃になって名君を気取り、我らが営々と築いてきた所領を横から掠め取ろうという。――我らに降伏しろだと? 馬鹿め、素人の寄せ集めにウトガルダの城は落とせるものか。見ていよ、今に兵糧切れとなって、撤収することになる」
ホグニは鼻で笑い、城に籠る麾下の将兵達も追従する。眼下の国王軍は押し黙った。ホグニは続ける。
「英雄シグルズともあろうものが無様なものだな。言い残すことはあるか?」
胴斬り斧を手にした刑吏が、白い歯を覗かせて、シグルズの前にゆっくりと歩みだす。
シグルズは城の隅々に訊こえるような声で、ウトガルダの将兵達に訴えた。
「主公ユンリイは、卿達を必要としている。卿らが歴戦の勇士であることは事実だ。ブラジ・スキルド元帥は、来たるべきヨナーク大公国との決戦において、素人の寄せ集め軍団で勝利することは不可能。ゆえに主公は、落としどころとして、我らが所領・五つの城邑のうち、一つを残して召し上げ、こたびの謀反首謀者である宰相殿と、執政殿の勇退をもって講和条件とするとおっしゃった。――考えてもみよ。過去の経緯はともあれ、挙兵したうえ、主公を拉致・監禁したのだ。大逆罪で処刑され、全領を召し上げられても文句が言えない立場だ。それを破格の条件でお許しになると仰せなのだ」
「黙れ、黙れ、黙れ」執政ホグニは喚き散らし、「シグルズを斬れ」
刑吏が大斧を構えて勢い駆けだす。
シグルズは続けた。
「歴戦の勇士達よ、主公を相手に勝てるのか。敗れるのが必定であるのは承知であろう。男子は皆殺し、婦女子は奴隷となり慰み者、生まれた子は人の姿をした家畜となる。それが乱世の習いだ。――卿らのような人材が、こんな片田舎・ウトガルダの小城で果てて良いものか? どうせ死ぬのなら、ヨナークの名将ブラジ・スキルドの軍団と戦って、百代の語り草にしたくはないか?」
偉丈夫の執政が、ふん、と笑う。大斧がシグルズに振りかざされる。だがシグルズは自らの最後を見届けるべく、瞬きもしない。
駆け寄った刑吏が磔柱に脚をかける。
そこで奇跡が起こった。
胴斬り斧を手にした刑吏が、磔柱を蹴って反転。そのまま、執政めがけて走り出す。
「おっ、おまえ、何をする。わっ、わっ、やめろおおおっ」
胴を斬る鈍い音がした。
籠城兵は降伏し、美麗な顔を面頬で隠した王を迎え入れた。
――ユンリイ大王万歳!――
叫んだのは執政ホグニの麾下であったウトガルダ城の将兵達である。
降伏した籠城側の将兵は千五百ほどになったが、その中に宰相ミミルの姿はなかった。
*
「おまえを洗ってやるのは久しぶりだ――」
褐色の偉丈夫・シグルズは、ムスペル以来の〈友〉である白き戦象グルトブを、手ずから河で洗ってやった。この戦象は現在、今回の反乱平定の旗頭になった、グルベーグ王姉に貨与しているものだ。
戦象をブラッシングしていると、声がした。
「楽しんでいるところをすまないな、シグルズ」
声の主は、近づいて来た別の戦象に乗っていた。座上しているのはユンリイ王だ。
美麗な王はシグルズに、
「籠城している兵はなるべく傷つけず、謀反の主犯・ミミル宰相の捕縛をして欲しい」
いつもの無茶ぶりだ。
*
城邑ウトガルダの東にある城邑スズリには、無傷の守備兵二千が詰めている。ウトガルダを脱出した宰相ミミルはスズリへ逃げ込んだ。
日を置かずしてスズリの城館執務室に、宰相のよく見知った男がやって来た。
「シグルズか、城邑の守備兵がおまえをここに通したということは、すでに部下達はユンリイ王に降っているのだな――」
褐色の偉丈夫がうなずくと、宰相ミミルは佩剣を首に当てた。
シグルズの脇にいた小妖精ブリュンヒルドが、魔道人形で止めようとした。その小妖精をさらに、「逝かせてやれ」と俺が止めた。
眼を閉じると昔の風景が目に浮かぶ。褐色の偉丈夫は一回り年の離れた許嫁によく会っていた。
大陸諸国の多くが、兵士の基礎体力訓練としてフットボールを採用していた。大公国時代のヴァナンもそうだ。桟敷で囲まれた競技場で優勝決定戦が行われ、シグルズが率いていたチームが勝利を収めると観客の大歓声が起こり、誇らしそうに大臣のミミルが孫娘を肩に乗せ、マウンドまでやって来て、称賛したこともある。
宰相は自らの首を跳ねようとしたが、跳ね切れず、床を掻いていた。
「失礼つかまつる」シグルズは佩剣を抜き放ち、とどめをさしてやる。
ややして小妖精が、俺のところに飛んで来た。
「ヨルムンガンド、ユンリイ王はミミル一門の処遇をどうするんだろうね」
「王のことだ。悪いようにはしないだろうさ」
許嫁のシグニが生きていれば、義理の祖父になっていたであろう宰相ミミルである。シグルズの双眸からは、苦い涙がこぼれ落ちていた。




