第27話 謀反
シグルズは後年、何度も、未知の大海に探検艦隊を派遣している。その最後の冒険となる航海のときのことだ。褐色の英雄シグルズと押しかけ女房・小妖精ブリュンヒルドと、灰色猫の俺・ヨルムンガンドは、ロングシップで昔語りをして暇を潰したものだった。――あのとき判らなかったことも、時間が経つと真相が明らかになってくる。
後日、シグルズがユンリイ王から聞いた話だ――。
*
ヴァナン王国ユンリイ王の二年(ヴァナン大公即位から十年)。
〈森の道〉は、新王都アスガルドから同盟国・エルヘイム大公国を経て副都ヴァナンに至っている。ユンリイ王夫妻は、副都ヴァナン一つ手前の宿場町・シェランの行宮に立ち寄り、身なりを整え、翌日、副都に入城する予定だった。
報告書に目を通し決済を行い、若い青年君主が床に就こうとすると、扉の向こうから王妃の声がしたので中に入れる。
寝台に入った王妃ノルンは異国に嫁いだばかりで心細く、彼女にとっての夫は最大の庇護者だった。ノルンが寝台に潜り込むと王にしがみついて震えだす。
「夢でも見たのか?」
「はい、とても恐ろしい夢でした」
「そうか、ここは安全だ。よく眠るといい」
王妃が寝息を立てるまでユンリイは、左二の腕を枕に貸してやり、自らも瞳を閉じようとした。――刹那、警鐘が鳴り、大勢の足音がして、半身を起す。
扉の向こうで侍従長エギルの声がする。
「主公、敵襲です! 宰相ミミル様、執政ホグニ様の手勢一千が、我らが行宮を包囲なされています」
「行宮に詰めている兵士は二百ばかり、副都の姉上には知らせたか?」
「はっ、既に――。しかし無事に着くかどうかは――」
ユンリイは侍従長に、自分には甲冑ではなく盛装の準備をさせるとともに、女官も呼んで、王妃にも盛装をさせた。
行宮としている防御が弱い居館寝室から窓を開けると門が破られ、そこから敵兵が突入してきた。ほどなく執政ホグニが、続いてその兄である宰相ミミルが現れるや、仰々しくひざまずき、
「大王におかれましてはご機嫌麗しゅう存じます。我らが領内に行宮を設けましたゆえ、御行幸願いたく存じます」
翌朝、王姉グルベーグが、副都駐在の近衛兵三千を出して、シェランの行宮に派遣したとき、国王夫妻を人質にした宰相ミミル・執政ホグニ兄弟の手勢は、すでに自領に撤収した後だった。――この謀反は、〈ミミル兄弟の乱〉と名付けられることになる。
*
ややして、ノアトゥン辺境伯領では――
ヴァナン大公国の北東にあるのが、ノアトゥン辺境伯領の同名領都だ。
飾り気のない箱のような要塞を本館に、尖塔や別館が周囲に配され、渡り廊下で連結されている。
蒸した天気だったので、風通しのいい渡り廊下で俺は、涼をとっていた。
このとき――
「宰相ご謀反――」
尖塔の一つが数十羽からなる伝書鳩の鳩舎になっている。伝書鳩が一羽、戻って来た。
ドワーフ族の差配・ドバリンが、尖塔から、俺のいる渡り廊下を通り、本館に駆け込んだ。ただ事ならぬ様子だ。――俺も、差配の後を追って、シグルズのいる本館に向かった。
執務室には小妖精のブリュンヒルドを肩に乗せたシグルズがいて、ドバリンと対面していた。
「ドバリン、詳しく話せ」
「宰相ミミル様、執政ホグニ様が、手勢一千を引き連れ、シェランの行宮を襲撃。滞在していた国王陛下ご夫妻を拉致し、自領に向かわれました! ――現在、王姉グルベーグ様が、指揮を執り、事態の収拾を図っていらっしゃいます」
「それで、王姉殿下は俺に何をしろと?」
「王姉殿下が兵を集め次第、宰相と執政の領邑に向かう。王姉殿下の軍勢は、副都ヴァナンから東に進撃するが、お屋形様はそれに呼応して、ノアトゥン辺境伯領から西に進撃するようにとのことです」
「ヨナーク大公国のブラジ・スキルド元帥が気になる。――出撃している間に、手薄となったノァトゥンを衝かれては面倒だ。なんとしても北で釘付けにせんとな」シグルズは、深呼吸して、北向き窓を眺め、「ヨナークの東西には、二つの大国がある。東はドワーフ族のニーザ大公国、西は騎馬の民・ベルヘイム大公国だ。黄金を贈って東西で牽制して戴こう」
シグルズは、ニーザやヨナークと誼があり、両国に出先機関を設け、駐在員を置いている。
伝書鳩を飛ばし、両国の大公に黄金を贈り、ヨナークを牽制してもらえるように手配した。
さらに駄目押しで、ノルン王妃の実家・エルヘイム大公国に、使いのホビットを乗せた偽歯鳥を飛ばす。
ヒョルディス女大公は、嫁がせた愛娘のために、派兵して来ることだろう。
後顧の憂いをなくしたシグルズは、ドワーフの差配ドバリンに城を預けると、灰色猫の俺と小妖精ブリュンヒルド、それに一千からなる私兵騎士を率いて、宰相と執政の一門が立て籠る領邑に出撃した。
シグルズと執政ホグニ卿とは折り合いが悪かったが、宰相ミミルは父親の代から世話になっている。進軍中シグルズは終始浮かない顔だ。
それにしても、今回の謀反の件で宰相が、縁者であるシグルズに誘いをかけなかったのは、いささか奇妙に感じた。
*
宰相ミミル侯爵と一門の城邑は五つあり、中規模国家の様相をなしていた。通常兵力千五百程度だが、動員をかけて五千にも膨れ上がっていた。宰相と執政ホグニの兄弟が国王夫妻を囚えていたのは、城邑ヴェストリだ。
当時の状況は次のようなものだったそうだ――。
「主公、こうなったのは貴方様のせいですぞ」執政ホグニは鼻が冷ややかに笑った。「我が一門が家を興して以来百年、こつこつと増やして来た家領を、多すぎるのは王家にとって脅威だからと、削るというではないですか?」
「そのようなことを口にしたことはない」
「とぼけるな!」
殺風景な部屋に、王妃ともども監禁されていたユンリイ王は、縄でこそ縛られていなかったものの丸腰だった。執政は、筋骨の異様発達した巨漢の配下を呼んで、国王夫妻の前に立たせた。
執政ホグニは、
「そいつは素手で敵将をへし折ったことがある。威徳とやらで、ひれ伏せさせて戴けませんかな、主公?」
王妃ノルンがホグニ達に向かって、「無礼者」と叫ぶ。返事をするように、ホグニは鞘に納めた剣で王妃を小突く。
――ホグニは大男を代理人に立て、王と素手での決闘をさせようとしている。
ホグニが指を鳴らす。すると国王と対峙していた大男が間合いを詰めてゆく。拒否できない状況で挑戦をさせられたユンリイ王も、相手の動きに合わせつつ一定の距離をあけていく。大男がつかみかかろうとするとユンリイは退き、大男が退けばユンリイは間合いを詰めた。
大男は苛立ちを隠さず、「なにが王だ?」と挑発する。
美麗な王は、ふん、と一瞥する。
大男は、つかみかかろうとするのだが、相手に逃げられ空を抱く格好となる。
すかさず、ユンリイは相手の脛すねを蹴った。「効かんな」大男が言うように、確かに効いている様子はない。
ユンリイが次に仕掛けようとしたとき、王妃ノルンが駆け寄ろうとした。するとホグニが立ちはだかり、若い王妃の頬を平手打ちした。
「ノルン!」王の動きが止まった。
大男が王の腹部に拳を突っ込むと、細身の王は壁際まで弾き飛ばされた。
ホグニの取り巻き達がせせら笑って、倒れかかった王を、屠殺者を気取った大男の方に、突き飛ばした。
前かがみになったユンリイの後頭部に、大男が、組んだ両拳を叩き下ろそうとしたが、王は辛うじて逃れる。その際、またしても大男の脛を蹴った。