第22話 遭遇戦
その大きな生き物が言った。
「比較的知能が低い馬には〈魅了〉が効きやすいが、類人猿級の高い知能がある象には効きにくいな。この術式には改良の余地がある」
大鬼・小鬼といった人型魔獣を率いていたのは、戦象ほどもの丈がある巨大な白狼・フェンリルだ。そのフェンリルの背には、〈黒衣の貴紳〉ロキが乗っていた。白狼がユンリイの軍勢に魔眼を向けると、ヴァナンの騎士達が続々と振り落とされてゆく。
大鬼は大柄・筋肉質で、身長七フーア弱(二メートル)ほどもあり、四肢や胸、腹は発達した筋肉があった。少ない体毛の皮膚は暗灰色で、大きな顎、尖った牙、血走った目をした容貌で、頭角がある。
対して小鬼は、身長三フーア強(一メートル)で、オークを矮小化したような姿をしていた。
戦象の輿に座上していたため、振り落とされなかったユンリイ大公が、
「白狼は神獣だ。シグルズの相棒・ヨルムンガンドと同族らしい」
戦象を操るのは後頚部にまたがった象使いで、長弓や槍を携えた戦象騎士は、背中の輿に控えている。ヴァナン大公ユンリイは、自らが座乗する戦象に、古の英雄の愛馬からブケパロスと名付けていた。ブケパロスが突進すると、背後の十八頭が続いてきた。その衝撃はオークすらも押し倒し、ゴブリンともども踏み潰して行く。
白狼の背に乗った〈黒衣の貴紳〉が、
「ヴァン大公国大公ユンリイ殿下とお見受けした。お手合わせ願いたい」
白狼は、横並びになった戦象十九頭の隙間から、後方に抜けたところで踵を返し、戦象ブケパロスの背を襲う形で駆け寄った。
「承知した」戦象の輿に座した美麗な大公が返事する。
弓矢を射るには近すぎて、剣を交えるには遠すぎる。
白狼にまたがった〈黒衣の貴紳〉が長柄の武器・ハルバートを手にしていたので、戦象の右側を併走していた侍従長エギルが、自分の槍を主君に投げ渡す。
「主公、これを――」
戦象に乗った美麗な大公が、片手で受け取り、口の両端を吊上げた。
双方が手にした得物は、槍穂二十ソル(五十センチ)の槍・ハルバートだ。ハルバートは刺突・斬撃・投擲の三拍子が揃った逸物だった。
敵味方騎乗が白兵戦を行う場合は、速度を落とすか、乗り物を停止させる必要がある。双方はまず槍穂を上に向けた〈門の構え〉をとり、そこから横に構えた〈窓の構え〉をとる。
ユンリイ大公が、
「黒い奴は手練れだな……」
〈黒衣の貴紳〉の槍穂が、大公の乗った輿を貫き、足をかすめた。
美麗な大公は相手の穂先を下にして左へ受け流す。
ユンリイが座上する戦象が前に出てしまうと、白狼上のロキは後ろから鋭い衝きをかます。
大公は、右肩に槍の柄を乗せ、そこから左肩に移しつつ後方に振り向いてかわした。
「これならいかがか?」
槍穂が何度もぶつかって火花を散らした。
〈黒衣の貴紳〉ロキとユンリイ大公が槍を打ち合っている間に、ヴァナンの近衛騎士達が馬のパニックを鎮めて、ロキを包囲しだした。――ここらで潮時だと判断した〈黒衣の貴紳〉は、包囲されていない一角から抜け出し、「楽しませてくれた」とばかりに白い歯を見せ、再び山林の奥へと消えて行った。
「主公――」
入れ替わりで、辺境伯シグルズの伝令が、ユンリイ大公に注進に来た。
*
そのころ――
ノアトゥン辺境伯領都の南門から出撃した、シグルズ率いる、騎兵二千からなる別動隊は、半包囲陣形をとっている、ヨナーク大公国勢・右翼の背後に回り込んでいた。
馬上のシグルズがポシェットからウオトカを取り出し、血祭の儀式、酒飛沫をした。
兵士達の気勢が上がる。
シグルズ隊の中核パーティーは、例のごとく、シグルズ自身と、シグルズの駒に乗った灰色猫の俺・ヨルムンガンと、小妖精のブリュンヒルドだ。
シグルズの「嫁」を自称する小妖精は、魔道人形頭部の王冠に似せたゴンドラに坐し、魔道人形は駒に乗って、「亭主」の駒に併走していた。
「ひゃっはー、ミスリル両手剣は最高でありんす!」
錬金術師小妖精は、雷を模した爆音を交えつつ大鬼〈オーク〉の大群が襲い掛かる幻術で敵を惑わしつつ、魔道人形が携えたミスリル槍で応戦した。
「されば俺は――」
魔道具トンボを召喚連携して、アストラル・レイを中空と地上の両方から照射させる。
敵兵が味方と槍を交える前に、突っ伏していった。
ヨナーク大公国は、徒歩五千をもって一個軍団としている。今回の南征軍は総勢五万だ。中央が四個軍団四千、左右両翼がそれぞれ三千で構成されている。このうち右翼の指揮を執っていたのが、ロスクバという若い門閥貴族出自の元帥だった。――ロスクバの隊伍は、背後の山林から突如姿を現したヴァナン大公国の騎兵が出現したことで、パニックになった。それでも噛みつかれた最後尾戦列は戦っていたが、恐怖は伝染する。――安全圏にいた真ん中の戦列から、〈裏崩れ〉という後方からの陣形崩壊現象を起こしてゆく。
「踏みとどまれーっ!」
ヨナークのロスクバ元帥は、七フーア弱(二メートル)の偉丈夫で、大鬼〈オーク〉と比肩されるような体躯をしている。鋭い双眸、口髭を生やした赤ら顔で、黒く輝く鎖帷子を身にまとい、角の飾りがついた兜を頭に被っていた。手にした青銅長剣の刀身が、矢羽根紋様に研がれていた。
他方――
領都の市壁外縁には、土木工事にも精通しているドワーフ族出自のドバリンの監督の下に、空堀が穿たれ、中には逆茂木が等間隔で並べられていた。ハルバート槍で武装したシグルズの騎兵に押される格好で、裏崩れしたヨナーク軍が、逆茂空堀に落とされ、逆茂木で串刺しになっていった。ロスクバ元帥も味方兵に押された格好で、逆茂木の餌食になってしまった。