第19話 定期市
「おお、シグルズよ、ドワーフの名工・鉄腕ソルハルを連れて帰ったか――」
「主公、ここにいる赤髭のドバリン、それからエルフ族のヴェルンドらと図り、鉄の増産をはかりましょう」
シグルズがヴァナン大公国に帰国すると、早速、菩提樹宮に伺い、オッドアイの美男大公と、大公姉グルベーグに謁見し、その足で宰相府に向かって仔細を報告した。
話し代わって――
褐色の偉丈夫シグルズ、錬金術師の小妖精のブリュンヒルド、そして灰色猫の俺・ヨルムンガンドが連れ立って、市門外で露店が軒を連ねる定期市に出かけたときのことだ。
「新しい魔道具に使えそうな鉱物が置いてあるよ」
ブリュンヒルドは認識阻害の術式を使っているので、店主達や往来の衆に見咎められることはない。逆に、小妖精が幻術を施した、フード付きのローブを羽織った魔道人形が、人として目に映るのだ。
店先でホバリングしているブリュンヒルドは大はしゃぎだ。魔道人形が抱えた荷物が崩れ落ちて、横にいた俺が下敷きになりそうだった。
異国の交易商からまとめ買いした小妖精が、他の露店を廻って品定めを続けていると、背後の喧噪がさらに賑やかになった。
定期市に出店する露店はたいてい、大型運搬犬に牽かせる荷車を用いている。いわゆる犬車ってやつだ。営業時間内は運搬犬を荷車の頸木から外して、紐つないで店裏に置いている。馴れたもので客に吠えることはなく、店主の横の地べたで寝ている。
小妖精が、
「ムスペルの戦象、懐かしゅうござりんすね」
振り向くと、衆目を浴びながら十数頭からなる近衛隊戦象隊が、市門に入って行くのが見えた。――以前、シグルズがムスペル島で入手した戦象達だ。
戦象が通り過ぎたころ、けたたましい少年達と、憐れみを求めるかのような老婆の声がした。
「この婆が──」
「お代を……」
人だかりができ、遠巻きにみていたが誰も助けようとはしない。
「宰相様の末の御曹司様と取り巻きの悪童どもだ。関わっちゃならねえ。とばっちりは御免だ」
乱暴な貴族子弟十人からなる一団が、露店の飯屋・長椅子をひっくり返す。その中の一人が老婆の頬を叩くと、老婆は地面に尻もちを着いた。
そこで――
「小僧ども、そこまでだ──」
「下郎が!」
悪童大将である宰相の息子が舌打ちすると、手下の悪童どもが、二人を取り囲み短剣を抜いた。
「俺は平騎士のエギルだ。憶えていてもかまわんぞ」
不敵な笑みを浮かべた平騎士は、剣を抜かず、斬りかかってきた悪童どもを、次々と脚払いするか、短剣を持った一の腕に手刀をいれていく。剣を落とした連中は、胸倉をつかまれて宙づりになり、往復ビンタを食らわせられた。
「わ、我が父を、大公国宰相ミミルの息子ドルズと知っての狼藉か!」
平騎士は標準装備である鎖帷子を装着していた。シグルズの頭一つ小さいが、平均的な男子と比べれば背が高いほうだ。肩幅が広い猪首だ。
エギルがせせら笑う。
「宰相閣下は誰もが認める紳士だ。善良な老婆を蹴るようなドラ息子をもったりするわけがなかろう。閣下のご子息を僭称するとは不敬な。叩き斬ってやりたいところだが、念のため、宰相府まで連れて行ってやる。――閣下に事情を説明してご子息か否かお伺いするとしよう」
「かなわねえ、ずらかるぞ――」
この段階で手下の悪童どもは、悪童大将を見捨てて逃げ帰った。
平騎士は、捕らえた少年の襟首をつかんで宙づりにして、市門をくぐりかける。そのとき少年は、遠巻きに見ている群衆の中に、宰相の縁者である褐色の偉丈夫を見つけて、「シグルズ殿おーっ」と情けない声を上げて助けを求めた。
市井の民達は、
「あの悪童どもには、みんな泣かされていたんだ。騎士様がとっちめてくれて胸がすっとしたよ」だが中には、「小気味のいい騎士様だが、宰相様に仕返しをされたらどうするんだ。心配だ」という声もあった。
他方で、そんなシグルズをブリュンヒルドが見遣って、
「シグルズさん、放っておいていいのでありんすか?」
「自業自得だ。ここは自分の出る幕じゃない。宰相殿も、できの悪い末息子のケツをたまには、ひっぱたきたいだろうよ」
「面白そうだ」シグルズが言うと、魔道人形の肩に乗った小妖精と灰色猫の俺も後を追った。
偉丈夫な平騎士は、宰相府にいる父親に悪童を引き渡しに行く。――シグルズは面白がって後をつけた。
父親である宰相ミミルは悪びれもせずに、
「エギルと言ったか、若いな。――貴族ではあるが権門というほどの家格ではない。儂がその気になれば、卿をいかようにも始末できるものを──ふん。しかし、よい顔をしている。どうだ、儂に仕えてみぬか? 要職が望みなら、いずれ推挙する」
エギルは、伊達に宰相の肩書きがあるわけではない。それなりの器量があると悟った。その上で、
「私は、すでに大公殿下の直臣として仕えております。しかし御厚情には感謝いたすところ」
「では卿の豪胆に感動した親馬鹿で、一つ願いを聞いてくれまいか。――儂は政務にばかりかまけて愚息ドルズの躾を怠ってきた。――近く倅を近衛騎士団に入れて、腐った性根を叩き直すつもりだ。――エギルよ、どうか倅を躾てやって欲しい」
エギルが帰ると、野次馬にやってきたシグルズに向かって宰相ミミルは、
「秀逸だが天才ではない。腕っ節は強いが将器というほどでもない。そんなエギルを私が、侍従長に推した理由を、知りたいか?―― 奴には誠実さがある。誠実さは人を動かし、人が寄り添って来る。――シグルズには及ぶまいが得難い人材と言える」
平騎士エギルは宰相のとりなしで、近衛騎士団の百騎隊長に昇進した。
百騎隊長になったエギルは、大公国宰相ミミルに託されたドラ息子の平騎士ドルズに厳しかったが、よく面倒をみた。甘やかされたドルズが、同僚と揉め事を起こせば、先任騎士達には情状酌量を求め、ドルズには反省をうながした。
またエギルは、シグルズと対話して、話す内容を瞬時に理解できる程度の学識もあった。――つまるところは文武両道の人である。
ドルズは、そんなエギルを兄のように慕い、「先輩」と呼んだ。
「いいか、ドルズ、情報と言うものはパズルのピースみたいなものだ。まずは丁寧に組み立てて全体像を把握するんだ。その上で人に説明するときは、まず全体像を話し、次に、仔細を説明してやれ。そうすると誰もが傾聴するようになる」
またエギルはこうも言った。
「行動を起こすには順番というものがある。重大で緊急性の高いものから処理するのが基本だ。そうすることで事態を速やかに処理することができる」
百騎隊長エギルが平騎士ドルズを連れて、都城定期市をよく巡回するようになった。――そんなときドルズは、以前、悪さをして苦しめた市井の民に出会うと、必ず謝罪したものだった。
他方で――、
「先輩、俺の親父、宰相ミミルって、なんで、あんなに宮廷で幅を利かせているんすかね? 大臣の大半は一門縁者で占められているっすよ」
「ドルズ、おまえの一族は、五代前の大公から分かれた権門貴族だ。一門には傑物が多く、王国の繁栄の半分は宰相の一族が築いたようなもので、誇りにしていいことだ」
「ですが最近、俺にも見えて来たんすよ。この国の息苦しさは停滞感ってやつっすかねえ」
流民が増えている。露店街の辻には物乞いが哀れな声をあげていたし、道端には行き倒れの老人や子供の遺骸が転がっていた。
ドルズの言葉からエギルは、市井の民が草木を見るかのように、物乞いや遺骸を少しだけ避け、そのまま路地を行きかっていたことに危惧した。