第15話 海賊島
ヴァナン大公国大公ユンリイの四年、春。
「海鳥が群がっているところには、魚も群がっている」
灰色猫の俺・ヨルムンガンドは人に施されるのが嫌いだ。普段ならば森や野原で狩りを行うが、航海中では自律型魔道具のトンボを召喚して使う。トンボを海面すれすれに飛ばし、エラに足先の鉤爪を引っ掛けて、甲板に落としたのを俺は捕食する。
そこに――
「偽歯鳥か、でかいな」
海鳥と言えば鴎を連想するが、大きなものではアホウドリがいる。アホウドリが翼を広げると十一フーサ強(三メートル)もあるが、そいつによく似た、偽歯鳥ときたら、倍の大きさがある。
「ヨルムンガンドさーん、危なそうな雲は見当たりません」
偽歯鳥は、歯に似たギザギザの嘴〈偽歯〉が特徴で、風をとらえると一日中空を飛ぶことが出来、一部のホビット族は小柄な体型を生かし、偽歯鳥を飼い馴らして、偽歯鳥使いになっている者がいる。シグルズの食客にも偽歯鳥使いがいて、重宝されていた。
*
戦闘艦であるロングシップ〈スキーズブラズニル〉を旗艦とした舳先に、鴈の飾りがついた、百フーサ(三十メートル)の細長いロングシップ五隻と、輸送用のクノル船二隻からなるヴァナン大公国の艦隊は、〈沿岸航路〉を北上していた。
「シグルズ、何をしている?」
航海中、全権大使のシグルズ・ヴォルスング鴻臚卿は、めちゃ暇だ。艦の舳先で毛づくろいをしている灰色猫の俺・ヨルムンガンドのところでダベるか、艦内を視察の名目でうろつくかだ。だが――
「ヨルムンガンドか、大海の向こうには、ユグドラ以外にも大陸はないのだろうか?」
シグルズは、婚礼直前に逝ったシグニという娘への想いを引きずっている。奴が物思いにふけるとき、よく裁縫をしている。――おセンチになってるんじゃねえ!
「ブリュンヒルドがおまえを探していた」
一度死んでから小妖精化したブリュンヒルドが、押しかけ女房みたいなものとなっている。――だが彼女の存在は、感傷に浸る隙を与えさせないという点で、シグルズにとって悪い事ではない。さらに小妖精には有用な特技があった。
俺達は小妖精のいるデッキに向かった。
俺は、
「さすがは錬金術師だな、わけの判らん機器を使いこなす」
シグルズ艦隊の水先案内人は、錬金術師の小妖精ブリュンヒルドが担当している。
ブリュンヒルド自身は小鳥ほどのサイズなので、等身大の魔道人形頭部に収まって五感を共有し、船舶航行に必要な測定具を操作する。
魔道人形頭部に収まった小妖精ブリュンヒルドが、魔道人形を介して、六分儀やアストロラーベ計算機といった古代フェンサ文明の伝世品測定具を自在に操っていた。
そのブリュンヒルドに言わせると、
「ヴァナン大公国とムスペル大公国とを結ぶ南海航路よりも、ヴァナン大公国を発して、ドヴェルグ大公国を経由し、ニーザ大公国に至る沿岸航路の方が、難易度は高いと思いんすえ」
ブリュンヒルドは、現在地を測定器で割り出し、海図に書き込み、艦隊の各船長に指示を出している。
沿岸航法は大昔からある航法で、単純に、沿岸に沿って進めばいいのだが、海洋から陸に向かって突然襲い掛かる横風が起こりやすく、また絶えず水深の浅い陸地近くに沿って船が進むので、座礁のリスクが生じやすいのだそうだ。
*
シグルズと別れて俺が舳先に戻ると、艦隊各艦に観測結果を魔道人形を使い、手旗で報せ終えた小妖精ブリュンヒルドが、やって来た。
「ねえ、ヨルムンガントさん、さっき、シグルズさんと何を話していたのでありんすか?」
「いろいろだ」
「いろいろねえ。ふーん。ところで、わっち、新しいポーションを作ってみんしたよ」
「試作品だな」
「これをでありんす。一滴、シグルズのお料理にまぜてあげんす……」
ガラスの小瓶に収められたそれは、血のような色をしていて禍々しい。大方、惚れ薬の試作品なのだろう。ロクでもない話だ。――だいたい偉丈夫のシグルズと小妖精のブリュンヒルドにはサイズ差がある。逢瀬のときどうするというのだ?――ともかく、とばっちりはごめんだ。マストのてっぺんに俺は退避した。
すると――
「ヨルムンガンドさーん、海上遠方に暗雲が立ち込めて、稲光りが走っている。スコールの壁だ」
偽歯鳥使いのホビットが海の荒れを教えてくれた。
ほどなく艦隊は、次々と押し寄せる高波を乗り越えていくのだが、何隻かの船がマストを折られ、船体が大破した。
*
嵐が過ぎ去ると、さんさんと陽射しが照り付ける。
索敵に出していたホビット族の偽歯鳥使いが戻って来た。
「島がある!」
水先案内人の小妖精が魔道人形を操って、計測器具で海図と参照した。洋上に望める島は海図に、まだ描かれていない未知のものだった。森に覆われた島だ。
船員達一同が、
「助かった。船の補修用木材が調達できる」
艦隊は島の入り江に停泊した。