第13話 大公姉グルベーグ
「ピグ、マリ、オーン……」
小妖精化したブリュンヒルド元女王が、透明な翅でホバリングして、等身大の人形頭部に舞い降りた。人形頭部には王冠の形をしたコクピットがあり、手のひらサイズの小妖精が収まるには具合がよく、椅子に腰かけることが出来た。
「ブリュンヒルド、なんだ、その術式詠唱みたいなのは? 魔道人形は自律型魔道具だから、術式など要らぬだろう?」
「ヨルムンガンドさん、それを言ったらいけんせん。いけずじゃありんせんか? 搭乗時に、かっこういいからでありんす。――てへ」
「てへ?」
「古代魔法文明・フェンサ帝国の女子は、照れ笑いするとき、舌を出してそう詠唱していたそうでありんす」
シグルズはヴァナンの宮殿に部屋を与えられている。宰相ミミル以下大臣達と会議をしていた部屋の主が、戻って来た。
*
「なあ、ヨルムンガンド、ブリュンヒルドが乗っかっているやつ、魔道人形と言ったか。どういう原理で動いているんだ?」
「あれか、俺が新フェンサの宮殿で拾った自律型魔道具のトンボと同じ原理で、膨大な魔法陣プレートを連結して人型のそれ、ピグマリオンにしている。ゴーレムは積木細工のようでごつい感じだが、ピグマリオンはよりしなやかな人体に近い仕上がりだ」
「同じ人間でも、ゴリラ男と美少女くらいの差はある。ヴィジュアルは大事でありんす」
錬金術師である小妖精は、新フェンサの地下に壊れて放置されていたピグマリオンの中から、最も破損が少ないもの一体を選んで、配下のエルフに命じて密かにヴァナン大公国に運ばせ、自ら補修した。
魔道人形頭部からブリュンヒルドが、
「ところで、シグルズ、大公姉ってどんな人でありんすか?」
「グルベーグ殿下か、才色兼備の人と言われている」
シグルズによって〈黒衣の貴紳〉の呪いから解放された新フェンサ女王のブリュンヒルドだが、代償に、小妖精になってしまった。そのブリュンヒルドは、褐色の偉丈夫シグルズと灰色猫の俺・ヨルムンガンドが並んで歩いている間をホバリングしていた。
シグルズが大公姉グルベーグの過去話をしだした。
ヴァナン大公国ユンリイ大公の四年、年明けのことだった。
*
「あの人達にも金属製の鋤を使わせてやりたい。そうすれば、もっと効率よく作業が出来ましょうに――」
どこの城邑でもそうだが、住民の大半は農民で、郊外の田園で耕している。
グルベーグは農民達が使っている鋤に着目した。貴族所有の奴隷達は、青銅鋤を牛馬に牽かせ、効率的に耕地を耕していた。ところが、平民自営農は、未開種族さながらに、石や貝の鋤を振るって耕しているではないか。
二十六歳になる貴婦人はときどき、庶民の姿で、市井を視て廻ったものだった。
自領にいた大公姉が都城に入ろうとしたときのことだ。
従者が主人に耳打ちして、
「大公姉殿下、行列になど並ばなくとも、門番に御身分を明かされれば通してくれましょう」
「それでは忍びの意味がありません」
都城は、宮殿のある内城と市街地のある外城に分れている。旅人が外城に入るには、外城の四方にある南の市門で身分証を出し、審査を受ける必要がある。そのため市門では行列ができる。検閲していたのは十名の門番だ。
門番が、
「旅商人か、おまえの身分証に不備がある。だが、話し次第では目をつぶってやらないでもない」と言い、通行税とは別途に、賄賂をだせと片手を出してみせる。
次は若い娘だった。
「おい、女、衣装の下に凶器を隠し持っているな」
門番が、ローブの裾をめくる。脚の付け根も露わにされた彼女が、赤面していると、連中は黄色い声を上げてはやし立てた。行列の後にいる者達は、見て見ぬふりでうつむくのみだ。
大公姉グルベールの番になった。
「これはまた上玉――」門番達が卑猥な笑みを浮かべ、「不審な動きをする女だ。こっちへ来い。俺が念入りに調べてやる」と周りを囲んだ。
役人が大公姉グルベーグにつかみかかったときのことだ。行列の後方、象使いの乗っていない大きな白い象が、衛兵達の横にやって来るなり、高く持ち上げた長い鼻を空で力強く振りかざした。門番は一撃で吹っ飛ばされる。
この白い象というのは、かつてシグルズがムスペル島から連れて来た巨象グルトブで、現在は、黄金の髪をした公姉に託されている。
「この方は大公姉殿下であらせられる。大公御一門への不敬罪として逮捕する」
行列の中には、やはり庶民のなりをした公姉の従者百名が混じっていた。
不正役人達は、衆目に晒されながら、一網打尽となった。
「市場では納税のほかに賄賂を役人に納めなくては露店が開けず、関所ではこのあり様。――変えなくては」大公姉は深く溜息をついた。
*
「ねえ、シグルズ、ここはどこでありんすか?」小妖精のブリュンヒルドがホバリングしながら小首を傾げた。
「菩提樹宮だ」
シグルズと俺、そしてブリュンヒルドが訪れたところは、宮殿本館に臨んだ狩猟林だった。
二十四歳の貴紳は、したたか酔っている様子だが、邪気はない。身の丈七十ソル(百七十五センチ)、細身。白い髪に白い肌、プラチナ色の髪にオッドアイの双眸で、女のようにしなやかだった。――ユンリイ・フレイ・ヴァンは「美男大公」と呼ばれている。その二つ名は誉め言葉のようにも聞こえるが、美男であること外にはさせいて取り柄もないという皮肉も込められている。
酒色に溺れた主君を諫める者もなくはなかったが、本人はどこ吹く風でいっこうに改めない。
散策路の向こうから、ユンリイ大公の後を追う愛妾達が華やいだ声がする。
「主公はいずこに? 宴はまだ続いておりますというのに……」
だが大公に巻かれてしまった様子だ。