第12話 帰還
エルフ族・上ムスペルのギムレー都城だ。
上ムスペルのギューキー王が、
「シグルズ卿よ、妹である新フェンサ女王ブリュンヒルドの件をよく解決してくれた。約束通り、下ムスペルを統べるサピエンス族の女大公フレイヤにかけられた眠りの呪いを解こう。――前へ出られよ」
ギューキー王の玉座の横に女神官グズルンが控え立っている。対面して床に座っていたのがサピエンス族のシグルズと灰色猫の俺・ヨルムガンド、そして女弓手レイベルだ。言われるまま、シグルズが立ち上がって進み出た。
女神官は、
「シグルズ様、右掌を出してくださいませ」
すると、シグルズの右掌に腰掛けた格好で、小妖精化したブリュンヒルドの魂魄が姿を現す。――ギューキー王とブリュンヒルドが掌を重ねることが、呪いを解く鍵になっていた。――確かに手応えの波動を感じる。今頃は、下ムスペルの宮廷で眠る女大公が目を醒ましていることだろう。女弓手の鴻臚官レイベルは感無量の涙を流していた。
シグルズを労う宴席でギューキー王が、
「大臣の席を一つ空けてあるが、シグルズよ、我に仕えてみぬか?」
「申し出は魅力的ながら、使命があるので……」
「ならば代わりにグズルンをやろう。グズルンは我が一門の女だ。ぜひ嫁にもらってくれ」
シグルズの左右には、エルフ族とサピエンス族の女子二人が、挟むように座っていた。
グズルンが顔を真っ赤にしている。レイベルは動揺を隠せないでいる。
王の提案にシグルズは、
「自分には許嫁がおります。今年で十三歳、来年で婚期となるので籍を入れる予定です」
「残念だ。その娘は果報者だな」
玉座を発ったギューキー王が、シグルズと向き合うよう床にどっかと座り、水差しの酒を自ら奴の盃についでやった。
シグルズが王宮を退去して、女大公の待つ下ムスペルに向かおうとしたとき、ギューキー王は、
「卿が連れて行く新フェンサのエルフ族三千人は、元はと言えば我が同胞。一年分の食料を餞別にやろう」
と言って、国庫から大量の穀物を出して荷車に積み、引き渡してくれた。
名残り惜しいが、女神官のグズルンとはそこで別れた。
*
大所帯になったシグルズ一行が、下ムスペルに凱旋すると、宴が準備されていて、フレイヤ女大公が、ギューキー王と同じ申し出をシグルズにする。ギューキー王のときと、まったく同じ展開だ。
女大公自らがシグルズの盃に酒を注ぎながら、
「我が一門の娘レイベルを卿の嫁にして欲しい」
「故郷に許嫁がいるゆえ」
ユグドラ大陸諸国はどこも、一夫多妻制を採っている。シグルズは宰相の孫娘ばかりではなく、女神官や女弓手を嫁に加えても、誰も文句は言わないはずだ。シグルズが一人の嫁で十分だと考えるのは、嫁が多いとウザいからなのだそうだ。
新フェンサ王国の虜囚から解放された、少年少女達は、シグルズの願いが女大公に聞き入れられて、ムスペル大公国の自由民となった。
また、〈海の民〉襲撃時に大公国に加勢し、その後の新フェンサ関連のとぱっちりで、呪いを受け眠らされたフレイヤ女大公を、目覚めさせた功績から、白きグルトブを含む戦象二十頭がシグルズに贈られた。――その上で女大公は、ムスペル大公国の同名都城である港湾都市に住む交易商人達に声をかけ、奴が連れて来たエルフ族三千と、与えた戦象二十頭のすべてをユグドラ大陸のヴァナン大公国に送る大船の手配をしてくれた。
女大公や女弓手レイベルに見送られて、旗艦〈スキーズブラズニル〉以下シグルズの大艦隊が帰途に就いた。
*
ヴァナン大公国ユンリイ大公の一年、秋。
ヴァナン大公国の全権大使シグルズ・ヴォルスングがヴァナン大公国に帰還した。
大功を立てたシグルズが、意気揚々とヴァナン大公国に帰還すると、悲報が待っていた。
一つ目は、結婚を来年に控えていた宰相の孫娘が流行り病で亡くなっていたこと、二つ目は、宰相一門と親大公派廷臣との対立が先鋭化してきたこと、そして三つ目は、中津洲三公国を巡り宿敵となっている、ユグドラ大陸東方の覇者・ヨナーク大公国が怪しい動きを始めたというものだった。
大公国の同名都城の郊外には、貴族各家の墓所がある。池を穿った庭園風で、船に見立てた霊廟が、随所に佇んでいた。シグルズの許嫁だった宰相の孫娘はシグニという名だ。その墓標に花を供えに赴くと先客がいた。顎鬚の老人、公国宰相ミミルだ。
その人が、
「亡くなった孫娘とは婚約はしたが妻にしたわけではない。孫娘は他にもいる。よければ別の孫娘を卿に嫁がせるが――?」
「お言葉はありがたいのですが、喪中ゆえ」
「生真面目な奴。だがそこが皆に、卿が愛される所以なのだろう。――結婚せんのならば、仕事で憂さを晴らすがいい……」ミミルはそう言うと話しを続けた。「ベルヘイムと誼を結べ。そして馬術を学び、駿馬百頭を購入せよ」と。
ユグドラ大陸における戦闘は、歩兵からなる百人隊が基礎編成で、もっぱら戦車に乗った貴族士官が指揮を執る。つまるところベルヘイム大公国を除いた王国・諸大公国の貴族士官は、直接の騎乗を蔑み、伝統的な戦車戦を紳士の決闘とした。
顎鬚の宰相ミミルは、
「何が紳士の決闘だ。戦争は勝たなくては話しにならん。台車付き物見櫓のような戦車はもう時代遅れで、これからは直接馬に乗った者が戦場での主導権を握ることが出来るに違いない」
老宰相には先見の目があった。
*
ユグドラ大陸の中央部に、城壁山脈に囲まれた大平原・中津洲がある。そこの北辺を東流するのがエリバ河だ。大河に沿った街道を西へ向かうと、大陸諸公の盟主たるアガルタ王国が同名の都城を置くグラズヘイム地方となり、長い年月を経て、小さく萎んだ王家直轄領がある。グラズヘイム地方から大河を渡った北岸には、中津洲諸大公国を実質的に支配しているヨナーク大公国が、同公国の西隣にはベルヘイム大公国がある。
全権大使シグルズは、
「ユグドラ大陸北辺にあるベルヘイム大公国は騎馬の民が支配するところだ。草原が国土の大半を占め、多数の馬を放牧している」
ヴァナン大公国ユンリイ大公二年のこと、その人が随員百名と同国に赴くと、早速、母国から携えて来た贈り物をして誼を結んだ。それから奴は随員百名とともに馬術を学び、百頭の名馬を購入すると帰途につく。
褐色の偉丈夫はガイル男爵の称号と荘園を、亡き父親から相続していたのだが、同二年、数々の功績により子爵に陞爵し、領地を加増され、さらに鴻臚卿(外務大臣)に昇進した。
全権大使のシグルズと使節随員が会得した馬術についてだが、まだこのころは鐙がない。だから騎兵は馬の腹にピタリと脚をつけて乗っていた。シグルズは、兵士達の馬術修練速度を上げるため、ムスベルから連れて来たエルフ族の工匠達に鐙や鞍といった馬具を開発させた。
その一方で、名馬同士、あるいは名馬と在来の馬を掛け合わせて、増産した。
他方、ムスペルから持ち帰った二十頭の戦象だが、その後も繁殖させたり、ムスペルから追加発注したりして、四十二頭にまで増えていた。戦象の大半は騎士団戦象隊に編入されたが、うち二頭は大公と大公の姉〈最上席貴婦人〉にそれぞれ預けられた。白き戦象グルトブはシグルズ個人のものだったのだが、大公が姉を守るためという名目で、シグルズに直談判して、借り受けることになった。