星に願いを
もうとうの昔に見限っていたと思っていたのに、私はまだそこに一縷の希望を持っていたらしい。その事実に今になって愕然とする。希望を捨てる、というのはなかなかに、言うのは容易いが難しいことなのかもしれない。
テレビもラジオもニュースペーパーも、今はたった一つの話題で持ちきりになっている。それはこの荒野の上空に突如現れた、未確認飛行物体について。それは陽の光が当たると淡い紫色に輝く。確固たる輪郭を持たず、ゆらゆらと捉えどころのないそれは物体というよりもなにか流動的なものに見えた。強いて言うならば滞った雲のような。仮に大気が水だったとすると、そこに一滴落とされた絵の具のような。
それは現れてからこちら、この国の荒野の上をいわくありげに漂っているのだった。
政府はその正体を突き止めようと躍起になったが、芳しい成果は上げられなかった。はじめは興味津々で事の成り行きを見守っていた国民たちも、次第にそれを不気味なものとして認識し始めた。不安は徐々に広がり、早くなんとかしろと政府を詰るようになった。安全なのか危険なのかも不明なその物体を放置しておくわけにもいかないと、政府はある結論に至った。軍の力を動員して撃ち落とす、と。
私は、あぁ、と思った。人間の考えることは、いつの時代も同じ……。
物体の下には荒野が広がっている。しかし万が一に備えるために、半径十マイル以内の住人には避難命令が出た。よって現在それを目視で確認できる者は限られている。この作戦に動員されている兵士か、または従軍記者か、はたまた許可を得ずに潜入しているアングラ報道官か。
「KEEP OUT」の物々しいテープが張り巡らされた規制線上に、私は今立っている。空は夕景。ちょうど夕日が地平線の向こうへと沈んだところだ。奥に件の物体が見える。日の光が当たらない今、それは不穏に揺れる影と化している。
「おい、じいさん。この辺りは今立入禁止だぜ?」
どこからか現れた、兵士らしき男。まだずいぶんと若そうに見える。銃で武装しているが、その様子では作戦の主要人員ではなく、この辺りを哨戒しているのだろう。私はこちらを見下した態度のその男に語るでもなく言う。
「あれを落とす気ならば、避難などしても無駄だ」
「へぇえ」
どうやら男は私をぼけた老人だと判断したようだ。最初の態度といい、失礼な奴だ。しかしここから私を追い払うことも諦めたようで、規制線の内側にどっかと座る。
「まぁ実際よくわかんねぇよな。結局正体不明のまま撃ち落とせってことになっちまってるし。俺これが初任務なんだけど。一応作戦の構成員扱いだけど、最前線でもないし、ただの下っ端仕事だし。張り合いねぇったら」
「初任務。それは気の毒だな」
「だろぉ。じいさん話わかるじゃんか」
よほど不満が溜まっていたのか、ぼけたと判断した私に向かってたらたらと愚痴をこぼす。兵士だというのに緊張感などかけらも感じられないのは若さのせいなのか。だとしたら、いたたまれない。そして、「いたたまれない」と思ってしまう自分にまた愕然とする。
もうどうでもいいと、切り捨てたはずではなかったか。老い先短い自分にはもう関係のないことなのだからと。
「あれに向かって弾を放てば、そのまま透過してどこかの国まで飛んでいく。その先でまず人が死ぬ。相手は先制攻撃されたと思って反撃してくる。じきに戦争が始まる」
「……じいさんは、あれが何だか知ってんの?」
「真実を知っている」
若者の目は不気味なものを見るようにすがめられた。その可能性を見出したところで、本気でどうこうする気はない者の目だ。
あれを撃ち落としてはならない。そもそも撃ち落とせるようなものではないのだ。
あれの正体。それは人間たちが眠れぬ夜にこめた「願い」だ。
なぜか人は、遠く瞬く星たちに己の願いを託す。星へ願えばなんでも叶うと頑なに信じているかのように。やがてそれらの願いはひとところに集まり、世界に影響する力を持つ。それが真実清いものであるならば、あんな姿を晒すことはなかっただろう。
「お、一番星。あぁ、早くこの作戦終わんねぇかな」
若い兵士はうーんと伸びをする。私が先に語った言葉などすっかり抜け落ちてしまったかのように。
やがて空は一面の星に覆われる。眠れぬ夜の願いを吸い取るように。愚かで悲しい私らは、ただ空を見上げるばかりだ。




