霊能探偵の過去
ホムラという探偵の始まりは、今から十五年ほど前のこと。
まだ幼い少年だった彼は、心優しい両親のもとで平和な日常を送っていた。
きっかけは、両親と共に出かけた旅先での遭遇。現世と現世にあるすべてに干渉可能な特異的な力を持った怪物との、出逢いだった。
真っ白なワンピース然とした服を身に纏った、長い黒髪の女。生気のない肌は、けれど薄幸美人らしい美しさをもたらしていた。一見、蝶よ花よと育てられたどこかの令嬢のようで、それでいてどこか危険な香りを漂わせる女は、仲の良い家族連れを見て、笑った。
三日月のように真っ赤につり上がった唇と、光の無い真っ黒な瞳を、風がないのに揺れる漆黒の髪と衣服の裾を、ホムラは今でも覚えていた。
狂気に満ちた笑みを浮かべた女は、一瞬にしてその髪を伸ばし、三人の首をからめとった。
首を絞められ、宙に持ち上げられては思うように抵抗もできず、三人は必死で手足を動かした。
怖かった。怖くて、怖くて、だからこそ、苦しむ自分たちを見て笑っていた女の顔が、ホムラの脳裏に焼き付いた。
それから女は、一息に両親の首を縛る髪に力を籠め、その首の骨を容易くへし折った。ごきりと音をたてて首が曲がった二人は、それによって神経が傷つけられたのか体から力を抜き、抵抗のために動かしていた手足をぶら下げた。
そんな二人をしばらく観察していた女は、やがて飽きたように関心を失って、ゴミを放り捨てるように二人の体を後方へと投げた。
力なく転がっていた瞳孔は見開かれ、その目と一瞬だけ目が合った気がして、ホムラはかつてない恐怖に飲まれた。
思考が、停止した。
許容値を越えた恐怖がホムラの心を殺させた。
それはあるいは、首絞めのせいで半ばほどまで意識が落ちていたためだったかもしれない。
股を濡らし、瞳から色を失い、抵抗をやめたホムラ。その目をじっと覗き込んだ女は、不思議そうに首を傾げた。
それから、その真っ白な手が、ホムラの頭に伸びて。
『××××××』
ノイズが走ったような音が聞こえて、そこで幼いホムラの意識は闇に消えていった。
それから、二日後。ホムラは病院で目を覚ました。事情を聴くためにやって来た警察のぼかした説明によると、両親は木の枝に首を吊っている状態で発見されたという。ただ、その結索状況から他殺の可能性が高く、髪などの細い糸を束ねたもので縛られた索状跡が縄の下にあったことで他殺であるとほぼ断定されていたという。
幼いホムラは、湧き上がった恐怖に体を震わせながら、とぎれとぎれに言葉を紡いだ。
白い女のこと、毛で両親と自分の首を絞めたこと。
女が、まるで怪物のように自分の髪の毛を自由に操っていたことは話さなかった。話したらきっと、自分の証言を信用してくれなくなると思ったから。
けれど三人が誰一人逃げることが叶わず首を絞められたというおかしな点が、ホムラの説明から浮上した。ホムラは何か隠しているのではないか――不信感が警察の中に生まれたのは確かだった。
その後、事件は迷宮入りに終わった。当然と言えば、当然だった。何しろ、相手は戸籍もない幽霊。
事件は解決せず、ホムラの証言もまた錯乱していて記憶に障害があると判断された。
なぜなら事件以降ホムラにはおかしなものが――幽霊が、見えていたから。
そうしてホムラは異常になった。
気が狂いそうだった。自分の頭が壊れてしまったとしか思えなくて。けれどそのうちに、幽霊は確かにそこにいて、死を経験したせいか死者を見ることができるようになっただけだとホムラは理解した。
けれど、理解したからといって、事件のことを思い出さずにはいられないその力を受け入れられたわけではなかった。
霊視能力を失うために、あらゆるオカルトに首を突っ込んだ。
霊が見えるという超能力者を、お祓いの専門家だという似非陰陽師をたずね、黒魔術を使えると豪語する魔女風の女に怪しげな薬を貰い、本物の占い師だという人物にどうすればおぞましい力から解放されるか助言を求めた。
けれど、全てが無駄だった。
ホムラの力は、消えることはなくて。けれどそのうちに、ホムラは不快な力を有効に使うことを覚えた。
幽霊たちは他人には見えない諜報員として利用できた。その力を使って、探偵稼業を始めた。理由は、力を失う方法を探すことと、両親を殺したあの白い女を見つけ出すこと。
そして、その一方が叶って――
――そう、叶った。ホムラは、完全に想定外の形で両親の仇に、復讐相手の幽霊に再会を果たした。とある幽霊の少年がこっくりさんの紙を使った際に、その女が呼び寄せられたように現れた。女は、幽霊だった。それを知ることができただけで、ホムラの戦いは一歩前進した。けれど、せっかく現れた女は、ホムラの前から姿を消した。
捕えそこなった。
あふれんばかりの悔しさに歯を噛みしめすぎたせいか、血の味がした。
全身が、痛んだ。
思考が、まとまって来る。
ホムラは自分の状況を思い出した。
怪物となった幽霊の少女にぼこぼこにされた記憶。
そして、煮えたぎるような憎悪が、憤怒が、ホムラの心を焼いた。
許さない――誰に向けたものでもない言葉が、胸の内で爆ぜた。
許さない、もう一度、今度は震える口を動かし、ホムラはつぶやいた。
浮遊感。
地面に衝突した体が、転がっていく。
まるでかつてあの白い女に捨てられた両親と同じだと、ホムラは思った。
けれど、ホムラは両親とは違った。
目を開く。全身が激しく痛んでいた。伸ばした手は骨が折れていて、地面に手を突くことは叶わなくて。
ホムラはわずかなあごの動きを駆使して、這うように少しだけ怪物少女の方へと動いた。ずりずりと、這い進む。
その音を聞いたのか、あるいは動きを目で捉えたのか、少女がホムラの方へと顔を向ける。
にやりと、不敵に笑って。
血だらけのホムラは、また数ミリ少女へと体を近づけた。
もはや、意地でしかなかった。このまま何もできずに死んでたまるかという、意地。
たとえ少女のもとへたどり着けたとしても何もできなくて何にもならないとわかっていて、それでもホムラは進むのをやめなかった。
芋虫のように、なめくじのように這い進む。
少女の口元が小さく引きつる。既にいつ死んでもおかしくないほどの重傷で、それでも目をギラギラと輝かせて地面を這い進むホムラは、少女の目にはまさに怪物として映った。
少女が、今度こそホムラを斃すべく腕を振り上げる。
ホムラには、それを避ける気力は残っていなかった。
死が、目前に迫る。
視界を覆う手のひらが傘になって雨が、体に当たらなくなり、そして。
傘のように頭上で止まったまま、腕が動かなくなった。
ホムラはぼんやりと目の前にある黒い手の平を眺め続けた。霧状の手を浸透してきた雨の雫が一滴、頬を濡らして落ちていった。
血と雨でぐしゃぐしゃになったホムラの、視界の先。
そこで、まるで何かと格闘するように怪物少女は苦し気な顔をしていた。人間のそれと同じ見た目をした腕で腹と口を押さえる姿は、体内から飛び出ようとする何かを抑え込んでいるかのようで。
緊張の糸がほどけて強烈な痛みが襲いつつある中で、ホムラは怪物を睨み続ける。
ピシ――怪物少女の白磁のような肌に亀裂が走る。口元に、首に、おそらくは衣服の下の胴体部分に、そして手に。
破片が、はがれる。その奥には、虚無と見まがう闇があって。
ぁぁぁぁぁぁ――声が、聞こえた気がした。
まだ変声期が来ていない少年の声。それは次第に大きくなっていって、そして。
「出れた!」
崩れ落ちた少女の体表に開いた虚無から、少年幽霊が飛び出した。




