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捜索

 いろいろと衝撃的な出会いと甘ったるくて仕方がないロマンスを見せつけられたホムラは、喫茶店を出るころには精神的に疲れ切っており、むわっとした夏の熱気が顔に吹き付ける中、どっと疲労が全身に押し寄せるのを感じた。

 今すぐ眠ってしまいたくて、けれどこの後運搬を依頼していたテレビが運ばれてくることを思い出したホムラは、重い足取りで事務所兼自宅へと向かった。

 気づけば西日は赤く染まっていて、疲れた様子の人々がホムラの横を通り過ぎて行った。

 彼らの中にも実は妖がいるんだろうか――そんなことを思いながら、ホムラは過ぎ去っていく人影をぼんやりと見つめつつ帰路を進んだ。


 それから、送られてきたテレビを設定し、多様なケーブルと格闘して何とかセッティングを終えたころにはもう完全に世界は闇に染まっていた。

 疲労困憊といった様子でソファに座り込んだホムラを少年幽霊が急かす。


「ああ、自分でつけられないのか……」


 俺はテレビ係じゃないんだぞ――心の中でぼやく。もはやそんな嫌味を口にする気力さえなかった。

 緩慢な動きでリモコンを手に取り、さっそく電源ボタンを押す。ホムラ一人分の生活音が響くばかりの静まった部屋に、電子音と、続いて楽しそうな人の話し声が響き始める。

 バラエティーの一つを、少年は食い入るように見つめ始めた。


 小さく苦笑を浮かべたホムラは、全身に満ちる達成感に身を浸しながら睡魔に飲み込まれていった。






 体がひどく痛かった。こういう時、もう若くないのだと再確認する。

 ソファでぐっすりと寝入ってしまった翌日、ホムラは妖魔女王を探すべく珍しく朝から事務所を出ていた。

 行先は、かつてホムラの両親が殺された観光地。あの場所で遭遇したのが妖魔女王の本体だったという仮定のもと、その近くに何かがあったのではないかとホムラは考えた。

 それは例えば妖魔女王の拠点、あるいは生前の彼女にまつわる何らかの伝承や記憶、彼女の行動範囲の一角だということも考えられる。

 とにかく妖魔女王に対する情報が全くもって足りていない現状、藁にも縋る思いでホムラは苦い記憶の詰まったその地へと足を運ぶことに決めた。


 久々の電車の中、ホムラは青白い顔で口に手を当てていた。必死な様子で窓の外をにらみながら、吐き気と格闘する。

 そんなホムラを、少年幽霊は心配そうに見つめていた。

 それは、電車酔いではなかった。あの場所に近づいている――そんなストレスがホムラの心を襲った結果、体が不調を訴えていたのだった。朝のパンとコーヒーがせりあがってきそうで、けれど吐いてたまるかという何と戦っているのかわからない格闘の末、ホムラは駅に着くころには精神的に疲れ切っていた。

 だらりとロータリーの椅子に座り込んだホムラは、相変わらず身にまとっている白衣の裾を広げながら、だらしなく足を広げて空を見上げた。

 青い空。緑あふれる視界。ロータリー中央にそびえる奇妙な茶色のモニュメント。やや古い街並みを思わせる木造の建物が並ぶ世界をぼんやりと見まわしながら、ホムラは小さく息を吐いた。

 わずかに心臓に刺すような痛みが走った。ここにいたくないと、心が叫んでいるようだった。

 かつての、懐かしい記憶が次々とよみがえる。

 温かな日々。優しい両親の記憶。楽しかった思い出。そして、絶望の記憶。

 首が折れる鈍い音、力なく地面に転がる両親の姿、笑う女、不気味に揺れる黒髪――

 心配そうにのぞき込んできた少年の顔が、ホムラの視界を覆う。上下逆さの少年の、少しだけ長い黒髪がゆらゆらと宙を揺れていた。

 吐き気がぶり返す。

 口を押さえたホムラの記憶の中で、女が笑い続ける。

 呼吸が苦しくなる。目に涙がにじんだ。

 かつて何度も経験したその状況は、けれどもう慣れてしまっていた。

 ゆっくりと意識を落ち着ける。深い呼吸を繰り返すころには、フラッシュバックした過去は消えていた。

 けれど、まるで淀の中にいるように体が重かった。

 精神的な疲労が著しく、それは明らかに顔色に表れていた。

 土気色をしたホムラは、けれど緩慢な足取りで歩きだす。

 そんな背中を心配そうに見つめていた少年幽霊も、せめてホムラのそばにいようと宙を漂い、ホムラに並んで進み始めた。






「……外れ、か?」


 塗装が剥げて木の肌がさらされた椅子に座って空を見上げながらホムラは呆然とつぶやいた。午後一番からしばらく、女の姿を描いた紙を片手に片っ端から目撃情報を聞いたが、空振りに終わった。

 そもそも、ホムラが探している妖魔女王が普段どんな状態なのか、それによっては完全に無駄な調査方法だったと、ホムラは今になって気づき始めていた。かつて、まだ霊視能力がない状況でホムラは妖魔女王の姿を見ることができた。けれどそれは、ホムラたち一家が妖魔女王と不思議と波長のようなものが合ってみることができたか、あるいは妖魔女王が意図的にホムラたちに姿を見せていた可能性もあった。あるいは、現世に干渉する際には人間の目にも見えるようになる、ということかもしれないとホムラは思った。

 思考に浮かぶのは、昨日言葉を交わしていた自称生命神のハクトとその関係者である妖たち。彼らは全く違和感なく人間社会に溶け込んでいて、ホムラ以外の普通の客にも姿が見えていた。

 幽霊と神や妖は違うという可能性もある。とはいえハクトによれば幽霊は妖の一種であるということで、つまりは幽霊もまたハクトたちのように簡単に現世に紛れていきることが可能かもしれないということだった。

 ちらりと視線を送った先。木の枝にとまってなく鳥のすぐ近くまで行って間近でその羽を観察している少年幽霊を見る。あの幽霊は今日も変わらずホムラ以外に見ることはできない状況だった。

 現世に干渉できる存在と、干渉できない存在。その差が何なのか、どんな違いがあるのか、ホムラにはよくわからなかった。


 考えていても仕方ないと、吐き気のせいで食べずにいた昼食用の菓子パンをカバンから取り出し、封を切る。

 口の中の水分を急速に奪っていく甘いパンを咀嚼しながら、昨日の甘ったるい空気を思い出してホムラは顔をしかめた。

 なんとなく、携帯を取り出して電話番号の欄を見る。そこには、新たに一つのアドレスが記載されていた。

 ハクト――神との連絡手段が電話だというあたりにいろいろ思うところはあったが、ひとまず今日はこれを使う機会はないだろうなと思って、ホムラは水でパサついたパンを胃の中へと流し込んだ。


 バサバサと音を立てて鳥が飛び立っていく。まるで眼球をくちばしで貫くように迫ってきた鳥の行動に驚いた少年がのけぞり、飛翔の制御が狂う。

 一直線に地面へと進んだ少年が、体を止めることもままならず、地面に衝突――することなく、ホムラの目の前の大地に飲まれていく。

 必死に手を伸ばした少年は、やがて疲れたような顔をして、ゾンビのごとく地中から這い上がってきた。


 何やってんだか――そう心の中でぼやくホムラは、自分の思考から暗い考えがすっかり消え去っていることに気づかなかった。


 顔色がよくなったホムラが、もう少し探すか、と告げて立ち上がる。

 そんなホムラの背中を見つめながら、よかった、と少年は届かぬ声をつぶやいた。

 今日のホムラは、まだ知り合ってあまり長くない少年でもわかるほどに異様だった。顔色は時間を経るごとに悪化し、陰鬱な雰囲気をまとい、常に吐きそうな様子だった。それは、少年の目には死の気配に見えた。あるいは、何らかの凶報のようでもあった。

 そんな顔をしてまで行うことなのだろうかと、少年は今日の行動の目的である女――母親だと思った相手の姿を脳裏に思い浮かべた。

 白と黒のコントラストがはっきりした、きれいな人。きれいで、ひょっとするときれいすぎるからか、怖くも見える女の人。それが、少年の妖魔女王に対する第一印象だった。

 それから、少年は胸に手を当てる。そこには熱も、心臓の音も感じない。それどころか、自分の体に触れているという感触すらなかった。

 自分が死んでいて、肉体なんてものは存在していなくて。けれど二度目に妖魔女王にあったとき、少年は存在しないはずの心臓が熱を帯びるのを感じた。まるで探し求めていた相手に会えたような、自分のルーツに出会えたような歓喜が、存在しないはずの胸の中から沸き上がった。

 幽霊とは何だろう――少年は考える。たかが十歳かそこらも生きていなくて、その人生経験のほとんども幽霊になった際に落っことしてきてしまった少年には、その問いは難題だった。

 けれど、考えなければならないと思った。自分はおかしいのだとホムラが言っていたことを、少年は思い出していた。

 記憶を失っているのはよくて、けれどそれでも心に残った執着がないのにこの世に幽霊として存在するのは意味不明だ――そんな言葉だった気がした。

 そうして、少年は自分も見えるようになった幽霊少女――怪物に成り果てて、そのあと消えてしまった少女のことを思い出した。ホムラは、その少女に依頼を受けたようなことを独り言のように話していた。少女は事故で死んでしまって、最後の言葉を両親に残したいのだと、たしかそんな依頼で。それは、怪物のようになってでも叶えたかった願いなのだろうと、少年は思った。

 少女の涙を、思い出した。

 真っ黒な、白目まで黒く染まった目から流れていた、同じ黒色の涙。あの涙が美しいと、少年は思った。そこには、自分にはない強い思いが、輝きがあった。心があった。

 自分はどうだろうか――胸の中にあるはずの感情を探して、少年は考える。

 けれどやっぱり、わからなかった。

 自分は、この世に執着を持たない、出来損ないの幽霊で。だから多分、ホムラの役に立てていないと、少年は思った。


 思って、考える。

 自分がお母さんを見つけることはできないかと。

 ホムラが探している復讐相手だという女の人を、自分が見つけ出すことはできないかと。

 自分の中に存在する最も強い思い――母と会えたことへの歓喜を、思い出す。その輝きに手を触れるように、少年はそっと胸元を――その奥にあるであろう心臓を――撫でた。

 願った。ホムラの役に立てることを。

 祈った。母との再会を。

 そうして、少年はホムラの背を追いながら願い続けた。


 灯のような熱がともった気がした。

 それは次第に少年の体全体に広がっていた。風呂で末端から体の芯まで冷えていくような感覚の、逆。体内に灯ったその熱が、少年を活性化するように全身に満ちる。

 そのいとおしい熱を抱きしめるように、少年は体を両手で抱きかかえた。

 狂おしいほどに広がる熱は、やがて少年の体をとびぬけ、周囲に漂い――ある一方向に向かって漂い始めた。

 その先に、願いのかなう場所がある。その先に、母がいる。

 そんな根拠のない直感があった。確信があった。


 少年が勢いよくホムラの前に飛び出す。

 やや焦燥のにじむ顔でバタバタと手足を動かす少年を、ホムラはいぶかしそうに見つめた。

 けれど、それも一瞬のこと。少年が指し示し、長い髪を表現するように頭から腰まで動かした手を見て、ホムラはすぐさま少年の意図をくみ取った。

 木々が生い茂る林の中へと、ホムラは走り出した。そこが私有地だろうが何だろうが、知ったことではなかった。

 先を漂う少年の姿を追いながら、ホムラは枝葉が生い茂る藪の中を進み、人気のない奥まった自然の先へと走った。

 人の生活音が、消える。耳に届くのはホムラ自身の荒い呼吸音と、枝葉がぶつかる音、木の葉が舞い落ちる音、小さな動物たちが動く音、あるいは、吹き抜ける風の音。

 自然に満ちたその場所を、体のあちこちに擦り傷を負いながら走り続けた。


 そして、突如視界が開ける。

 枝葉にさえぎられて薄暗い森から、光が差し込む円形の空間に、ホムラは飛び出した。

 少年が止まる。ホムラも、膝に両手をついて息を整える。


 視線の先、小さな丘の中央に、苔むした石が立っていた。人工物のような、四角い角の残るそれへと、一歩ホムラが近づく。

 歩くごとに、踏みつけられた草から森のにおいが漂った。周囲には、他に不自然に草がつぶされた後はなかった。十五センチほどの高さの草は、ホムラの足跡を残すように倒れたまま、そこに一筋の道を作る。


 小さな盛り地を登りきる。

 目の前には、ホムラの視線の高さほどもある、緑と砂の色に覆われた、石。石碑のたぐいだと思われるそれは、わずかに側面に削られた文字らしきものもあったが、かすれて読めなかった。

 ぴりぴりと肌がひりついた。得体のしれない、あるいは厄介とでも呼ぶべきものが目の前にあると、直感が告げていた。

 触るのをためらい、ホムラはなんとなく周囲を見回す。

 わずかに高くなった場所から周囲を見回せば、直径十メートルほどの土地が、きれいに森と草原の輪郭を生んでいた。

 木々の中にぽっかりと開いた空間と、石碑。明らかに異常だった。

 まるで木々の成長に必要なエネルギーをこの石碑が吸い取っているようだと、ホムラは思った。一度そう思うと、その考えが正しい気がしてならなかった。

 現世の者に触れることが可能な、恐るべき力を持った存在。現世の中でさも当たり前のように生活している超常の者を見てしまったせいかその異常性は少し薄れた気もするが、ホムラの中では今でも妖魔女王は別格に位置した。

 少なくとも、基本的に人間には見ることができない幽霊。そんな身でありながらたやすく現世に干渉して両親を殺して見せた存在に、目の前の石碑がなにかかかわりを持っているかもしれない。

 そう思えばいてもたってもいられず、ホムラは苔むした石肌に手を当てた。


 一秒、二秒――

 熱を帯びた風が吹き抜けて草を揺らす。髪を弄んで吹き抜けていった風に顔をしかめながら、ホムラは警戒心高く周囲を観察し続けた――が、何も起きない。

 ただ、その手に触れる石肌の奥から、不吉な気配とでも呼ぶべきものがチクチクと肌を刺しているのを感じていた。


「これが気になったんだよな?」


 石から手を離したホムラが、目を皿のようにして石碑を観察している少年へと尋ねる。ホムラに視線を向けないまま、少年はこくりとうなずいた。

 そしてやっぱり、ホムラのように気負いの感じられない動きで、いきなりその手を石碑に伸ばす。


 少年の目が、大きく見開かれる。

 その手に、冷たさを感じた。石肌のごつごつとした触感を感じた。

 それは、現世のものに触れることがかなわない少年にとって、異常でしかない感覚だった。

 目を見開いたまま動きを止めた少年の姿を、ホムラはにらむ。まるで石の表面を撫でるように少年が手を動かす。ぱらぱらとコケや砂が剥がれ落ちる。


「……は?」


 その異常性にようやく気付いたホムラが目を瞠る。この世のものに触れられないはずの少年の手が、石碑をなぜていた。

 そして、その気づきに反応するように、ドクンと石碑が脈打ったようにおどろおどろしい気配を周囲に放った。


 警戒モードになったホムラが、携帯片手にじりじりと背後に下がる。

 少年幽霊もまた、ホムラの背後に隠れるようにして石碑をにらむ。

 はらりと、石碑に張り付いていた砂が舞う。苔むした石の肌を、真っ白な布が覆う。


 気づけばその石碑の上に、ホムラの復讐相手が、妖魔女王が座っていた。


 困った子ね――そんな言葉が聞こえてきそうな顔で、女はホムラと少年を見下ろしながら片頬に手を当てて首をかしげていた。

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