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妖魔女王

「……は?」


 怪物の腹の中から少年幽霊が現れたこと、さらには幻聴と思しき声が聞こえたこと。それらの事実に、とうとう自分は狂ったかとホムラは自嘲めいた笑みを浮かべた。

 きょろきょろと周囲を見回す少年と、目があった。その目が、きらきらと輝き――すぐに顔が引きつった。


「大丈夫、ホムラ⁉」


「呼び捨てとはいい度胸だな……」


 浮遊ではなく駆け寄って近づいてきた少年幽霊のことを、ホムラは睨む。その顔は、その身振りの多い動きは、ホムラの知る少年幽霊そのもので。けれど存在する二本の足が、それを使って地面を歩き、言葉を交わしているという事実が、ホムラに言いようのない違和感を突き付ける。

 すなわち、目の前のこいつは誰だ――と。

 少年幽霊もまた異常個体だったのか、あるいは少年幽霊に成り済ました何かか、他人の空似か。

 答えは出ず、それを探すようにホムラは少年の背後に見える怪物少女のほうへと視線を向ける。

 気が付けば雨は弱まっていて、明瞭になった視界の先で体のあちこちにゆっくりとヒビを広げながら彼女は立ち尽くしていた。


 少年が、ホムラの顔を覗き込む。その目には、生者のごとき輝きがあった。


「大丈夫……じゃないよね?」


「この姿を見て大丈夫だと思えるなら異常だぞ」


「でもそれだけ悪態をつけるのは通常通りだよね。痛くないの?」


「阿呆が。どうでもいいことを口にすることで痛みを紛らわせてんだよ……ッ、思い出させんじゃねぇ」


 脂汗がにじむ。全身の激痛が精神をさらっていこうとする。体がひどく冷えていた。死神の鎌が、死の気配が、近づいてきている気がした。


「……どういう、状況だ?」


 心に浮かぶ様々な疑問をすべてひっくるめたホムラの質問に、少年はわからないと首を横に振る。溜息一つ。

 意識が痛みにのまれそうになって、歯を食いしばってこらえる。まだ死ぬな。せめて、怪物に一矢報いてから――

 だが、現実は無常だった。血を失いすぎたホムラの命の灯は、もういつ消えてもおかしくなかった。

 もう一度、這って進む力はなかった。それどころか顔を上げているのもおっくうで、ホムラは頬から雨に濡れた地面に突っ伏した。

 遠くで、焦燥のにじんだ少年の声が聞こえた。幽霊なのかそうでないのか、さっぱりわからない、怪物とも言い難い異常な存在。

 そんな少年の叫び声を聞きながら、ホムラはゆっくりと死に向かって階段を下って行って――


 熱が、ホムラの手に触れた。

 涙をにじませた少年が、握ったホムラの手を持ち上げて、その額に血まみれの手の甲を押し当てる。複雑骨折している腕を雑に扱われた激痛で、ホムラの意識がわずかに覚醒する。

 そして、少年の体からあふれるエネルギーがホムラに流れ込んだ。


 それは、太陽の光のような温かさを持ち、海のような包容力を持ち、森のような緑のにおいがあり、そして多くの人々の思いがこもっていた気がした。

 白い光が、少年幽霊の体からあふれ出してホムラへと流れ込んでいく。

 ぼんやりと淡く光るホムラの体、その体内に白のエネルギーが浸透していく。莫大なエネルギーがホムラの体を活性化する。

 血が作られ、骨が修復される。まるで、あるべき形に戻ろうとするように、歪んでいた骨たちがひとりでに形を整える。骨が抜けた臓器が、あるべき場所へと収まる。


 ゆっくりと、ホムラは目を開いた。

 痛みはもう、どこかに消えていた。

 純白の光が、視界の先、少年から自分の腕へと流れ込んでいるのをホムラは見た。

 それは美しい、太陽の光のようだった。

 温かな光は、ゆっくりと解けるように空中へと消えて行って。

 そしてホムラは、自分の体から完全に痛みが消失していることに気づいた。


「…………何をした?」


 状況が全く飲み込めないホムラが少年を睨み、気づく。少年の姿が、薄れていた。その体はもともとのように薄く透き通り、足は揺らいで形が見えず、元の幽霊の姿にすっかり戻ってしまっていた。

 口をパクパクと開閉する少年だったが、もちろんその声がホムラに聞こえることはない――はずで。けれどホムラは、他の誰にも聞こえないはずのその声を、聴いていた。

 少年がいまだに声を届ける力を持っているのか、それとも自分がさらにおかしくなったのか――大事なことだったが、その議論を後回しにしてホムラは立ち上がった。

 血に染まった赤い白衣を翻し、ホムラはゆっくりと前に歩き出す。

 その先、動きを止めていた怪物少女のもとへと。


 まるでホムラに浄化されるように、近づくほどに少女の体から伸びていた漆黒の腕が霧散していった。

 黒い霧が散って、ホムラの体表から上る白い光の粒子と混ざり合って遠くへと吹き抜けていく。

 そのエネルギーが、まるで再生させるように世界をあるべき形へとゆっくりと戻していく。


 壊れた建物が、修復されていく。押しつぶされた大地が盛り上がる。

 世界が、怪物少女の存在などなかったように復元される。

 そんな光景を視界に収めながら、ホムラは戻っていく世界の中でさらなる一歩を踏み出した。

 固まる少女の前に、たどり着いて。


「引っ張って!」


 立ち尽くしたホムラの視界の端で、まるで綱引きをするような動きを少年が披露する。

 ずぼりと何かに手を突っ込んで、引っ張り、引っこ抜く。

 完璧な身振りだと苦笑し、そもそも話せるのだから説明だけでいいだろうと思いながら、ホムラは怪物少女の闇の中に腕を突き刺した。腕は、少女の体を貫通することはなかった。まるで、その細い胴体の奥に巨大な空間があるように、腕は肘まですっぽりと闇に飲み込まれた。

 感覚は、なかった。まるでそこにはなにもないように、熱も風も感じなかった。

 腕を、闇の先で動かす。指先が、衣服のようなものに触れた。

 少年が引っ張れと身振りで示す。

 つかんだそれを、ホムラが勢いよく引き寄せる。

 ひどく重いそれが、闇の先から現れる。

 見覚えのある男性は、この建物の二階に居を構える会社員だと気づいた。それから、次々と人を引っ張り出す。一体どれほど食らっていたのかと思うほど、実に二十人近い人間を闇の中から引っ張り出した。

 一人取り出すごとに、少女の存在感とでもいうべきものが弱くなっていくのをホムラは感じ取っていた。これが正しいと、そんな確信を持ちながらホムラは人間の救出を続ける。それとともに、体の中にある温かな熱が、力が消えていくのを感じていた。

 濡れた衣服のせいで体温を奪われる。

 寒気を感じながら、ホムラは最後の一人を引き抜いて、そして。

 ピシ――少女の体表全体に広がっていたヒビが不吉な音を響かせる。

 少女は、泣いた。どろりとした真っ黒な液体を双眸からこぼしながら、泣いていた。

 その顔は、ひどく悲しげだった。


 ゆっくりと砂になるように、少女の体が歪み、崩れ、失われていく。


 ようやく終わったかと、道路の真ん中に最後の一人を積み上げながらホムラが息を吐いて――動きを止める。

 風が吹いた気がした。髪は、揺れていない。街路樹が枝葉を打つこともない。けれど、確かに、不吉な風が吹き抜けた。

 それを証明するように、怪物少女だった砂が、ひとりでに巻き上がる。そこに、世界をただすように動いていた


 見覚えがあった。

 つい最近、見た光景に酷似していた。


 ホムラの心に、怒気と歓喜が沸き起こる。

 復讐相手の出現を感じて、強く拳を握りしめた。

 今のこの状況なら、幽霊女に一矢報いることができるだろう――そう考えて、ホムラが走り出す。


 白と黒の霧が、怪物少女の砂とまじりあい、一人の女の姿を作り出す。

 ホムラの敵、復讐対象であるあの女が、現れて。


「……お母さん?」


 少年が、ぽつりとつぶやいた。

 ホムラが、女の顔面に向かって拳をふるって。

 その拳が、女の手に軽く押しやられ、軌道がそらされる。つかまれ、ひねられ、そして気づけば、ホムラは背中から地面に叩きつけられていた。肺から強制的に息が吐きだされる。

 投げられたのだと、そう理解して。

 起き上がろうとしたホムラの視界に、茫然と女を見つめる少年幽霊の姿が目に留まる。


「お母さん、つったか?」


 先ほど耳に飛び込んできた少年の言葉をつぶやいて。

 ホムラは再び戦闘態勢に入るとともに女のほうを睨んだ。

 対照的なふるまいを見せるホムラと少年を見て、女はゆるりと笑み崩れた。その顔は、かつてホムラたち家族に向けた殺意と狂気のこもったものではなく、優しげな、愛する家族を思う瞳だった。

 寒気がした。胸の内がむかむかして、続いて強烈な吐き気がホムラを襲った。

 気持ち悪くて仕方がなかった。脳裏に焼き付いている女の顔と、今女が浮かべている表情のギャップが、気持ち悪かった。女の親愛の視線が自分に向けられているということが気持ち悪かった。自分が化け物へと一歩を踏み出してしまったような気がして、自分のことが気持ち悪かった。


 そんなホムラの心で渦巻く感情を知ってか知らずか、女はゆっくりとその口を開いた。


「こんにちは、子供たちよ」


 鈴のなるような声が、ホムラの耳朶を揺らす。その声に心地よさを覚えてしまった自分が気持ち悪くて、ホムラはとうとう嘔吐した。

 えずくホムラを前に、女は怒りを見せなかった。その目には、相変わらず慈愛があった。


「……お母さん、なの?」


 少年が、女へと一歩を踏み出す。

 待て、とどこか悲痛な響きをはらんだ声でホムラは少年に制止の声を投げかけた。

 少年の足が、止まる。どうして引き留めるのと、その視線がホムラに訴える。それを無視して、ホムラは口を手の甲で乱雑にぬぐいながら女をまっすぐににらんだ。


「お前は、何者だ?どうして、俺の両親を殺した?」


 まず聞くべきは、そこだった。それは霊能探偵ホムラにとって、何よりも重要なこと。そこを知らずに会話を続けるのも、親愛の視線を向けられるのも、我慢ならなかった。

 別の存在であってくれと、心のどこかでそう願いながら。口を出たホムラの言葉は、けれど女によってあっさりと否定される。


「私は……そうね、妖魔女王とでも呼んで頂戴な」


 殺意を向けられている状況でクスリとほほ笑む女に、ホムラは眉間の青筋を深くする。


「……俺の両親を殺した理由を吐け」


 もはやなりふり構わず、ホムラは女に言葉をたたきつける。女の笑みは崩れない。その視線に宿る感情も、変化はしない――のに。


「暇つぶしよ?」


 大したことじゃないと、そんな響きのこもった声を聴いて、ホムラはようやく理解した。幽霊――少なくとも目の前の存在は、人間とは程遠い怪物なのだと。人間性などどこかに落としてきた、あるいははるか昔に変質させてしまった人外の存在であり、人間の枠組みで測ることはできないのだと。

 隔たりを知って、怪物だと理解して。そしてようやく、ホムラは女に向けられる正の感情を無視することができた。

 一方、平然とホムラの両親を暇つぶしに殺したと告げた女――母親――を見て、少年幽霊は表情を凍り付かせていた。どうして、なんでそんなことをするの――揺れる視界の問いかけを、女、改め妖魔女王は理解しない。理解できない。

 なぜなら、そんな感情は遠い過去に捨ててきたから。


「で、妖魔女王つったか?なんだそれは?」


「妖怪、妖、魔物、悪霊、怨霊……そう言った怪物たちの女王よ?すごい地位なのよ?」


 ほめてくれてもいいのよ、と語る女の視線を無視して、ホムラは考える。女のことを、そして、視線の先に存在する少年幽霊のことを。

 ホムラの予想が正しければ、目の前の女と少年に血のつながりはない。それは容姿の違いや雰囲気の違い、そして何より、幽霊としての歴史の違いを感じられたからだった。おそらくはまだ幽霊になって間もない少年が、長く幽霊として存在していそうな女と血の繋がりを持っていることはないだろうと、そう思って。


「……つまり、すべての幽霊やらの母親、ってことでいいのか?」


 そのとおりよ、と女が胸を張ってホムラの言葉を肯定する。白いワンピースの裾がひらりと揺れる。蠱惑的な笑みが、ホムラにはひどく不気味に見えた。


「そして、私にとってはあなたたちは二人とも私の子供なのよ。私が干渉して生み出してあげた幽霊君と、力のかけらを埋め込んであげた――」


「どうして俺に力なんて与えた⁉」


 向けられた視線、続く言葉をすべて振り切るようにホムラが叫ぶ。寒さに小さく体を震わせる。それはきっと、言葉を遮られた妖魔女王から漏れ出た殺意が理由ではない。


「じゃあ死にたかったのね?」


「そうじゃ……そうじゃねぇッ!どうして幽霊のお前が俺の家族を殺して、俺に力を分け与えるなんてことをしてんだよ。幽霊は幽霊らしく、生者に迷惑をかけることなく生きていろよ」


 生者は死者を煩わさるべからずだと、ホムラは心の中で思う。

 それは、霊能探偵ホムラにとっての芯となる言葉。死んだ人間が、生きている人間の心の重しになってはいけない。死んだ人間が、生者にかかわるなんてことはあっちゃいけない。そんなことが許されるから、自分たち家族のような被害者が出るのだから――

 だからホムラは、その例外であった女を、妖魔女王を憎み、そして排除したいと願っていた。

 だが、どうしようもなかった。ホムラはただ、霊が見えるだけ。その力は霊視以外何もなく、こうして幽霊たちと言葉を交わせている現状が奇跡だった。

 ただの人間が、長きを生きたせいか存在の格とでも呼ぶべきものが違う妖魔女王に勝てるはずがなかった。


 けれど、だとしても。

 ホムラは諦めない。絶対に女を、妖魔女王と名乗るその存在を許さないと、そう心に誓って。

 ザザ――ノイズが走るような音がした。

 女の姿が、一瞬ぶれる。


「あら、もう××りな×ね――」


 言葉が、とぎれとぎれになる。その存在感が、急速に消えていく。

 逃げられる。

 そう判断したホムラが、一歩を踏み出す。

 女は、駆け寄ろうとしてくるホムラを見てはいなかった。なぜかその視線は高く、近くの建物の上を見ているようだった。

 にこりと、女が誰かに笑みを向ける。

 そうして一足早く、女はその体を塵に変え、白い粒子が風に乗って散っていく。


「くそッ」


 また逃がしたと、ホムラは行き場のない怒りを己の膝に向け、強く叩いた。


「……だい×ょうぶ?」


 少年の声を聴いて、ホムラはゆるりと顔を上げる。道を失った迷子のように不安げな顔をした少年が、ホムラを見ていた。

 お前こそ大丈夫か――そう思って。けれど、泣きそうな顔をしている少年は全く大丈夫そうには見えず、ホムラは出かかっていた言葉をのどの奥へと押し込んだ。


「お前は、あの女に生み出された記憶があるのか?それとも、何かつながりのようなものを感じたのか?だとすれば、どうしてさっき母親だと思った?前の時にはそう感じなかったのか?」


「え、そ×は×××××――」


 少年の言葉が、風にかき消されるように弱くなっていって、そして、とうとうホムラの耳に届かなくなった。

 ホムラの眉間に、しわが寄る。その表情と、語り終えてもホムラが尋ね返さないことを疑問に思った少年は、考えた末に答えに行き当たった。

 すなわち、ホムラとの間に会話が成立しなくなってしまったと。

 慌てた顔で少年が言葉を紡ぐ。

 その声は、ホムラにとは届かない。

 走り寄った少年が、ホムラの耳に言葉を投げかける。その声は、ホムラの耳朶を揺らすことも、耳に息を吹きかけることをもなかった。

 少年の手が、ホムラの体をすり抜ける。

 がりがりと髪を掻いたホムラが胸ポケットからこっくりさんの紙を取り出す。それは当然ながら雨と血でべっとりと湿っていて、取り出した瞬間に破れ、使い物にならなくなった。


 べちゃりと音を立てて地面に転がったそれを見ながら、ホムラと少年幽霊は立ち尽くした。

 そこに、二人をつなぐコミュニケーション方法はなかった。


 幽霊と、人間。

 本来は交わることない両者の間に、そうして再び溝が築かれた。

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