三毛島寧々子(5)
結局、狗賀君には私の方から連絡先交換を持ち掛けた。
というのも、普通に放課後の来訪予定が知りたかったのだ。
そうしてアプリの友達リストに【狗賀拓海】の名前が追加される。ちなみに彼のアイコンはサバの味噌煮の写真だった。本当に好物なんだなと思ってほっこりしたのはここだけの話。
そんなわけで五月も下旬に差しかかり、少しずつ日差しの暑さを実感し始めた頃。
私はボトルの中身をホットコーヒーからアイスコーヒーに入れ替えた以外は、特に変わることなく平日放課後は第二資料準備室で執筆作業を進めていた。
なお、狗賀君は放課後は部活のためほとんど来れないようで、こちらとしても作業の邪魔が入らずに集中できている。逆に昼休みはほぼ毎日来ているため、必然的に一緒に昼食を取ることとなった。
ちなみに私はほぼ購買のパン食なのだが、狗賀君はお弁当持参である。
聞けば自分で作っているとのことで、私はそれを聞いた時には内心「料理まで上手いとかモテ属性に隙がないな……」と感服したものだ。
「まぁ前日の残り物を詰めてるだけだし、大したことないけど」
「いやぁその台詞が出てくるのは男子高校生としてハイレベルだと思うよ……?」
私はコロッケパンをもそもそ食べながら、彩の豊かな狗賀君のお弁当箱を見つめる。
きんぴらごぼうに卵焼き、ほうれん草の白和えにメインおかずは鮭の塩焼き。
二段弁当箱の下段は白米に海苔と、文句のつけようもない和食の布陣である。
「そういう先輩はいつもパンだな。飽きねぇの?」
「飽きるけど、お弁当用意する時間があったら寝てたい」
正直に話せば、狗賀君は「あー先輩、朝弱そうだな」と笑う。失礼な、という気持ちと実際その通りなので言い返せない歯がゆさから、私は無言でコロッケパンに齧りついた。
確かに連日食べていれば飽きは来るけど、幸いにして我が高の購買部は総菜パンの種類が豊富だ。
甘いのとしょっぱいのでローテーションを組めば特に苦痛は感じない。栄養の偏りは感じるけど。
「……先輩」
「ん?」
「はい、口開けて」
その言葉と共に箸に摘ままれた状態で差し出されたのは、綺麗に巻かれた黄色い卵焼き。
思わず卵焼きと狗賀君の顔を交互に確かめた私は、当然断ろうとしたが――
「食べて」
思いのほか圧力を掛けられ、仕方なく言われるがままに口を開けた。放り込まれるそれをゆっくり咀嚼すれば、優しい甘さが口の中に広がる。どうやら狗賀君の家の卵焼きは甘い味付けのようだ。
「どう?」
「ん……うん、美味しい……これ、狗賀君の手作り?」
「そうだけど」
「甘い卵焼き久しぶりに食べたよ。その、ありがとう。ごちそうさまです」
飲み込んでから返事をすれば、狗賀君は満足げな笑みを浮かべる。
その表情を見ると多少強引なことをされても怒る気が湧かず、なんだかんだと赦してしまうのが悩みの種だ。
勿論、本当に無理な時は断るが、狗賀君のワガママは基本的に他愛ない。
「あ、お箸洗ってこようか?」
狗賀君が食べ始める前だったので促されるままに抵抗もなく差し出された箸を口に含んでしまったが、冷静に考えると間接キスだった。私は手を伸ばして狗賀君からお箸を受け取ろうとする。
だが、彼はそんな私の手を躱して、なんとそのまま自分のお弁当を食べ始めてしまった。
思わず赤面する私に、狗賀君は平然とした顔で言う。
「気になるなら、次からは先輩用の箸も持ってこようか?」
「いやそういう問題じゃないと思うんだけど!?」
「……先輩は俺と間接キスすんのそんなに嫌?」
「や、その嫌とかじゃなくて……! 男の子とそもそも間接キスとか……ハードル高いっていうか」
異性と間接キスなど初体験である。しかも相手はあの狗賀拓海。
これで動揺するなという方が無茶である。嫌悪感がないのは認めるが、だからといってほいほい許容するほど私と狗賀君の関係値は親密ではない。と、思う。たぶん。
しかしなんとなく狗賀君はそういう理由では納得してくれないような気がしていた。自分でも何故ここまで謎に懐かれているのかは分からないが、狗賀君は明確に私との距離を詰めて来ようとしている。それ自体はもちろん嬉しい気持ちもあるが、いかんせん速度が異常なのだ。もっとスローペースにして欲しい。切実に。
そんなことを脳内でつらつら考えていた私はしばしの間の後、
「じゃあ、私が自分でお箸持ってくるから。もしおかず分けて欲しくなったら申告する」
無難な代案を出した。
狗賀君はそれに「ん、了解」と頷くと何事もなかったかのように食事を再開する。
ホッとした私も食べかけのコロッケパン攻略に戻り、部屋には自然とゆったりとした空気が流れた。
初めて会話してからそろそろ二週間。
速度こそ緩めて欲しいと思いつつも、ぶっちゃけ私は狗賀君との付き合い方に慣れ始めていた。
そしてたぶん、狗賀君も私と一緒に居ることにだいぶ馴染んでいる節がある。
だから沈黙も別に気まずさはない。お互いに好きな時に話しかけて、それ以外は自分のしたいことを勝手にするだけだ。
「狗賀君、今度お礼にパン驕るね。何がいい?」
「あー……先輩のおすすめは? 俺普段購買利用しないから、そもそも何があるのか知らねぇわ」
「甘いのが好きならクリームサンドメロンパンがおすすめかな。しょっぱいのなら王道だけど焼きそばパンとか」
「じゃあ、そのメロンパンで」
「了解。明日も来る?」
「たぶん」
「なら明日にでも買っておくね。もし来れなくなったら連絡入れて」
「ん、分かった」
頷く狗賀君はいつの間にかお弁当をほとんど平らげていた。体育会系の男子だからか食べるのが早い。けれどがっついている感じはしないのは、きっと箸使いなどの所作が綺麗だからだろう。
こういうところからも彼の育ちの良さが窺える。
「あ、先輩」
「なに?」
「先輩の好きな弁当のおかずは?」
急な質問に面を食らいつつも、すぐに狗賀君の意図を察した私は素直に答える。
「ハンバーグとかミートボールとか、肉ダネを使ったおかずが好き」
「了解。覚えとく」
言って、狗賀君はスマホを弄り始める。
その顔はどこか楽しそうで、私は明日から自分用のマイ箸を持参しようと密かに決意した。
きっと美味しいおすそ分けが待っているだろうから。