狗賀拓海(4)
「つまり、先輩はプロの小説家ってこと?」
「――はい」
「で、大河さんっていうのが担当編集だと」
「――その通りです。ええ、その通りですとも」
お互いの定位置に戻り、俺たちは改めて落ち着いた形での会話を再開させた。
先輩は非常にバツの悪そうな顔をしながら、俺の質問に頷いてみせた。
対して、俺は素直に感嘆の声を漏らす。
「いや普通に凄くないか? 学生作家って」
「うーん、最近だとそれほど珍しくないんじゃないかな……狗賀君が知ってるか分からないけど、今はネットに気軽に小説とか投稿できるから。それ経由で出版社から声が掛かることも多いし」
先輩は本心からそう思っているのだろう。
謙遜した様子もなく、ただ事実を告げるような淡白さでもって答える。
「ちなみに本名で書いてんの?」
「まさか! ペンネームだよ」
「教える気は?」
「む、無理!」
頭の上で大きくバッテンを作り、先輩は断固拒否の構えを取った。
さらにそのまま肩を落とすと大きく疲弊のため息を吐く。
「仕事のことは友達にもほとんど言ってないのに……なんで余計なこと言っちゃったかなぁ私……」
「別に知られて困るようなことじゃないだろ。なんで秘密にしてんの?」
「……狗賀君は、ご両親に作文とか読まれても平気なタイプ?」
「あー……なるほど。なんとなく分かった」
身近な人間だからこそ知られるのが恥ずかしいという感覚なのだろう。
そんな先輩はボトルからトポトポと珈琲を自分のカップと俺のカップに足しながら、
「そんなわけで、私がこの部屋でやってるのは執筆活動なの」
と、連鎖的にこの部屋を根城にしている理由を明かした。
だがそこで当然の疑問が生まれる。
「……なんで家でなく、わざわざここで?」
ノートPCや珈琲をわざわざ持ち込んで作業するよりも、自宅の方が明らかに利便性がいいはず。
すると先輩は少し考える素振りをした後、
「えっと……実は我が家にはまだ小さい子がおりまして」
「小さい子?」
「……妹、なんだけど。まだ五歳なの。それで夕方に帰ると遊んで攻撃が凄くて……」
そう言って苦笑しながら、手にした珈琲入りのカップを傾ける。
確かに子供の相手をしながら執筆に集中するのは限りなく骨が折れそうだ。それなら最初から一人静かになれる場所を確保した方が効率はいい。
「事情は分かったけど、それが理由で学校から空き部屋の鍵って借りられんの?」
「あー……それはまた別というか、なんというか……」
気まずそうに目を泳がせる先輩。どうやら訳ありらしい。
追及しても良いが、今日は少し強引にことを押し進めた自覚はある。あまりしつこくして嫌われるのは避けたいので、俺は敢えて話題を変えた。
「じゃあ、先輩は基本的に放課後はいつもここで執筆してるってことだよな?」
俺が鍵について言及してこなかったことにホッとしたのか、先輩の口は滑らかに動く。
「あ、うん。とりあえず夏前までは仕事が立て込んでるから、放課後もだけど昼休みも大抵ここで作業したりしてるよ」
「昼休みも?」
「だいたいは。執筆してる時もあれば、ご飯食べつつ予習復習してる時もあるけどね」
「あのさ……これ聞いて良いかどうか微妙な気もするけど」
「ん?」
「先輩って、もしかして友達いないのか?」
自分でも大概失礼だと思いつつも流れでそう質問してみれば。
先輩は怒るでもなく、むしろどこか遠い目をしながらポツリと零した。
「……少ないけどちゃんといるよ。でも、みんな彼氏持ちだから……その、邪魔したくないし」
その一言ですべてを察する。うちの高校は偏差値が高い割に校則はゆるく、自由な校風だ。恋愛に関しても特に学校側で規制するようなこともないため、人目を気にせず恋愛する奴も珍しくない。
まぁその所為で俺も積極的にアプローチを受ける機会が多いわけだが。
しかし思いがけず良いことを聞いた。
実際のところ、放課後は基本的に剣道部の活動があるため、ここに来れる可能性は多くても週に一度が限界だ。だが、昼休みであれば比較的に自由が利く。
「――先輩」
「うん?」
「俺も昼休み、気が向いたらここに来ていい?」
そう言いながら、きっと先輩は流石に難色を示すだろうと思っていた。
しかし予想に反して、先輩は真意を確かめるように俺をじっと見つめた後で、
「……別にいいよ。じゃあ昼休みは基本、鍵かけないでおくから」
あっさりと許可を出してきた。
逆に驚きで軽く瞠目した俺に、先輩はこちらを安心させるように柔らかく微笑む。
「最初に言ったでしょ? 避難したくなったら来て良いって」
「それは……確かにそう言ってたけど。もっと嫌がるかと思ってた」
「んー……まぁ、もう隠すような秘密もないし。ここを占有するのも本来的には気が引けることだから――共犯関係、みたいな?」
それに、と先輩は続けて口を開く。
「狗賀君、初めて会った時からずっと疲れた顔してるから……休める場所は多い方がいいよ」
――ああ、まただ。
この人は本当に拒絶というものをしない。
受け容れて、ほどよい距離感を保ってくれる。
どこまでも居心地が良い。
今日だってそうだ。俺はたぶん、無意識のうちに会話の中で何度もこの人を試していた。
俺の言動のどこまでを赦してくれるのか計っていたのだ。
こんなことをするのは当然ながら初めてで、自分でも何故こんな風に彼女と接しているのか分からない。
ただ、ひとつ確かなことは。
もはや戯れではなく、俺は本気でこの人に好かれたいと思い始めている。
それほどまでにこの人の傍は――手放し難い。
「狗賀君……大丈夫?」
黙ってしまった俺を心配するように、先輩が声を掛けてくる。
俺は「大丈夫です」と応えながらゆっくり瞬きをすると、改めて先輩と目線を合わせて苦笑した。
「先輩、俺をあんまり甘やかさない方が良いよ。たぶん遠慮しないから」
「別に甘やかしてるつもりはないんだけど……」
どうやら無自覚らしい。それはそれで性質が悪い。今までの発言から彼氏どころか男の影すらいないようだが、彼女の人柄を知れば知るほど寄ってくる男は増えるだろう。
まぁ、俺の目の届く範囲では近づかせる気はさらさらないが。
「あ、そういえば」
先輩は俺の顔を覗き込みながら、言葉を続ける。
「今日のゲーム、狗賀君の要望ってなんだったの?」
「……知りたいですか?」
「うん。気になる」
コクコク頷いて俺の言葉をじっと待つ先輩。
まるで好奇心旺盛な小動物のような様子に、俺は本当のことを告げるべきかしばし黙考する。
すると不穏な気配を察知したのか、先輩が「あ、やっぱり無理に言わなくてもいいよ?」と日和りだした。いったいどんな想像をしたのだろうか。
俺は軽く肩を竦めながら腕を組んだ。どうも先輩を前にすると手が勝手に動いてしまうので。
「――連絡先、教えて欲しい」
「へ?」
「今日の要望。まぁ、負けたから聞けないけど」
「え!? な、なんかその……ごめん?」
「ハッ……なんで先輩が謝ってんだよ」
俺は思わず声を出して笑った。すると彼女はそんな俺の態度に目を丸くして。
「狗賀君って……そんな普通の男の子みたいに笑うんだね」
そう言って、自分の方こそ普通の女の子みたいに嬉しそうに笑った。