狗賀拓海(3)
正直なところ、歓迎されていないことは承知の上だった。
普段は黙っていても相手の方から勝手に近寄ってくるため、俺は自分から誰かに働きかけること自体あまり慣れていない。それでも珍しく他者に興味を抱いたから、積極的に動いてみようと決めた。
まだたったの三回目。時間にしたら数時間にも満たない。それなのに。
『いらっしゃい、狗賀君。待ってたよ』
『私の好みだから少し濃いめだけど、良かったらどうぞ』
『前の質問の時に苦手な食べ物はゲテモノ以外ないって言ってたから、珈琲飲めるかなって』
ごく当たり前のことのように降りそそぐ言葉と行動が、こんなにも俺の胸を満たすことをきっと彼女は知らない。
いつも外見や上辺の評価ばかりが先行して、俺自身と向き合ってくれる人間は想像以上に少ない。女子ならなおさらだ。打算まみれのアプローチを受け続けていると、俺の中身なんて心底どうでもいいんだろうなという諦観にも似た感情が湧き上がって虚しくなる時がある。
それでも好意は持たれているのだし、贅沢な悩みと言えばそれまでだが――
「……俺、先輩のこういうとこスゲー好き」
結局、俺は我儘なのだろう。彼女が俺の中身を知って、その情報を基に気配りしてくれたことが嬉しくてたまらない。
思わずついて出た俺の言葉に、先輩は一瞬、その大きな垂れ目を驚きで見開く。さらに遅れて頬から耳にかけて火が付くように赤く色づいた。この人は本当に顔に出やすいな。
「くっ……狗賀君って、本当は凄く女の子を口説き慣れてる人なの……!? その、チャ、チャラ男的な……っ!」
「……チャラ男って言われたのは流石に初めてだし、別に口説き慣れてるつもりはないけど?」
「え、じゃあ天然でこれなの……? それはそれで怖いんですけど……」
先輩は赤から青へと顔色を変えながら、何故か若干引き気味に俺を見る。何か大きな勘違いをされているような気もするが、ここで訂正に回っても逆効果な気がしたので敢えてスルーすることにした。
「そんなことより先輩、今日の本題は忘れてないよな?」
「! も、もちろん忘れてないよ! ちゃんと準備もして来たし……」
「じゃあ早速ゲーム始めようか。前回同様のルールでいい?」
「狗賀君が私の質問に三問答えられたら、私が狗賀君の要望を一つ叶える……だよね?」
「そう。今回も先に要望言った方が良ければそうするけど?」
「うーん……出来ればその方が私は楽だけど、なんかフェアじゃない気が……」
相変わらず謎のフェアプレー精神。というか、自分の中でのルール付けみたいなものだろうか。
先輩はしばし悩んだ後で、
「本気で勝負したいから、敢えて聞かないでおく」
と首を横に振った。俺は「了解」と返しつつ先輩が寄越したカップの珈琲に口をつける。あ、美味い。たぶんこれインスタントじゃなくて豆から挽いてるやつだ。苦みと酸味のバランスが良い。
「先輩、これ美味い」
「ほんと!? よかったぁ、珈琲って結構好み出るからホッとした」
照れくさそうに笑って自分のカップを傾ける先輩を眺めながら、こういうひと時は非常に貴重だなと感じた。なんというか、贅沢な時間の過ごし方のような気がする。ポケットから出したスマホで時間を確認すれば、今は十六時半を回ったところだ。まだまだ猶予はある。
「狗賀君? 始めても大丈夫?」
先輩の声で顔を上げれば、彼女もいつの間にかその手にスマホを持っていた。どうやら準備というのに関連しているようで、手元でぽちぽちと弄っている。おそらく質問表のようなものを作ってきたのだろう。
「どうぞ、遠慮なく」
「ん、じゃあ本当に遠慮なく。……一問目、狗賀君の中学の頃の恥ずかしいエピソードを教えてください」
「中学の頃、か……」
中学時代のエピソードと言われても、それほど記憶に残っているものは多くない。その中で一番条件に合いそうなものを思い出しながら、俺は珈琲をもう一口飲んだ。
「中一の時に女装させられたこと、とか?」
「女装! なにそれ詳しく!!」
急にテンションが上がる先輩。どうやら女装が琴線に触れたらしい。
「文化祭の劇の衣装合わせで男子全員何故か女装する流れになったんで、その一環で」
「しゃ、写真とか持ってないの!? すごく見てみたいんだけど……!」
「あー……」
自分のスマホには当然写真など無いが、写真を持ってる奴の心当たりはある。俺はめちゃくちゃキラキラした目でこちらを見てくる先輩の圧に思わずため息を吐いた。観念してスマホを操作し、ある男にメッセージを送る。
「今手元にはないんで、持ってそうな奴に声かけてみた。運が良ければそのうち返事来ると思う」
「え、ホントに? ここって普通に見せるの嫌がるとこじゃないの? む、無理してない……?」
「まぁ見られたいもんじゃないけど、取り立てて隠すようなもんでもないし。先輩になら別にいいよ」
「いっ……いちいち言い方が特別扱いっぽく聞こえて、その……照れるんですけど……っ」
先輩は両手で持ったスマホを額に当てながら、ぼそぼそと呟く。動くと揺れる柔らかそうな薄茶の髪に触りたいという率直な欲求に駆られつつ、俺は畳みかけるように言った。
「実際特別扱いしてるし。俺、他の奴に頼まれてもたぶん写真見せないから」
すると先輩は勢いよくスマホに額を叩きつけた。ぺちん、と間抜けな音が響く。
「…………狗賀君」
「なに?」
「私のキャパが限界を超えそうだから次の質問に移ってもいいかな……」
何のキャパが限界なのかは知らないが、別に断る理由もないので「いいけど」と返す。
「に、二問目……狗賀君の理想の……き、キスのシチュエーションを教えて、ください……」
言いながらも先輩はずっとスマホで顔を隠して伏せたままだった。まぁ確かに質問する側もそれなりに恥ずかしい質問のような気はする。相手によってはセクハラまがいだし。
しかし人の嫌がる質問の基本はプライベート関連や性的嗜好関連だろう。なので先輩が俺に勝つためにこの質問を用意したというのは納得が出来る。
だが俺は別に先輩からならば、その辺りの質問をされることに対してさほど抵抗がない。
俺は俯く先輩の旋毛をじっと見つめながら、淀みなく答えた。
「好きな相手なら別に場所もシチュエーションも問わない。強いて言うなら、人に見られる趣味はないから二人きりになれる場所が良い。あと邪魔が入らない場所」
「ひぇ……めちゃくちゃ実践的だぁ……!」
先輩はそろりと顔を上げながら、スマホ越しに俺のほうをチラリと見た。バッチリ目が合ったので、俺は少し身を乗り出して、トドメの一言を放った。
「――なんなら、今ここで試してみる?」