狗賀拓海(2)
「今自覚したんですけど、俺先輩みたいな人が好きですね」
俺の言葉に、真っ赤になって目を丸くしている三毛島先輩。
それをほど近い距離で見つめながら、ああ、やっぱり良いなと改めて実感する。
肩ひじ張らない先輩との会話は楽しい。
打てば響く反応も、くるくる変わる表情も、決して大きくない、でも聞き取りやすいリズムで紡がれる声も。
何もかもが好ましい。
女子相手にこんなことを思うのは初めてだった。
彼女のことをもっと知りたい。
それと同じくらい、俺にも興味を持ってもらいたい。
名前を聞いたときから思っていたが、彼女は俺にとっては警戒心の強い子猫のようなものだ。
仲良くなって、愛でて、あわよくば撫でたい。
先輩にこんなことを思うのは失礼かもしれないが、特にそのふわふわとした薄茶の髪に触れたかった。
しかし流石にそれをしたらドン引きされるのは目に見えているので、きちんと理性でもって押し留める。昨日の今日なのだから焦る必要はない。一歩ずつ確実に距離を詰めるべきだろう。
――それこそ、子猫と接するように。
まずは俺の発言がよほど衝撃的だったのか未だに二の句を告げられないでいる先輩に、助け船を出すことにしよう。
「……先輩? 大丈夫ですか?」
「えっ、あっ……う、うん!?」
「質問、次は俺の番ですが、先輩がしてくれてもいいですよ」
「ま、まだ続けるのこれ……? もう十分だと思うんだけど――」
「……なんならさっきの質問をもっと掘り下げても良いんですよ、俺は」
「それはやめてぇ! 私の心臓が持たないから……っ!」
先輩は俯きがちに「イケメンずるい怖い卑怯でも狗賀君はやっぱり顔が良い」などとブツブツ呟きながら、最後に大きくため息を吐く。どうやら先輩は俺の顔を高く評価してくれているらしい。容姿を褒められることには慣れているが、先輩からだと少しだけこそばゆい感じがする。
そんな俺の心の裡など知りようもない先輩だが、どうやら気持ちを切り替えたようで、その目には明らかな気概が見て取れた。
「じゃあ、私だって狗賀君が答えづらい質問するよ? いいよね?」
「望むところです。何でも聞いてください」
「分かった。じゃあ本気で考える……」
「あ、それなら軽くゲームみたいにしませんか?」
「? ゲーム?」
小首を傾げた先輩に俺は笑顔の裏で打算を始める。
さながら、こちらの気分は標的を追い詰める猟犬と言ったところだろうか。
「もし先輩が考えた答えづらい質問に三問答えられたら、俺の要望を一つ叶えてください」
「……それは……うーん……?」
先輩は俺の顔を見ながら、あからさまに「悩んでます」という顔をする。いや、正確には「警戒してます」の方だろうか。どうやらさっきの好みのタイプの話から、だいぶ慎重になっているらしい。
そこで俺は、
「ちなみに俺からの最初の要望は……タメ口で話す許可です」
警戒心を解くため先に要望について開示することにした。
するとどうやら要望の内容が予想外だったのか、先輩は「そんなことでいいの?」と拍子抜けしたように返す。
「質問に答えてもらうまでもなく、別にタメ口で良いよ? 私、そういうのあまり気にしないし」
「そうですか? でも、せっかくなんで俺はゲームを通して許可を取りたいです。いいですか?」
「んー……まぁ、狗賀君がそう言うなら」
先輩は一つ頷いて、手に持っていた空のカップをテーブルに置くと姿勢を正した。
「じゃあ、早速だけど質問するね? ――ずばり、今は付き合ってる子がいますか?」
「いません」
俺は即答した。すると先輩は「本当にあっさり答えるんだ……」と驚き半分、感心半分といった様子で声を零す。その直後、一転して眉根をきゅっと悩まし気に寄せた。
「これは意外と手強い……割と攻めた質問だったのに」
それで俺は「あ、この人ゲームに勝ちたいんだな」と直感した。思ったよりも負けず嫌い。そんな一面もまた、新鮮で好ましく感じる。俺は内心でほくそ笑みながら、
「もっともっと攻めて貰っても大丈夫ですよ?」
と見え見えの安い挑発をする。
それがどうやら先輩の闘争心に火をつけたようだ。面白いくらいに面白くなさそうな顔をした彼女は、余裕の態度を崩さない俺にジト目を向けながら、コホンと咳払いする。
「っ……気を取り直して、次の質問。……狗賀君が最近一番恥ずかしかったことは?」
「あー……」
「おっ! これはやっぱり答えにくいよね!?」
ややハイテンション気味な先輩が期待で目をキラキラさせる。
確かにこの質問は先ほどと違い即答出来なかった。しかし、別に答えづらかったわけではない。むしろ正直に言ったら先輩の方が反応に困るんじゃないだろうか。
だがルールはルールだ。俺はワクワクした様子の先輩にきっちりと返答する。
「最近一番恥ずかしかったことは――先輩に間近で寝顔を見られたことですね」
「…………あー……なる、ほど……」
「納得して貰えました?」
「……うん、そうだね。確かに寝顔みられるのって恥ずかしいよね。……なんか、ごめん」
「いや落ち込まなくていいですけど。別に嫌ではないですし」
「嫌じゃないんだ!?」
何故か大げさに驚かれた。別に嫌ではない。もちろん好んで見られたいわけでもないが。
……いや、先輩以外の女に見られるのは少し抵抗があるかもしれない。寝顔というよりも、隙を見せている時に何されるか分からないという意味で、だ。
「私だったら絶対に男の子に寝顔見られたくない……羞恥心で死ねるもん……」
俺はその発言を聞いて、そう遠くないうちに絶対に寝顔を拝んでやろうと心に決めた。
「それにしても、あっという間に三問目……狗賀君、本当に手強い」
先輩はそう言うが、俺からしてみれば彼女の質問は生温すぎる。もっとエグイ質問なんか腐る程あるはずだが、たぶん先輩の人柄的に思いつかないか、思いついても実際に聞こうとはしないのだろう。
しばらくうんうん悩んでいた先輩はやがて意を決したように目を開き、少し遅れて口も開いた。
「……じゃあ、三問目。――狗賀君がもし好きな女の子に告白するなら、どういう言葉にしますか?」
聞いて、なるほどと思う。確かにこれは結構厳しい質問かもしれない。
当然、茶化して答えるなら簡単だが今回はあくまでも真面目に返答するという前提だ。告白台詞は普通の男子高校生にはそれなりに高いハードルだろう。
――だが、それが俺に当てはまるかどうかはまた別問題だ。
俺はおもむろにソファーから立ち上がると、先輩のすぐ横に立った。
彼女は突然の事態に付いていけず、キョトンとした顔で俺を見上げている。
そこで俺は膝を折って先輩と目線を合わせると、一呼吸整えた後に質問の答えを提示した。
「――先輩のことが好きだ。俺と付き合って欲しい」
いくつか考えた候補の中で、一番ストレートなものを口に出した。
ちなみに俺自身から告白したことは過去に一度もない。
……だからだろうか。最初は口にするだけなら大して照れも動揺もしないと思っていたのだが――実際には、じわじわと自分の体温が上がってくるのを感じる。
しかし俺なんかよりも露骨に狼狽えて顔を真っ赤にしている人が目の前にいると、次第に冷静になるというものだ。完全に茹で上がったタコのようになった先輩に対して、俺はなんと声を掛けるべきか少々悩む。
が、ここまで来たらもう一歩、押してみることにした。
「なぁ、先輩……質問に答えたからこれでゲームは俺の勝ちってことでいいよな?」
「ひぇ!? は、はい……?」
「やっぱりもう一回言った方が良いか? 告白の台詞」
「っ――!?」
瞬間、先輩は反射的に後ずさろうとした。だが椅子に座っているためにバランスを崩して後ろに倒れ込みそうになる。
俺は咄嗟に腕を伸ばして彼女の背中に手を回すと、強引にこちらへと引き寄せた。
結果として先輩の華奢な身体を自分の胸に抱き込むような形になる。
「あっぶな……ッ! 先輩、大丈夫――」
言いながら視線を下げて先輩の顔を覗き込もうとする――が、目が合った先輩は頬を上気させた上に涙目で。思わず言葉に詰まる。
さらに抱き寄せた腰の細さや髪から微かに香る柔らかくて甘い香りに、柄にもなく無意識に喉が鳴った。
――マズい。それは本能的な判断だった。
俺は奥歯をグッと噛むと先輩の身体をそっと自分から離して、慎重に元の椅子に座らせる。
そして何事もなかったかのように、敢えて淡々とした声を出した。
「……驚かせて悪かった。怪我は?」
その言葉にようやく意識が正常化したのか、先輩が弾かれたようにコクコクと頷いて返す。
「ご、ごめんなさい! 私、変に過剰反応しちゃってうわああああ恥ずかしい……っ!!」
両手で顔を押さえながら「ああああああぁぁぁ……」と女子らしからぬ微妙な呻き声を漏らす先輩に、俺は逆にホッと息をついた。
正直なところ、ここで変に気まずさを引きずられたくはない。
今日は木曜日。明日はまた部活なので、次にこの部屋に来れるのはおそらく来週の火曜日だ。
少し間が空くことを考えると、なるべく次回も来やすい雰囲気で別れておきたい。
「別に気にしなくていいから。元はと言えば俺の所為だし」
「そ、それはそうだけど……! 私、先輩なのに翻弄されっぱなしでなんというか……っ」
「なんというか?」
「くっ……悔しい!!」
未だに瞳に水の膜を張りっぱなしの先輩にキッと睨まれる。やはりこの人、かなりの負けず嫌いだ。しかし柔和な顔立ちの所為で睨んでいてもまったく迫力がない。
というか――マジで、可愛い。言うに事欠いて悔しいって。そんな小学生みたいな。
俺はめちゃくちゃ頭を撫でたくなる衝動をなんとかやり込めながら、
「じゃあさ、来週もゲームしよう。リベンジマッチ」
と、さりげなく言う。さらに加えてダメ押しも忘れない。
「まさか逃げたりしないよな? 先輩?」
俺としては珍しく心からの笑みでそう告げれば、のせられやすい先輩は案の定、
「っ……ら、来週は絶対に勝つからっ!」
まんまと俺の誘導に従って、次も会って話をするという約束に同意したのだった。