狗賀拓海(9)
「――クリスマスとか正月とか、大事な日の予定はちゃんと空けて欲しいってこと」
唐突に横から差し挟んだ俺の言葉にポカンと口を開けて目を丸くする先輩。
学校で見る姿とは異なる服や髪形が大人っぽく新鮮で――正直、会場で目に映った瞬間に駆け寄って声を掛けたくて仕方がなかった。自分で言うのもアレだが相当重症だと思う。
それでも理性を動員して衝動を抑え込めたのは、偏に先輩にだけは格好悪いところを見せたくなかったから。特に剣道をしている姿を見せるのは初めてだし、好きな人の前で少しでも良いところを見せたいと考えるのは俺だってそこらの男どもと同じだ。
結果的に試合にも集中出来て、自分でも驚きだが明日の準々決勝まで残ったのは僥倖と言えるだろう。
とまぁ、それはさておき。
「……初めまして、狗賀拓海です。大河さん……で間違いないですよね?」
俺は先ほどから何となく俺たちに対して生温い視線を送ってきている女性に話しかけた。想像よりかなり若い。二十代前半というか、服装も踏まえると大学生くらいにしか見えない。
しかしこの場にいるということは、彼女が先輩の担当編集者で間違いない筈。
そんな俺の内心を見透かすように眼前の人物は実に愛想の良い笑みを浮かべた。
「どうも初めまして。三毛島先生の担当編集をしています、大河美虎と申します。今日の試合、とても素晴らしかったです。準々決勝進出もおめでとうございます」
喋ると途端に社会人感が増した。俺は軽く頭を下げて「ありがとうございます」と当たり障りのない返答をする。
ちょうどその時、店員が近づいてきたので俺は立ったままの状態で「アイスコーヒーをお願いします」と自分の分の飲み物を注文した。
それでようやく我に返ったのか、先輩が慌てたように座っている場所から右側に身体をずらした。
先輩たちが座っていた席は四人掛けのテーブル席だが椅子は二人掛けソファーのタイプだったため、少し詰めて貰わないと俺としては座りづらい状況だったのである。
「ごっごめんね狗賀君! 試合もお疲れさまでした! 座って座って!」
「ん、ありがとう」
断りを入れて先輩の隣に腰を下ろす。さらに手荷物であるスポーツバッグを足元に転がした。
ちなみに防具一式だが大会中は現地で保管して貰えることになっているので、荷物はこのスポーツバッグだけである。
そうしてようやく一息ついたところでタイミングよく頼んだアイスコーヒーが運ばれてきた。
喉が渇いていたため早速口を付けていると、
「いやぁ先生からお噂はかねがね聞いていましたが、近くで見ると本当に美形ですねぇ……読者モデルの仕事とか興味ありません?」
斜め向かい側から、本気なのか冗談なのか分からない世辞と勧誘が飛んできた。
俺はストローから口を離して淡々と答える。
「いえ、間に合ってます」
「それは残念。あ、そうそうこれ私の名刺です。良ければ貰ってください」
そう言ってテーブル越しの彼女が差し出したのは、俺でも名前を知っている大手出版社のロゴが入った名刺だった。部署名は文芸部第三文芸課とある。
この情報だけでは先輩の書いている小説のジャンルは分からない。少し残念だ。
「ちなみにうちの会社、かなり手広くやってるんで本当に読者モデルのバイトとかしたくなったら連絡くださいね? たぶん即採用間違いなしなのでー」
「はぁ……」
そう言われても別に興味はないし暇もない。俺の気のない返事に対し、目の前の女性は何故か悪だくみをするような表情をわざとらしく作った。
「でもほら、年末年始は何かと物入りになるかもしれないでしょう? 例えばクリスマスデートとか、初詣とか――ねぇ?」
「ああ……なるほど。それはそうかもしれませんね」
俺がチラリと目線を真横に向けると、先輩が焦った様子で明後日の方向へと顔を逸らした。どうやら俺たちのやり取りの意図は察せられたらしい。耳が少し赤くなっている辺り相当に意識しているのが感じられて俺が内心悦に入っていると、視界の端で大河さんがおもむろに立ち上がった。
「……さて、本当は色々と根掘り葉掘り聞きたい気持ちはありますがお邪魔虫になる趣味はないので、私は先に失礼させていただきますね?」
「え……っ!? ちょ、大河さん!?」
迷いなく鞄を手にした大河さんに驚きの声を上げたのは勿論、先輩である。
あからさまに動揺する先輩に対し、大河さんはニヤリと笑ってグッと親指を立てた。
「……先生、女は度胸ですよ! 御武運を!」
「いったい何の話してるんですか!?」
「そりゃあ私も女ですし? 青春の気配には敏感なんですよこれでも。ということで先生、後日ご報告お待ちしてますね~?」
主に先輩に向けてひらひらと笑顔で手を振った大河さんは、テーブルの上の伝票をさりげなく持つと「これは経費で落ちるのでお気になさらず~」と言い残し颯爽と歩き去ってしまった。
一連の流れとして相当に気を遣われたことは明白だったが、個人的には非常にありがたいのも事実。
何故なら今日、俺は試合に勝っても負けても先輩とこの話をするつもりだったからだ。
「――なぁ、先輩」
敢えて席を移動することなく、俺は横で所在なさげにしている先輩へとゆっくり話しかける。
一瞬、びくりと肩を揺らした彼女は、それでも数秒後には真っ直ぐ俺の方に顔を向いた。
「答え合わせ、しようか」