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三毛島寧々子(9)


狗賀拓海【ホームルーム終わったら来て】


 あまりにも端的な呼出。

 私は既読を付けてしまったことを後悔しながら、震える手で【了解】の猫スタンプをぽちりと押した。即座に既読が付く辺り、きっと狗賀君も今この瞬間、このタイムラインを見ているのだろう。


 私は追撃を恐れてアプリを閉じる。

 ホームルームは先ほど終わり、教室内の人数も既に半数を切っていた。そんなクラスメイト達の動きを自席でぼんやり眺めていると、ふいに横から声が掛かる。


「ミケ、どしたの? 帰んないの?」


 帰り支度を終えた玲於奈だった。私はへらりと笑う。


「うん。ちょっと寄るところが出来たから。玲於奈は?」

「これから下駄箱のところで彼氏と合流する。で、そのままデート」

「そっか、楽しんできてね! あ、夏休み一日くらいは私とも遊んでくれると嬉しいな」

「もち。ミケと違ってあたし専門志望だから夏休み暇してるし、いつでも連絡ちょーだい」


 可愛く笑って教室を出て行く玲於奈を見送りながら、私は思わず溜息を漏らした。

 だが気落ちしている場合ではないと即座に自分を叱咤し、荷物の詰まった鞄を手に取る。


 向かう足取りはいつにも増して重い。だが逃げるという選択肢もない。

 結局のろのろと進み、私は勝手知ったる第二資料準備室のドアを開けた。そして素早く中に入るとくるりと反転し、しっかり戸締りをする。そこへ、


「――先輩」


 予想していたことだが背後から声が掛かった。

 私は一度目を閉じた後、意を決して振り返る。


 ――あ、近い。そう気づいたのは、愚かにも動作の直後。


 目を開ければ自分の顔の両側に、褐色肌のたくましい腕が見える。

 反射的に半歩後ずされば、必然的に背中が入って来たばかりのドアへとぶつかった。

 見上げれば、端正な顔の少年が無表情のままこちらを見下ろしていて。


 いわゆるひとつの壁ドンだった。


 想定外の事態にバクバクと心臓が飛び出しそうなくらい跳ねている。

 私は持っていた鞄の持ち手部分をぎゅっと握り締めることで何とか落ち着きを取り戻そうと必死だった。夏の暑さとは関係ない喉の渇きと眩暈を同時に覚える。


「……そんなに怯えなくてもいいだろ」

「っ……お、びえてなんか、ないよ……?」


 嘘だ。私は怖かった。

 いつもと違う、こちらを追い詰めるような雰囲気の狗賀君が嫌だった。責めるような、でもどこか縋るような眼差しにどうしたらいいか分からない。

 こんな息苦しい状況から早く解放して欲しい――そんな私の切実な気持ちが伝わったのか、


「……ごめん、ちょっとやりすぎた」


 不意に狗賀君が謝罪と共に両手を上げて身を引いた。

 そして彼が数歩下がったことで生じた距離に思わず安堵する。


「怖がらせるつもりは……なかったとは言わないけど。ここまで追い詰めるつもりはなかった」


 ごめん、と狗賀君がもう一度口にする。

 やや俯きがちなその表情からは彼の後悔がありありと見て取れた。同時に怒られた時のしょんぼりした犬を思い起こさせる。

 それで反射的に慰めたくなってしまった私は、咄嗟に首を大きく横へと振った。


「こっちこそ変な態度取ってごめんなさい。それに廊下でのことも謝るのはむしろ私の方で……」

「……? 廊下でのことって?」

「その……初対面だって、嘘ついたこととか……感じ悪かったよね。ごめんなさい……」


 ここに向かう間中、実はそのことで頭がいっぱいだった。

 狗賀君との関係が周囲に知られると困るのは事実だ。けれど、だからと言って嘘までついて関係性を隠すことが正しいことだとも思っていない。

 あの時、廊下でずっと不機嫌そうにしていた狗賀君を思い起こすだけで、今も胸がグッと締め付けられる。私の態度の所為で嫌な思いをさせたことは明白だったから。


 もっと私に強さがあれば。周囲の反応など気にすることのない強さがあれば。

 こんな風に隠れてコソコソとする必要だってない筈なのに。


 けれど、そんな私の自責の念に対して狗賀君はどこか呆けたような反応をしてきた。


「そんなこと……気にしてたのか」

「全然そんなことじゃないよ! だって私、今や狗賀君から手作り弁当貰ってるくらいの仲なんだよ!? なのに他人のふりだなんて薄情だって思うでしょ、普通!」

「……それはまぁ、確かにそうかも」

「でしょ!? だから狗賀君は私に怒る権利があるんだよ!」


 自分で自分を非難するという私の可笑しな主張に狗賀君が目を瞬かせる。

 だがしばらくして、その表情は苦笑いへと変わった。


「先輩って、なんていうか……ホント一筋縄じゃいかないな」

「ど、どういう意味なのそれ?」

「毒気抜かれたってこと。あと、自分の了見の狭さに反省って感じだな……」


 そう言った狗賀君はいつの間にか穏やかな普段の狗賀君に戻っていた。

 先ほどまでの威圧感や、こちらを追い詰めるような気配は綺麗さっぱり消え去っている。

 どうやら彼の中の嵐は去ったと判断していいようだ。私は内心でホッと胸を撫で下ろす。

 が、その安堵も束の間。


「まぁそれはそれとして聞くべきことはいっぱいあるんだけどな」

「え? 聞くべきこと?」

「狐寺のこととか。知り合いだったんだろ? どういう関係?」


 言いながら狗賀君はいつものソファーへと移動し、腰を下ろすとその隣を二度ほど叩いた。どうやら今日は向かい側の椅子に座ることは赦されないらしい。

 逆らう理由を見つけられないため、私は鞄を床に下ろすと大人しく指示に従った。

 少し動けば容易に触れ合えるほどの至近距離に隣り合って座る。

 だけど先ほどと違って気まずさは感じない……それはたぶん、狗賀君がこちらを見る目や口調が柔らかいからだろう。


「狐寺君とは一年間図書委員会が一緒だったの。凄く社交的で話していて面白いよね、彼」

「……ペアを組んでたって言ってたけど」

「うん、放課後の図書当番でね。月に数回、一緒に委員会の仕事で貸し出し当番とかしてたよ」

「それにしては、かなり親し気じゃなかったか?」


 どこか面白くなさそうな声音の狗賀君に、私は「ああ」と補足する。


「えっとね……実は狐寺君、私の友達と付き合ってた時期があって。友達のことを色々聞かれたりしたから、喋る機会も多かったんだよね」


 言って、玲於奈の顔を思い浮かべる。

 昨年の秋から冬にかけて、玲於奈と狐寺君は付き合っていた。あまり長くは続かなかったようだが、交際期間中は玲於奈も図書室に来ては狐寺君の当番終わりを待っていたりしたこともある。

 そして狐寺君とは玲於奈の話題で盛り上がったりもしたので、私の中では男子というよりも友達の彼氏という側面が強い。だからあまり緊張せずに話せる間柄なのだ。


「むしろ私の方が驚いたよ。狗賀君が狐寺君と親友だったなんて」

「いや別にアイツは親友じゃない。ただの腐れ縁だから」


 否定する狗賀君だが、その物言いこそ仲のいい証なのだろう。

 確かに面と向かって親友なんて恥ずかしくて言いづらい気持ちは分かる――というか、狗賀君もそういうところは普通の男子高校生なんだなぁと知れて思わず親近感が湧いてしまった。

 こっそりほっこりする私。対する狗賀君が訝し気な目をこちらへと向けながら再び口を開く。


「……先輩は」

「ん?」

「狐寺と俺となら、どっちの方が話しやすい?」

「ええ!? 何その質問……!?」


 驚き目を丸くする私とは裏腹に、狗賀君の表情は真剣みを帯びていた。

 正直に言えば話しやすいのは圧倒的に狐寺君だ。

 でもそれは私が彼を男性として意識していないからに他ならない。しばし悩んだ末、私は極力素直に答えることにした。


「話しやすいという意味では、狐寺君だけど……」

「……だけど?」

「それは狐寺君がなんというか、男性として意識しなくて済むからで……」

「――ってことは、先輩は俺のこと意識してるから話しづらい?」


 数秒の沈黙を経て、私はコクリと頷いた。すると狗賀君が先ほどまでとは打って変わって上機嫌だと分かる声色で「先輩」と私を呼ぶ。

 頬が熱くなっているのを自覚しつつ恐る恐る視線を合わせれば、


「じゃあ意識したままで、もっと俺に慣れて。一緒に居ることが自然だと思えるくらい、いっぱい話もしよう」


 と心底嬉しそうに破顔した。……ああ、どうしよう。心臓が持たない。

 なんでこんな、一撃必殺みたいな笑顔を向けてくるんだ。これじゃあまるで狗賀君が私のこと好きみたいじゃないか。私の方は既に落ちてるのに、これ以上好きにならせてどうするつもりなんだ。


 脳内で理不尽かつぐちゃぐちゃした文句を並べたてながら、私は悔し紛れにいつもの儀式をすべく自分から狗賀君の髪へと手を伸ばす。

 不意打ちだったにもかかわらず彼はまったく避ける様子がない。むしろ恭順するかのように大人しく私の指先を迎え入れた。

 それで引くに引けず、すっかり撫で慣れてしまったその柔らかで艶やかな髪に私が無言で指を通していると、


「……夏休みの間、メッセージ送っていい?」


 狗賀君がそんなことを何気ない調子で言う。もちろん断る理由はない。というか嬉しい。

 ……そうだ、明日からは夏休みだ。

 狗賀君と次に会えるのは、おそらくインターハイの会場だろう。つまり二週間以上は先である。

 そのことに今更ながら――寂しい、と思ってしまい。


「うん……私からも送るね」


 私は嫌がられないことを祈りながら、少し伸びあがって狗賀君の首元に腕を回した。 




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