三毛島寧々子(1)
見切り発車で現代ラブコメ、始めました(冷やし中華風)
ひたすらイチャイチャを目指しますので、甘々ラブコメ好きの方はぜひよろしくお願いいたします!
我が高で最も有名な生徒を挙げるとしたら、異口同音で彼の名が飛び出すことだろう。
成績学年トップ、剣道は全国大会出場の実力者、おまけに家柄は古くから続くここら一帯の大地主。
やや近寄りがたい雰囲気はあるものの冷静沈着な性格で教師からの信頼も厚い。
そして何よりも抜きんでているのは、その圧倒的に優れた容姿だ。
やや癖のある黒髪に健康的な褐色肌。
切れ長の二重と黒曜石のような瞳、高い鼻梁、形の良い唇。
180を超える長身に加え、長くしなやかな手足と剣道で培われたと思われる細身だが筋肉質な身体。
まさに神が与えた奇跡のような美貌は見る者の目を釘付けにする。
――彼の名前は狗賀拓海。
そして今、私の目の前には。
「ね……寝てる……?」
一部の人間以外からは滅多に使用されない第二資料準備室。そこにある二人掛けソファーの上で。
誰あろう狗賀拓海が仰向けの姿勢で死んだように寝ていた。
あまりにも整いすぎた容貌に一瞬、新手の彫刻かと思ったくらいだ。
私は今しがた開けたばかりのこの部屋の鍵に目を落とした後、とりあえず振り返ってカチャリと内鍵を閉めた。
彼がどうしてここに居るのか分からないが、その顔色から色濃く疲労していることだけは分かる。
ならば事情を聞くのは起きてからでも良いだろう。どうせ今は放課後。授業に遅刻する心配はない。
私は彼を起こさないように静かに動きながら、部屋の奥に配置されている作業机で準備を始める。
鞄からノートPCと熱いコーヒーの入った水筒、さらに資料用の図鑑などを数冊取り出す。
PCを立ち上げながらコーヒーをカップに注ぎ、ひと口。それでスイッチが入る。
(……よし、今日も頑張ろう)
長年愛用の文書作成エディターを起動させた私は、次の瞬間には狗賀拓海のことなど完全に頭から追い出し。書きかけの文章を前にパチパチとキーボードを叩き始めた。
そうやって二度ほど水筒からお代わりのコーヒーを足しつつ、作業に没頭していた時だった。
ぎしり、と大きく何かが軋む音を聞き、私はPC画面から音の鳴った方へと顔を向ける。
すると起き抜けなのだろう。まだ少しぼーっとした様子の狗賀拓海がむくりとソファーから起き上がった。
彼は欠伸を噛み殺しながら首を軽く左右に振り、不意にこちらへと顔を向ける。
「――――――ッ!?」
そして、思いっきり目を丸くしていた。普段のクールな印象しか知らないので、そのギャップにこちらの方が驚いてしまう。なんというか……そう、その顔はとても可愛らしかった。
私は警戒されないように、野良猫に接するような感じでへらりと笑ってみせた。
「……よく寝てたから起こさなかったの。ごめんね、迷惑だった?」
「は? ……いや、そんなことは」
歯切れの悪い返答に、彼がまだ混乱しているのがはっきりと伝わってくる。無理もない。鍵をかけておいたはずの部屋の中に、起きたら見知らぬ女が我が物顔で居るのだから。
「驚かせてごめんね? 私は三年の三毛島寧々子って言います」
ひとまず自己紹介。制服のリボンの色から学年は判別できるかもしれないけど念のため学年も添える。二年生の彼からすれば私は先輩に当たるのだが――
「……狗賀拓海です」
未だに警戒心は見せつつも、律儀に名乗り返してくれた。それがちょっと嬉しい。
「うん、知ってる。狗賀君は有名だから」
「そう……ですか」
「えっと、とりあえず私がこの部屋にいるのはね、普段からここを作業場にしているからなの」
何から話したらいいか迷いつつ、とりあえず狗賀君目当てでここに居たのではないと言い訳をすることにした。いつも女の子から熱い視線や、場合によってはスキンシップに見舞われている彼からすると、そこが一番気になるだろうから。
彼は私のことを観察するようにじっと見ながら、目線だけで続きを促してくる。やはり口数自体はあまり多いタイプではないのかもしれない。
「部屋に入れた理由もね、私がここの鍵を持っているからだよ。いつもは施錠してるんだけど、今日は鍵が開いたままだったのかな?」
そうじゃなければ、狗賀君がこの部屋に入ることは出来なかったはず。そう思って机の上に置いておいたこの部屋の鍵を見せつつ尋ねてみると、彼は僅かに間を置いてから首肯した。
「……開いてましたね。なので、ちょうどいいと思って使わせて貰いました」
「休憩に?」
「まぁ、そんなもんですね。あとは避難も兼ねて」
あ~……と、私は想像を働かせながら苦笑いを返した。
おそらく積極派女子たちから追い掛け回されでもしたのだろう。モテるというのも大変だ。
そこまで考えてから私はPCのモニタの右端に目を落とす。時刻は午後六時を回ったところだ。カーテンの隙間から窓の外を見れば、すっかりグラウンドが夕日に染まっている。
「もう六時過ぎてるし、たぶん校内に人はあまり残ってないと思うよ」
「……お気遣い、ありがとうございます」
「いえいえ」
私はひらひらと手を振った後で、PCを操作してファイルを上書き保存し、電源を落とす。
そして残ったカップのコーヒーを流し込むと、速やかに帰り支度を始めた。
「私はそろそろ帰るけど、どうする? まだ居るなら鍵も貸すけど?」
「あー……いえ、俺も帰ります」
「ん」
まだ半ば怪訝な顔を覗かせる狗賀君を横目に、私は努めて冷静に戸締り確認などを行なった。本音を言うと、今すぐ走ってここを立ち去りたい。私だってよく知らない男の子と喋るのは久しぶりだし正直めちゃくちゃ緊張しているのだ。
しかも相手はよりにもよってあの狗賀拓海である。
校内屈指の人気者で雲の上の存在なのだ。こんな密室で二人きりのところを彼に惚れてる過激派女子に見られた日には、どんな酷い目に遭うか分かったもんじゃない。
それでも年上なのだから自分の方が落ち着かなければと、理性をフル稼働させる。どうせここを出たらもう二度と話をする機会なんて来ないような相手なのだから、本当はこの振る舞いだって大して気にする必要はない……のだけど。
せっかくなので、出来れば「いい先輩」っぽく終わりたい。
「忘れ物とかない?」
「大丈夫です」
短いやり取りをして一緒に室内を出る。
私は慣れた手つきで鍵をかけると、最後に狗賀君を正面から見上げた。
「じゃあ、気を付けて帰ってね。もし避難が必要になったら、いつでも来て良いから」
最後のは当然、リップサービスである。どうせもう来ないだろうと高を括っての発言。
しかし予想外にも彼は少し目を見開いた後で、
「……良いんですか?」
と念を押すように聞いてきた。私は内心ではかなり動揺しつつも、
「も……もちろん! 別に私の私物の部屋ってわけじゃないし」
と、あくまでも微笑みながら先輩ムーブを継続する。というか、せざるを得なかった。自分から言い出しておいて「ごめん、やっぱり来ないで」とは流石に言えない。嫌な奴すぎる。
すると狗賀君は笑顔を張り付けたままの私をじっと見下ろした後で、
「じゃあ、遠慮なく」
そうハッキリと言った。
ぶっちゃけ、早まったかなと思ったけど一度口に出してしまったものはもうどうしようもない。私は引きつりそうになる笑顔を無理やり押さえ込みながら「うん、気が向いたらどうぞ」とだけ返してさっさと背を向け歩き出した。意図的に彼を置き去りにして。
彼の気配が背後で遠ざかるのにホッとしながら、私は「まぁたぶん社交辞令でしょ! 来ない来ない!」と心の中で強引に笑い飛ばす。
なお、人はこれをフラグという。
――次の日の放課後。
「……い、いらっしゃい」
「お邪魔します」
小さく叩かれた引き戸を開けてみれば、そこには昨日よりもどこか楽し気な雰囲気を纏った狗賀君が立っていた。