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伝説のレース、再び

 そして、レースの当日がやってきた。


 雲一つない晴天。レース会場は完璧なコンディションに整えられ、辺りは詰め寄せた観客が今か今かと開戦を待ちわびる熱気であふれていた。

 「この場所でもう一度走ることができるとは夢にも思わなかった」

 ウサギはスタート地点に併設されたサブトラックでウォーミングアップをしながらそうつぶやいた。この日のために特設されたサブトラックは簡素ながら十分な広さがあり、その周囲にもウサギやカメの姿を一目見ようとする観客の姿が伺える。10年前のこの日は、こんな立派な舞台が整えられていたわけではなかった。ただ、カメと一度きりの非公式なレースを気まぐれで行っただけだった。もっとも、そのことに注目した報道関係者が詰めかけ、その様子は特集番組として放送されるに至ったわけだったが。その結果が、ウサギの敗北であり今日までの10年間の生き方を決定づけた。

 「あのときのわたしはもういない。今日、わたしは敗北者ではなくウサギであり、一人のアスリートだ」

 ウサギの目には決意が宿っていた。少しばかりガタの来ている体を入念なストレッチによって伸ばしながら、彼は全身で来るべき躍動に向けて備えていた。ふと空を見上げてみると、不思議と10年前のあの時の空と同じようにそれが感じられた。ウサギは深呼吸をし、全身に世界を充填した。彼は一つの物体であり、生物であり、今からいくばくかのエネルギーを消費し、筋肉を断裂させ、乳酸をためることで、それと引き換えに自らを移動させ、その速度でもって世界にその存在を示すのである。時間と空間がこれほどまで祝福してくれる感覚を味わうことができるのは、ひとえにアスリートの特権であり、彼はその感覚を久方ぶりに毛細血管の隅々までにいきわたらせる。決意とは、そうした世界との緊張関係における幸福な瞬間を名指すものとしてそこにあるのだ。


 「この場所でもう一度走ることがあるだなんて、人生とは不思議なものだ」

 カメはウサギと同じトラックで一人黙々と体を温めていた。彼は走ることにかんしては全くの素人といってもよいし、むしろ走ることは苦手なことのうちに含まれるものだ。そんな自分がこんな大舞台で走ることができる。そのこと自体がカメにとっては不思議なことだった。彼は今でさえ成功者として世界のトップをひた走る存在といっても過言ではないが、10年前のあの日まで、単なるうだつの上がらない一介のカメに過ぎなかった。そこで一握りのチャンスを掴みえた、だから今こうしている。しかしながら、彼の胸中はそのような自分の過去にばかり向かっているのではなかった。彼は今この瞬間の熱気、澄み渡った空気、自らの甲羅や鱗が不相応に思われるレースという展開のすべてに感謝の念を抱いていた。

 「あのときのわたしはもういない。わたしは成功者ではなくカメであり、一人の挑戦者だ」

 カメは自らが自らではなくしかし自らとして在ることの快感を覚えていた。それはえもいわれぬ感覚だった。彼はカメとして成功者として生きてきた。今や彼は肩書も経歴もかなぐり捨てて一匹のカメになった。それは自分の本来の姿になったということでもあるのかもしれないし、それでいて自分ではないような不思議な気持ちだった。しかし彼の心には、今ここで彼が確かに存在している、存在の中心として重たい甲羅を引きずっているという確信があった。彼は自らが前に進んでいること、今この瞬間に新しく作り変わっているということをありありと感じていた。彼はその重み、そう、カメ一匹分の重みでもって、世界と確かに結びついていたのである。


 レースのコースは、全長約15㎞の市街地から山のふもとまでの道のりで、ほぼ一本道であるが、途中にいくつかの勾配があり、ゴール1㎞前にはウサギがうたた寝をしてしまったかの丘があるなど、全体としては山登り方向への傾斜の中を走ることになる。舗装は全体になされていて、イメージとしては駅伝の一区画分くらいのコースである。

 カメラは当日の天気が快晴になったことで安堵していた。幸い、コースはそこまで交通量の多い道路ではなく交通規制もスムーズに行うことができ、地域住民からの理解も得ることができた。今は各報道機関と連携をとりつつレースを臨場感あふれるように中継するだけだ。カメラはこのレース、ウサギが独走し、カメもまたその後遅れて独走するという状況になることがおおむね予想できていた。そのため彼自身はまずウサギを中継車にて追い、彼のゴール後にカメの姿を収めるというプランを立てていた。もちろんウサギとカメ双方に張り付いているカメラが数台ずつあるので、これはカメラが彼自身の身体で二人の闘いをいかに写すのかという問題であった。

 カメラの事情を知っている彼の部下たちは、それを汲んでカメラのサポートに回っており、当日はカメラ自身は自由に動けるように手配されていた。彼はそのことに感謝し、自らの整備を進めていた。旧式とはいえ彼は歴戦の写真家であり、彼の動体写真の躍動感や決定的瞬間を切り取ったアイコニックな写真撮影の技術は群を抜いていた。彼も、彼の周囲の人々も、伝説のレースと合わせて伝説の写真家の最期の大仕事にも静かに注目を集めていたのであった。


 スタートの時間は、ちょうど正午、10年前と同じ時刻である。ウサギとカメはそれぞれ顔を合わせて何かを確認したかのようにうなずくと、それぞれ前を見つめてスタートラインに立った。固唾をのんで見守る世界中の観客たち。ひりついた空気は極限まで凝縮され、澄み渡った時間は一秒を十秒に感じさせる。

 「オン・ユア・マークス」

 「パン」

 二人は駆け出した。

 熱狂する世界を静寂の彼方へと引き離すように二人はそれぞれの世界へと突き進んでゆく。

 ウサギはスタートダッシュから完全にカメを置き去りにし、自らの速度で走り抜けていった。カメはカメで、そのことが初めからわかっていたかのように、自らの速度で走り出した。

 沿道の観客が流れるように過ぎ去ってゆき、アスファルトを掴む足の感覚と、それを送り出すバネのようなはずみが彼らを大地と結びつけていた。流れる汗、上がる息。走り出した直後のみなぎるエネルギーを感じながら、落ち着いてペースを保つ。自分のリズムを繰り返すこと。いつか訪れるゴールに向かって一歩一歩。そして、繰り返したリズムの結晶として最後にはスパートをかけるのだ。彼らの運動はゴールという目的地に収束していく。


 風が気持ちいい。ウサギは穏やかな日差しの中で、そう感じていた。むしろ、自らの繰り返される鼓動をコントロールすること以外で今彼が感じられることはそのくらいだったし、それで十分だった。彼は驚くほど心が穏やかで、それでいて闘志に満ち溢れていた。普段見慣れた景色や道のりに大勢の人が詰めかけて異様な雰囲気になっている様にも、自分が注目されている状況も、すべてが穏やかな気持ちで呼吸と共に後景へと引いてゆき、残ったのは自分が見ている目の前のコースだけであり、そこを最短距離で適切なペースで走るという機械的でもある行為を遂行すること、そのためだけのプログラムであった。

 彼は自分が走るという目的のための機械のようになっていることが、心地よかった。それは一つのこの世界の理のように感じられたし、これまで彼が走るときにはずっとそう思えてきたからだった。目的に向かって最適な行動をとること、そのことだけに集中すること。このことの根源的な喜びを走ることはいつだって教えてくれた。10年前、彼が失ってしまったのはそのことだったのかもしれない。一時の気の迷いからなのか、最適化することがバカらしく思えたのか、そのとき彼は目的を見失った。あるいは目的を感じられなかったのだ。カメと勝負する。そのことは彼にとっては歯牙にもかけない問題だった。そのために自分を最適化するためには、昼寝くらいのハンデは必要だとも思われた。しかし、本当に必要だったのは、ゴールに最速で到達するという目的のために自らを最適化すること、それだけだったのだ。そのことを忘れて、それ以上のことが自分にいろいろとのしかかっていることに、余計なものを引き連れていることに、そのとき彼は気づけなかったのだ。


 カメは自らの走りが見るに堪えないようなものであることを知っていた。たとえあらん限りの力を出し尽くしても到底アスリートにはかなわないこと、カメとしての限界があることを知っていた。彼はしかし、何も思い淀むことはなかった。なぜなら彼は10年前とまったく同じ走りをすること。あわよくばタイムを更新して走ることにのみ注力しようと決めていたからだ。10年という年月はカメにとってはそこまで長いものではない。むしろ未だ成長途上にあるともいえる彼にとっては、その間運動をろくにしていなかったとしても、きちんと半年間準備をして臨む今回のレースはタイムを更新できるだけの自信があった。無論、先に矢のように走って行ってしまったウサギの背中を追うにはあまりにも鈍足な彼は、もっぱら自分の鱗にまみれた足を精いっぱい動かすことだけを考えていた。

 彼の身体は鈍行するしかないが、彼の脳内は加速している。彼はその感覚が嫌いではなかった。彼はゆっくりと進んでいるがゆえに周囲の様子が否が応でもよくわかった。道を取り囲む観客の一人一人の表情や、彼らの歓声、報道機関、実況中継、それらのすべてが彼がゆっくりであるがゆえにより一層重みを増してねっとりと彼に注がれているのをありありと感じ取ることができた。懸命に声をかけてくれる人、そこまで興味もなさそうな人、中には哀れみや侮蔑の色を湛えた表情の人もいた。それらすべてが彼にはよく見えたのだが、しかし彼は岩のように動じなかった。彼の思考はさらに加速する。彼は心に去来するすべての景色や感情に一つ一つ礼を言うことができた。見てくれてありがとう、声をかけてくれてありがとう。それはいいことも悪いこともすべて含めて、自分を取り巻く環境に対して心から感じられる感謝だった。彼はそのゆっくりとした身体のリズムと加速する思考の両輪によって、止まらずに考え続けること、考えながらでも最大の出力で動き続けることには慣れていたので、鬼気迫るレースのさなかにもいつも通りに考え、そして進むことができたのである。


 見る見るうちに距離の離れたウサギとカメは、さながらそれぞれの独走状態となり、中継映像ではそれぞれの様子が交互に流され、もはや競争として語ることも特になくなった実況は、それぞれの生い立ちやこの勝負にかける思いについて語りだし、関係者のコメントも読み上げられたりした。映像としては特に面白みもないように思われるこの状況であるが、駆け抜ける二人の姿はまるで見えない大きな敵とそれぞれが孤独に闘っているかのように真に迫るものであったため、それを見るものは皆目を離してはいけない、今見ているものを目に焼き付けておかねばならないというような思いに駆られた。視聴率は驚くべき高さを示し、歴史的な瞬間に立ち会っているという一体感が観客を熱狂させた。

 カメラはそうした映像を中継車のモニタで眺めながら、同時にウサギの様子を撮るために各所にて先回りしてポジション取りをしてシャッターを切った。彼の身体はもう限界であったが、押されるシャッターに迷いはみじんもなく、ウサギの雄姿が的確にとらえられていることが現像する必要もないくらいに確信された。

 彼は何かを写すことの無気力さに長らく悩まされてきたが、今日この瞬間にはそんな思いは露ほども感じることはなく、むしろこのレンズに映るものを的確に写し取ること、永久に形として定着させることの喜びに打ち震えていた。たとえそれが世界の引き写しであったとしても、彼の力では成しえない現象の陰であったとしても、彼がその痕跡をそこに確かに残すことができるというただそれだけでいいのだと、そのことが自分の生きてきた意味なのだと、彼にはそう思えたのである。


 ウサギは早々に第一の給水ポイントまでたどり着き、流れるように水分補給をした。彼は失われた水分が走った距離に比例して世界に置いて行かれていることを感じながら、それを補うために口中に水を含む。コースは三分の一を過ぎ、市街地から山間部へと切り替わる頃合いであった。辺りの景色は徐々に田園風景から山間の景色へと移り変わり、緩やかな上り坂の様相を呈してきた。

 傾斜に合わせて屈伸する足首や各種の腱が平地では感じられない負荷を与え、全身は重力に抵抗して上へ上へと進んでいく。空気がやや冷たくなってきたように感じられる。コースは山間の川沿いに進み、道幅は徐々に狭くなり、辺りは森深く感じられるようになってきた。眼前には麓がゴールとなる山がそびえ立ち、その手前には見晴らしのよさそうな丘が見える。

 ウサギの身体は未だエネルギーに満ち溢れていた。山登りとなった段階で彼は身体のギアをチェンジさせ、筋肉の張る方向を上昇方向に意識し、かつペースとリズムを傾斜に合わせて調整した。曲がりくねるやや細くなってきた道に合わせてバランスを取りながら、彼はぴょんぴょんと軽やかに進んでいく。

 10年前この道を進むときは少しの孤独と虚しさを感じたものだ。薄暗い木々の中を、誰とも知らないカメとの勝負ということで走り抜ける。もちろん沿道に人はいない。この道を進んだ先に何があるというのだろうかと悩ましくも思った。しかし、今は狭い道にあふれんばかりの人がいる。そしてこの先にはそう、ゴールがある。ただそれだけだ。彼は昼下がりの空気に少しばかりの切なさを覚えたが、それもすぐに透明な気持ちに昇華して、ひたすらに山を登る。タイムとしても悪くはない形でここまで来ていた。ここから第二給水地点まで緩やかな上り坂が続き、その後やや平坦な道を進んだ後に最後の山登りと丘越えがあり、そしてゴールが待っている。

 古くは霊山とも呼ばれたゴール地点の山に続くこの道は、参道でもあり、山向こうの都市とこちらをつなぐ道としても重要なものであった。道沿いには大きな杉の木が見え、渓流の涼やかな流れと濃い緑はどこか厳かな雰囲気を醸し出していた。その中をウサギは目にもとまらぬ速度で駆け抜けていく。彼は今や新しい一陣の風であった。彼の白いその姿には、もう余計なものなど何も残ってはいなかった。目の前には、森の終わりが見えた、第二中継地点ももうすぐである。


 カメはそのころようやく第一給水地点とスタート地点の中間ほどまで来ていた。鍛えているとはいえ走ることに不得手な体は、早くも甲羅の重さで疲労を感じるまでになってきている。息が上がり、全身から汗を噴き出したくても出せない彼の変温動物としての身体は熱を蓄積させていく。彼の思考は彼の身体の疲労に比例して速度を落とし鈍ってゆく。未だに意識はしっかりとしてはいるが、周囲に振り向けるものを自分に向けて温存する必要にそろそろ迫られていることが感じられる。彼にとってはこの状態すらも織り込み済みのことであり、前回走った際にも同様な状況であった。ここで重要なのはペースを落とさないことであり、決してあきらめないことである。今思うと、何のサポートも報酬もない状況で、昔のわたしはなぜあそこまで走れたのだろうか。あの頃の自分は決意を持っていた、負けないと本気で思っていた。そんなバカげたエネルギーを、今のわたしは持ち得ているのだろうか。いや、今のわたしはそんな力はないかもしれない。でも、今のわたしにしか持ちえない新しい決意とあきらめない心を持っている。見ろ、足だって着実に動いている。まだ見えない山の麓にだって絶対にたどり着くことができる。幸いわたしはきつくなってからの持久力はあるのだ。そのような状況で踏ん張るれることこそカメの特権なのだ。

 彼は外見上の平静な様子とは裏腹に熱い心で彼の全身を鼓舞しながら進んでいた。一般的なカメであればこのコースの距離を進むのは構造上限界に近いものであり、実のところ身体的に危険な状況でもあった。救護車も背後から同伴しており、いざとなったら搬送する準備はできていた。ウサギに対してはただ魅入っているうちに過ぎ去ってしまいなにもできなかった観客たちも、カメに対してはあらん限りの歓声をかけようと努めていた。それに応えるようにカメは脂汗を流しながら歩みを進めた。余裕がないのかもしれないな、でもよく考えてもみろ、カメはいつだって必死に走るものだ。彼はいつも通り進んでいった。


 ウサギは上り坂と森を抜け、開けた峠に差し掛かった。ここからしばらくは見晴らしがよく平坦な道が続く。山の稜線に沿って切り開かれた道は、少しばかりくねってはいたが、これまで登ってきた道のりを見下ろす気持ちのいい眺めでもあった。

 道の駅のようになっている場所に設営された第二給水所で同様に流れるように一杯の給水を行ったウサギは、残りの道のりとスパートへの高まりを徐々に感じていた。この地点からゴールまでの約5㎞は最初の3㎞がやや平坦、その後上り坂でかのウサギが休憩してしまった丘を通り、その後少し下りを挟んで最後の上り坂を抜けたらゴールというようになっている。

 ウサギはレースとしての高まりと同時に、一つの恐ろしさに対峙する前の高まりもまた感じていた。それは、あの丘を通り過ぎる必要があるからであった。彼は10年前のあの日からその丘に来たこともなく、むしろ夢に見てはうなされる毎日であった。いかに今のウサギが過去を克服していたとしても、消せない傷は彼を深層心理で蝕み続けている。

 このことは観客にとっても注目されることであった。ウサギはあの丘をどのように乗り越えるのか。軽薄なコメントでは再度ウサギは昼寝をするだろうということが叫ばれ、大方の見解では見向きもせずに駆け抜けるだろうとされていた。その地点がウサギとカメのレースにおいて焦点となることは10年前のあの日から見ても明らかであったし、刻一刻と迫るその瞬間を今か今かと待ち構えていた。

 カメラはウサギを撮影しながら先回りしてウサギが昼寝をした丘の一本の木にたどり着いていた。彼はこの前をウサギが駆け抜ける瞬間を写そうと考えていたその瞬間は顧みられなかった過去の救済となるようなアイコニックなものになると彼は考えていた。それは拾い集められるまではそこに形を与えられることがなかった声や記憶がどのような形であれもう一度日の目を浴びるというそのことなのだと。それがいわば彼やウサギとカメが、ここにいることの意味なのだと、彼はそう思っていたのである。

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