ウサギとカメ、その後
昔々、ウサギとカメがレースをし、ウサギの油断の末にカメが勝利した物語は殊に著名であるが、その後日談についても諸説あるのを皆さんもご存じであろうと思う。
今日は、そのうちの一つをお話ししよう。
昔々より少し後の話、かの有名な敗北者ウサギと勝者のカメは、彼らの地位と名誉に相応な日々を過ごしていた。
ウサギは勝負の途中に手を抜いて敗北した愚か者として、反面教師として全国行脚をして講演会を開き、そこで面白おかしく滑稽さを消費されることで対価としてのニンジンを手に入れて過ごしていた。元トップアスリートのウサギの講演会は結構な人気があったので、食うには困らなかったがウサギの精神は敗北者として道化として日々を過ごす中でどうしようもなく歪んでしまっていた。
彼はいつもこう語るのだった。「あのとき手を抜かずに全力でカメに勝っていたら、今の人生はどうなっていただろう。たとえそこで勝っても何の栄誉も得られないどころか、手加減を知らない興ざめ野郎だと言われたかもしれない。でも、今みたいに末代までバカにされたりはしないで、すぐに風化するような出来事に終わっていたに違いないのだ。こんな思いをする奴が今後出ないためにも、わたしは一生道化を演じる必要があるのかもしれない」と。
一方のカメは、不屈の精神を持つ英雄として語り継がれ、彼が書いた『カメはいかにしてウサギに勝ったのか―あきらめない心がもたらす成功の秘訣』は大ベストセラーとなり、映画化された際には本人が(ウサギも)出演してこれまた大ヒットをするなど成功者としてのきらびやかな生活を謳歌していた。
さらに彼は、持ち前の思慮深い精神性からその状況に奢ることなく日々研鑽を重ね、手にした資産の運用によってさらなる莫大な富を得、ベンチャー企業や慈善事業への積極的な融資によって現在ではエンジェル投資家としても名をはせている。
彼はいつもこう語るのだった。「あのとき手を抜かず、あきらめずに全力でウサギに勝ったからこそ今の人生があるのです。わたしがそこで勝つのはまずもって無謀な挑戦でした。それでもその勝負を受けて立ったのは、そこで身を引けば単なるカメで終わってしまうが、ここで一縷の望みをかけて勝利すれば、末代まで語り継がれる功績を得られるという確信があったからです。こんな体験を衆人に還元するためにもわたしは一生努力を体現する必要があるのです」と。
彼らは対照的な存在として、時代のスターとして大衆に受け入れられていた。もっとも、成功の度合いとしては確実にカメのほうが上であったが。そうした熱も冷めてきたように思われた頃、カメの融資も受けているあるベンチャー企業が一つの企画を思いついた。それが「ウサギとカメ再戦計画」というもので、これは全世界的に配信される一大イベントして構想された。
内容は簡単である。もう一度同じ条件でウサギとカメが対戦して、結果はどうなるのか見届ける、ただそれだけである。
これを構想したのが株式会社アキレウスの社長のカメラであった。カメラは自らの旧式なフィルム撮影用の機体にも関わらず最先端の映像技術に通じている映像ビジネスの雄としても知られている。彼はカメから多大な融資を得ていたが、同時にウサギに対しても相当な恩を感じていたし、昔からのファンでもあった。
彼はウサギがカメに負ける前のアスリート時代、彼の美しい走る姿をいかにしてシャッターに収めるかに心を砕き、自分自身のスペックではそれをとらえられないという思いからプライドを捨てて最新鋭の機材を駆使するようになった。そして、ウサギが走った数々のレースでその姿をベスト・ショットで撮ってはそれが報道紙の一面を飾るのを心からの喜びとしていたのであった。
そんな彼は、かの有名な「ウサギとカメ」事件においてウサギが敗北し、その後引退に追い込まれたことを大変悲しんでいた。奇しくも同時期にカメからの融資によって会社を大きくすることはできたが、内心複雑な気持ちで日々を過ごしていた。
彼はいつもこう思うのであった。「ウサギの走りがあったからこそ今の自分があり、そしてカメの融資があったからこそ今の自分がある。そしてそれらはすべてあのウサギの敗北とカメの勝利という出来事によってつながっているし、その一件がわたしを苦しめもする。わたしはウサギにもう一度あの風のような走りを見せてもらいたいし、カメに会社としても貢献したい。だから、彼らの再戦を希望する。それがわたしにできる唯一で最善のことに思われるからだ」
カメラは自分がもう長くはないことがわかっていた。物である彼にとっても寿命というものがある。形を保っていられるとしても、心が保たれる期間は限られていた。彼は最期のプロジェクトとして再戦計画を成功させるために尽力した。
このプロジェクトはウサギとカメの双方にもすぐに打診された。ウサギは自分の敗北者としての人生をやり直すため、カメは自分の信念を貫くために出場を快諾した。
決戦の日はちょうどあの伝説のレースが行われた10年後の同じ日に設定された。半年以上前からウサギとカメには連絡がなされており、双方のコンディション調整は完璧になされた。カメラは撮影機材やスポンサー、放映権などの調整に紛争し、何とか自分のできうる限りのことを尽くして万全の準備を整えた。もっとも、コース自体は何の変哲もない田舎道であり、いかにして前回と同じ条件を整えられるかということに最新の注意が払われた。
ウサギはカメラから勝負の打診があってから、自分の中にいるアスリートとしての心がにわかに息を吹き返すのを感じていた。怠け者、敗北者と罵られ現役生活の引退を余儀なくされてから、ただの一度も彼は走ったことがなかった。走ることはできなかったのである。
彼はかの敗北から、自らの心の中にあった大切な何かを失ってしまったように感じていた。練習であってもスタートラインに立つと、全身がわなわなと震えだし、口は渇き全身に倦怠感が襲い動くこともままならないほどの重度のイップスになってしまったのである。彼は日常生活でも小走りさえすることはなく、うたた寝をするたびにカメに追い抜かれたあの日の悪夢を見てうなされることも度々あった。
そんな苦しみが嘘のように彼はのびのびと、一心不乱に走ることができるようになった。なけなしの貯金を使って以前契約していたトレーナーとも再契約し、レース当日まで現役のころもこうまでは走らなかったというような勢いで猛烈に練習をした。そもそも選手としては盛りを過ぎた彼にとっては、このレースが本当に最後のレースになるであろうことがわかっていた。そのため、彼はここで自らのすべてを出し切ることをその一点に全精神を集中させて日々を過ごした。
全盛期の勢いはなくとも、彼の走りを見た人はそこに一陣の風を感じ、アスリートとしてのウサギがそこにいることを、帰ってきたことを確信した。そしてウサギは報道陣に対してこう言ったのである。「わたしはこの勝負、絶対にすべてを出し切り最高のレースにする。もはやカメに勝つとか負けるとかはどうでもいい。もちろん勝負であるからには絶対に勝ちいく。しかしながら、今わたしの心を占めているのは走ることができる喜びであり、今一度本気で走ることに向き合える環境を作っていただいたことに対する感謝の気持ちである。当日はその思いをすべて走りに込めたい」と。
カメはカメラから勝負の打診があってから、自分の中にいる不屈の精神が活気づいて武者震いをするのを感じていた。あの勝負以来彼は成功者としての生を生きてきた。そこで彼の心を支配していたのは失敗しないこと、この栄光に奢らないこと、そういった事柄であり、彼がそれまでに置かれていたのろまで愚図な挑戦者という立場ではすでになくなっていた。
彼はかの勝利から、自分の心の中にあった大切なものを失ってしまったように感じていた。もちろん、常に新しいことに挑戦してきたし、失敗も恐れずに多様な事業展開をしようと努めてきた。しかし、心のどこかで自分の本当の姿を見失っていたように感じていた。わたしはウサギに勝ったカメである以前に単なる一匹のカメであり、それ以上でも以下でもないのだ。もし、再戦してウサギが手加減しなかったらわたしはカメよろしく手も足も出ずに敗北するだろう。そこの力関係は先の勝負の前と後でなんら変わってはいないのである。カメはその点弱者なのだ、変えようもない弱者なのだ。もし今回完膚なきまでに敗北したとしたらどうだろう。しかしそれが本来の姿なのだ。わたしはそのことを見ないようにしてきた。そして、今一度そのような困難に立ち向かうことなどできないと、そう思ってしまっていた。
しかし、今やそうではない。彼は今一度困難に立ち向かうことを決意した。勝ち目のない勝負に再び挑み、全力で走りきる。カメの心には彼の信念がまっすぐに浸透し、目には静かな闘志がみなぎっていた。そして彼は報道陣に対してこう語ったのである。「わたしはこの勝負、わたしの信念に則り最高の勝負にする。この勝負が無謀であることは先の一戦とまったく同じ意味で承知している。しかし、今わたしができることは前回とまったく同じように自分のなしうることを全力で遂行するというただその一点であり、それ以上でもそれ以下でもない。そして、わたしは当日、そのことを通じてあきらめない心を、再び皆さんにお見せできるようにしたい」と。
レース当日に向けて加熱する報道は、連日彼らの動向でにぎわい、掲示板はウサギとカメの勝敗予想で盛り上がり、テレビの再放送では「ウサギとカメ」の映画やドキュメンタリーが繰り返し放送された。
カメラはそんな状況を眺めながら刻一刻と迫る闘いに向けて淡々と準備を進めていた。彼にできるのは、彼がまだ現役だったころのように彼らの雄姿をとらえ報道すること、それが自らの身体でそうできるのではなくても、そうすることだけだった。
カメラはウサギとカメの双方がうらやましかった。なぜなら彼らは勝っても負けても、自らの存在でもって、行為でもって世界に確かに存在しているように思われたからである。カメラはそうではなかった。彼は何かを写すことでしか自らの意味を確かめることはできなかった。自分自身の存在は常に透明であって、媒体であった。そんな自分のことがあまり好きではなかった。でもあのウサギの走る姿を写しているとき、自分は本当になれた気がした。そして今回ウサギとカメを写すことで自分は、最期にもう一度、本当になりたい。本当の何かをそこに見たいのだ。
彼は動きの悪くなった身体に大判のフィルムを装填して、撮影の準備もしていた。最期くらいは自分でも世界を写していたい。たとえそれがきれいに撮れた成功の写真にならなかったとしても。それがわたしの最期の印なのだ。彼はそう思っていた。
そして、レースの当日がやってきた。