5 完璧な美少女は知らないらしい。
明かりの方へ引き寄せられるように歩いていき、マンションの中に入ろうとした直前、そうだ、と氷梨が思い出したように柊の方に体を向ける。
「このことも、内緒でお願いしますね」
少しだけ息を切らしながら歩くいつも通りの帰り道。
その隣には氷梨が……いるわけではなかった。
つい十分ほど前、昇降口で偶然居合わせ、一緒に帰ることを提案してきた氷梨だったが、柊は「用事があるのでごめんなさい」と謝り、足早にその場を後にしてきた。
(いやまぁ、そんな大した用事があるわけではないんだけど……)
決して嘘をついているわけではない。……もともと今日は食材の買い物をする予定があった、というだけではあるが。
もしこんな話をこの学校の誰かにでもすれば「そんなことで銀杏さんのお誘いを断るんじゃねえ!」と、さぞ文句を言われることだろう。だが。
(そうは言っても、学校のやつらに見られたら俺がただじゃすまないんだよなぁ……)
わざわざ誘ってもらったところ申し訳ないが、さすがにそれは避けたいところ。
「……あ」
そんなことを頭に巡らせながら足を動かしていた柊だったが、いつの間にかスーパーマーケットの方へ曲がる道を通り過ぎていたことに気が付いた。
戻るのも面倒ではあるが、買い物を忘れて困ることになったのもつい最近のこと。忘れずに行っておかなければならない。
用事があると言ってしまった手前、ここで氷梨と鉢合わせるのはさすがに気まずい。
はぁ、と白い息を小さく吐きながら駆け足でひとつ前の交差点へと戻る柊だった。
***
外に比べれば幾分も暖かいスーパーマーケットの中。
買い物かごも底がだんだんと見えなくなってきたころのことだった。
「あ、白藤さん」
「え?」
自分の持っている買い物かごの中身を見ながら次に向かう場所を考えていたところで、そんな声が耳に入ると同時、見慣れた制服の足元が視界に映る。
「奇遇ですね。白藤さんもお買い物ですか?」
「あ、はい。そう、ですね」
帰り道で鉢合わせる可能性は危惧していたが、まさかスーパーマーケット内で、とは思ってもいない。しかも相手は数十分前に、一緒に帰らないかと提案してくれた相手だ。
「用事ってお買い物のことだったんですね」
「う、はい……」
もしかしたら責められたりもするかもしれない、と内心少しばかりびくびくしながら話をしていた柊。
実際にその話をされ、ひやりとしながらもちらっと顔色を伺うと、怒るような雰囲気どころか、むしろほっとしているように見えた。
「それなら仕方がないですね。こちらは帰り道からも少し逸れますし」
そう言って再び棚に目を戻す氷梨。誘いを断った件に関して、特にそれ以上の追及はなかった。
咎められなかったことに安堵し、心の中でふう、とため息をつく。
「今日は何を買いに?」
棚に並んでいたみりんを片手にそんな質問をする氷梨。
「特に何とは決めてないですけど、とりあえず今日の分のご飯に使うものは買っていこうかと」
「な、なるほど……」
そう言いながら少し悩むような素振りを見せる。
何かしたのだろうか、と少し疑問に思って少し待ってみていると、ことり、とみりんの瓶を棚に戻しつつ氷梨がすっとこちらに向き直る。
「白藤さん」
「何ですか?」
「あの、私に……」
目の前にいる美少女は、若干恥ずかしそうにしながら、されど何かを決心したような表情でそのぱっちりとした瞳を柊に向ける。
「私に、お買い物を教えていただけませんか……!」
「……は?」
その口から飛び出た言葉を飲み込むことができなかった柊は、間抜けにもそんな声を返すのだった。
***
「そういうことだったんですね」
「はい、お恥ずかしながら……」
氷梨の話を聞き、俺が知っているくらいのことなら、と引き受けた柊。
というのも、学校やスーパーマーケットが近くて予算以内、ということであのマンションを選んだらしいが、引っ越してきてからどころか今までほとんどスーパーマーケットというところで買い物をしたことがないらしい。なので色々教えてほしい、とのことだった。
たしかによく見れば、持っている買い物かごにも入ってはいるものはなかった。
なぜ俺なのか、とも思ったが、偶然居合わせてしまった知り合いが柊しかいなかったのであれば仕方のないことではあるだろう。
正直に言うとこの場面を見られでもしたらかなり面倒なことになりそうでできれば避けたいところではあるが、この後にこれといった用事があるわけでもなく、断る理由を見つけられなかった。
「じゃあさっそく回っていきますか」
「はいっ」
妙に意気込んだ声色でそう返事をする氷梨に苦笑しつつ、二人で並んで歩きだした。
***
「ありがとうございました」
「力になれたならよかったです」
これで次からスムーズにお買い物ができそうです、そう言って嬉しそうに微笑む氷梨。
苦戦しながらも色々と覚えていく氷梨――呑み込みの早さはさすが学年一位の成績を誇るだけあるな、と思った――との買い物は無事終わった。
野菜に肉に調味料に、様々なものが入った買い物袋をそれぞれ手に、自動ドアをくぐる。
ちなみに調味料の入った袋はさすがに重そうだったので柊の左手に収まっている――何度か「自分で持ちます」と氷梨には言われたが「帰り道は同じなので途中まで持ちますよ」と押し通した――。
(にしても寒いな……)
ここによる前と比べても確実に寒くなっている上、三十分ほど建物の中にいたのですっかり体が温まってしまって、いつも以上に寒さを感じた。
帰ったら何か暖かいものでの飲むか、とそんなことを考えつつ星も見え始めた空の下、二人は家路につく。
「それにしても意外ですね、銀杏さんが買い物に慣れていないなんて」
歩き始めてから一分ほど続いた無言の時間ののち柊はそう言葉を発する。
さっき初めて知ったことを意外に思い、この際に、と話題に出してみると、彼女は、う、と若干言葉を詰まらせた。
「やっぱり母とのお買い物の時にもう少しちゃんと見ておくべきでしたよね……」
「い、いや、別に責めているわけでは…… これから覚えていけばいいと思いますし」
一度覚えてしまえばあとは楽ですしね、とつけ足す柊。
「そ、そうですよね、これからできればいい、ですもんね」
言いながらなぜか意気込んでいる氷梨を見て、ふっと小さく笑ってしまった柊。他人に好かれる人ってこういう人なのだな、とほんのりと思う。
「銀杏さんも買い物だったんですね」「少し挑戦してみようと思いまして」なんて適当な雑談をしつつ、二人は並んで足を動かす。学校の話に差し掛かったころには、住んでいるマンションの前まで来ていた。
明かりの方へ引き寄せられるように歩いていき、マンションの中に入ろうとした直前、そうだ、と氷梨が思い出したように柊の方に体を向ける。
「このことも、内緒でお願いしますね」
「このこと」とは、もしかしなくとも今日の買い物の件だろう。自分のできない部分を広められるのは誰だって嫌なこと。
元より誰にも話すつもりのない、もとい話す相手のいない柊は、大丈夫ですよ、と返して、鼻先をすっかり赤くしたまま自動ドアをくぐる。ふわっと暖房の効いた暖かい空気が肌に触れた。
広めのロビーを通り、エレベーターへと向かう。ボタンをかちっと押して数秒待てば部屋のある階までたどり着く。
「今日はありがとうございました。それでは、おやすみなさい。また明日」
「おやすみなさい」
毎度のごとく丁寧に挨拶をする氷梨に柊もきちんと返しつつ、各々の部屋へと戻ることとなる。
氷梨が部屋の方へ向かったのを見てから柊も自室の鍵を開けた。真っ先に食器棚に入っているスティック状の粉末コーヒーを取り出しながらさっきまでのことを思い出す。
なんでも完璧にこなすと噂の彼女の意外な一面に対し――
「ちゃんと人間だったな」
――失礼にもそう呟いてしまった柊であった。
こんにちは。天守熾空です。初心者も初心者です。筆はとても遅いですが、頑張って書きます。
読んでいただきありがとうございます。「こうした方が読みやすい」などありましたらご指摘のほどよろしくお願いします。
5話目です。「4話の後半」とくっつけてしまった方が分かりやすかったな、と書きながら思っていました。流れが決まっているのならしっかりしてくれという意見、ごもっともです。すみません、精進します。