3 斜向かいさんは訪問するらしい。前
ちょうど洗い終わった菜箸をいつもの位置に戻し、呼び鈴の方に「はーい」と返事をしながらそちらへと向かう。
適当に靴を履き、そのまま扉の取っ手へと手をかけ――
「……えっ」
そしてそのまま扉を開けるとそこには全く予想もしていなかった人物、今日の同じ学校だと判明した斜向かいさん――氷梨の姿があった。
制服とカーディガンを一緒にハンガーにかけ、今日の授業で使用したジャージは洗濯機の中に放り込む。柊が家に帰ってから決まってする行動だ。
そのまま着替えを済ませた柊は、ぼふっと音を立てながらソファに体を預けて、リラックスの時間へと入る。
「……なんかすごく疲れた」
一週間ぶりの学校にしては色々な変化があった一日。疲れるのもそう無理はない。
スマートフォンの画面に映っている今日のニュースをさらりと流し見しながら、柊は引っ越した夕李のこと、そしてそれと入れ違いになるように引っ越してきた氷梨のことを考えていた。
偶然にしては出来すぎのように感じる、そんな状態ではあるが、実際に起こってしまっていることにはどうしようもない。夕李が引っ越したのはいいとしても氷梨との接触はどうしようか、などとひとまず思案しておくこととする。
そうして今日のことを思い出したり考えたりしているうちに、いつの間にかまぶたが柊の視界を遮り始めた。が、それに気がつくこともなくそのまま眠りについてしまった――
***
「ん……」
柊のまぶたが再び光を瞳に入れたのは、すっかり日も落ちきったあとのことだった。
いつの間にか眠っていたことに驚きつつ、いまだ開ききらない目を擦りながら手元の端末で時刻を確認する。
「え、もうこんな時間……まずい、スーパーも閉まっちゃってるな……」
画面に表示されていた時刻は、夜の八時を少し過ぎたところ。最寄りのスーパーは八時で閉まってしまうので、ちょうどさっき今日の営業を終えたころだろう。
買い物に行く日なら、いつもは七時ころに出かけ、売っているものと冷蔵庫の中身とで相談して献立を決めるのだが、今日に至っては気づかぬうちに寝てしまっていたため、そもそも買い物に行くことができなかったわけだ。さらに言ってしまえば今日はまだ夕飯の内容も決まっていないのでちょっとしたピンチである。ご飯は冷凍しておいたものがあるので問題ないが、おかずは作るしかない。
一応コンビニという手もあるが、一人暮らしを始めてから今まで、せっかくずっと自炊をしてきたのだ。コンビニのお惣菜などで済ませるのは、気分的にもあまり良くないので、できれば避けたいところだった。
「材料、何かあるかな。こんなことなら帰りにスーパーに寄ってくるべきだったか……」
う、と小さく唸りながら背伸びをしてソファから立ち上がった柊は、二時間ほども寝てしまっていたことを後悔しつつ、自らの夕食を作るべく冷蔵庫とのにらめっこを始めるのであった。
***
ジュージューという、油が破裂する音が柊宅に響く。悩んだ挙句、今日の夕食はハンバーグにするようだ。とはいっても材料があまり多くなかったため一つ一つは小ぶりなものではあるが。例のごとく明日の朝の分までとっておけるように分けて作っている。
「肉ばかりにはならないようにしたいんだけど……」
無事ハンバーグを作り終え、ボウルやフライパン、箸といった調理器具を泡でわしゃわしゃと洗いながら、柊はそう小さく呟いた。
しばらく唸り続ける柊。
今回は、なんとなく食べたくなったから、いい感じに材料が余っていたから、という理由でハンバーグになったが、冷蔵庫に野菜類は大して残っていない。
(かと言って今から出かけるのも……)
最近一気に冷え込み、この時間ともなれば二枚、三枚と重ね着しなければ厳しいだろう。
(……さすがに行きたくないなぁ)
でも野菜は取りたいしどうしようか、と頭を悩ませていたその時、玄関の方から普段はあまり聞かない音が聞こえた。
「来客……?」
ちょうど洗い終わった菜箸をいつもの位置に戻し、呼び鈴の方に「はーい」と返事をしながらそちらへと向かう。
適当に靴を履き、そのまま扉の取っ手へと手をかけ――
「……えっ」
そしてそのまま扉を開けるとそこには全く予想もしていなかった人物、今日の同じ学校だと判明した斜向かいさん――氷梨の姿があった。
「すみません、遅くに失礼します。タッパーを返していなかったので」
相も変わらずロングヘアをふわりと携え、ぱっちりとした瞳をこちらに向けてくる彼女は、右手に透明な箱を持ちながらそう伝えた。
数時間前に考えていたことが見事に崩れ落ちた瞬間だった。
(こんなきれいなフラグ回収あるかよ……)
「プライベートではあまりかかわらない方がいい」と考えていた矢先、その数時間後にこの訪問。さすがにこの状況には「なぜ……」と思わざるを得ない柊。
そんな彼の思いも知らず、氷梨はそのまま言葉を続ける。
「野菜炒め、おいしかったです。ありがとうございます」
「それならよかったです」
考えが挫かれかけているも、何であろうとおいしく食べてもらえたのならよかった、と少し安心した柊。
そこまで話したところで彼女はすん、と鼻を鳴らして少しばかり頬の緩んだ顔になる。
「いい香り、ですね。何か作っているのですか?」
「えと、今日の夕食用にハンバーグを」
ほう、と少し驚いた様子の氷梨。
「昨日の野菜炒めといい、白藤さんはお料理が得意なのですか?」
「得意というほどでは……ただ、やってたらうまくなっただけですよ」
「な、なるほど……」
「?」
氷梨の一言が先ほどまでのものより少しだけ暗いように感じ、若干の違和感を覚える。けれど一瞬後、雰囲気はすぐ元のに戻っていた。
(……まぁ、わざわざ突っ込むまでのことでもないだろう)
にしても思ったより感情表現豊かなんだな、などと考えながら氷梨からタッパーを受け取る柊。
「洗ってくれたんですね、ありがとうございます」
「? 当たり前のことではないんですか?」
「……そうですよね」
いつも夕李に渡しに行っていたときは、タッパーや皿がきれいになって帰ってきたことなどほとんどなかったので、感覚が麻痺していた。
「それにしてもこの香り。まだご飯を食べていないので、お腹がす……」
と、そこまで言いかけて、氷梨の腹部からきゅう、と最近聞いたようなのある音が鳴る。
「あっ、えっと……すみません」
先日同様、耳までほんのり赤く染めながら、目を逸らしてそう呟いた彼女。
とはいえ、まだご飯を食べていないらしいその状態でいい香り(氷梨談)を肺に入れれば、お腹がなってしまうのは生理現象として仕方がない。
(……そんなところ見たら、放ってはおけないよなぁ)
できるだけ関わりたくないとは考えていたものの、こうして真っ正面でアクションを起こされると避けようがない。
学校でかかわりが勘づかれなければいいか、と割り切ることとし、前回同様に声をかける。
「よかったら食べますか?」
もう用意しているなら無理にとは言いませんが、と付け加えながら相手の反応を待つ。
「用意しているわけではないので嬉しいですけど……い、いいんですか……?」
「昨日みたいに余ってる訳ではないですけど、あげられるくらいはありますよ」
「そ、それではお言葉に甘えて」
じゃあ少し待っててください、とひとこと残し、再びキッチンへと戻る柊。玄関先で待たせるのもどうかと思うが、仲の良いわけでもない人、それも男の部屋に招き入れるという方が絶対によろしくないので、今回はこういう措置を取らせてもらった。
(部屋の掃除しておいてよかった……)
同じ学校とはいえ来客は来客。散らかったままの部屋を見せるわけにもいかないので、こういう時は自分の家事スキルに感謝する。
改めて部屋を見渡し、洗濯物をすでにたたんでいることにほっとしつつ、皿に盛りつけたハンバーグを氷梨のもとまで送り届ける。
「野菜が少ないのであれですけど……」
自分で食べるだけならどうとでもなるが、人にあげるとなるとやはり気になる。
先に断りを入れておこうとそう言ったが、返ってきたのは予想外の言葉だった。
「ん、そういえば、家にお野菜が少しだけ残っていた気がします……持ってきますね」
「い、いや、そんな」
「食べさせていただくのです。少しだけですけど、そのくらいはさせてください」
「な、なるほど。それじゃあお言葉に甘えて……」
そこまで言うのなら、断るのはむしろ失礼だろう。
少しだけ待っていてください、そう言って自室へと向かった氷梨は、約三分後、再び柊の部屋へと戻ってきた。
こんにちは。天守熾空です。初心者も初心者です。筆はとても遅いですが、頑張って書きます。
読んでいただきありがとうございます。「こうした方が読みやすい」などありましたらご指摘のほどよろしくお願いします。
3話目です。投稿と同時に浮かび上がった「柊くん『えっ』言い過ぎ問題」ですが、驚いたときの口癖なのでどうか許してあげてください。