2 斜向かいさんは学校一の美少女らしい。
「白藤さん」
六限目が終わり、特に部活動をしていない柊にとってはフリーとなった時間。いつも通りそのまま帰ろうと夕李と一緒に昇降口へと向かい、下駄箱から外履きを取り出していると、背後から柊を呼ぶ声があった。
ん、と小さく唸り背後を見る。
「……えっ」
つい声が出てしまったが、それも無理のないことだろう。なぜなら、そこにいたのは――
「おはよう」
「……おはよ」
昨日のお節介デリカシーなかったかな、なんてことを考えながら自室に戻った翌日、柊は高校の昇降口で夕李と挨拶を交わしていた。
そのまま、休日に出かけた話やら、二人がやっているゲームの話やらをしながら、膝くらいの高さにある自分の下駄箱に外履きを突っ込む代わりに、中に入っていたものを足元に放り出す。なんら変わりのない、いつも通りの光景。
そんな他愛ない話の中ふと昨夜のことを思い出し、そういえば、とそのことについて切り出した。
「夕李、なんで急に引っ越したんだよ」
少しの間が空く。
けれど彼の表情は、気まずそうにしているときのそれとはまったく違うものだった。
「だってさ、彼女とは近くにいたいじゃん?」
「……なるほどね」
昨日確認したメッセージの内容。そこには「急で申し訳ないけど、引っ越すことにした」とあった。
いやほんとに急すぎだろ、とか、学校どうするんだよ、とか色々なことが一瞬頭をよぎったが、そのあとに付け足されていた「そんなに遠くないし、高校も続けるよ」という一言で少しほっとした。
半分冗談として聞いていたが、元々「ゆうの家の近くに住みたい」とかなんとか言っていたことはあるので、そういうことならおかしくもないだろう。
(……本当にやるとは思ってもいなかったけど)
ちなみにここで言った「ゆう」とは、夕李の彼女である朱桜柚羽のことで、彼が彼女を呼ぶときの愛称。ついさっきの休日に出かけた、という話も柚羽とのことだった。
「理由は分かったけど、金とかはどうしたんだ?」
「バイトで貯めたお金でやりくりしたよ」
「お前、引っ越しの為にバイトしてたのかよ……」
こいつ変なところで凄いよな、なんて考えながら、少しづつ騒がしくなる廊下を縫うように二人そろって教室へと向かうのであった。
その姿をひっそりと見ている人物には気が付くこともなく。
***
「白藤さん」
六限目が終わり、特に部活動をしていない柊にとってはフリーとなった時間。いつも通りそのまま帰ろうと夕李と一緒に昇降口へと向かい、下駄箱から外履きを取り出していると、背後から柊を呼ぶ声があった。
ん、と小さく唸り背後を見る。
「……えっ」
つい声が出てしまったが、それも無理のないことだろう。なぜなら、そこにいたのは――
「少しだけお時間いいですか」
柊の目線の幾段か下で、茶色がかった綺麗な黒髪を夕日できらきらと輝かせ、ぱっちりとした香色の瞳をこちらに向けている少女。そう、つい昨夜、半ば事故のような形で出会った少女だったからだ。
(同じ学校、だったのか)
すごい偶然もあるものだな、と驚きながらも「何か用ですか」と普通に返事をする。
昨夜少し話したくらいでわざわざ学校でも話しかけるほどのこともないはずだが、とそう思っていると、隣にいた夕李にひっそりと耳打ちされる。
(柊、銀杏さんに何かしたの)
(……何の話だよ)
(いやだから銀杏さんに何かしたのって。じゃなきゃ話しかけてこないでしょ)
(……え?)
その言葉を聞いたとき、柊の頭の中に一つの可能性が浮かぶ。
(もしかして、この子が銀杏氷梨……?)
(うん、そうだよ)
よく「学校一の美少女」としてよく話が上がる銀杏氷梨。その名前だけは何度も耳にしたことはあったが、この高校に入学して一年半が経とうとしているにもかかわらず、柊の記憶にある限り一度も見たことのない人物だった。
それだけ人気のある人なのにそんなことありえない、と思うかもしれないが、機会がなければどうしようもない。学年が同じでもクラスが違えば基本的に会うことはない上、この学校は全校集会や学年集会といったものが一年を通しても片手で足りるほどしかない。つまり彼女のクラスまで行くなりなんなりしなければお目にかかれないわけだ。
相当うわさになっていたということもあり、クラスの男子たちが誘い合ってわざわざ二つ奥の教室まで覗きに行っているのを目にしたことはある。が、そういったことに興味のない柊は、自らの目で彼女の姿を確かめたことがなかったため「学校で人気の美少女にもかかわらず持ち合わせている知識が名前のみ」というこの状況に至る。
もちろん、柊が知らないだけですれ違ったことはある、という可能性もあるので「絶対に見たことがないか」と言われれば判別のできないところではあるが。
「色々聞いてみたいことはあるんだけど……まぁなんにせよ、用事があるなら僕は先にゆうのところに行ってるよ。校門付近で待ってるから」
「あ、あぁ……」
自分が同じ立場でも同じことをしたとは思うが、正直に言って二人きりにしてほしくはなかったな、と心の底で思いつつ、適当な返事をする。
「こんなところで話すようなことでもないですし、少し場所を変えましょうか」
「? わかり、ました」
わざわざ場所を変えなくてもこの場で済ませてしまえばよかったのでは、と多少疑問に思いながらも、その華奢な背中についていく柊だった。
***
「この辺りでいいですかね」
学校一の美少女ともなるとあそこで話しているだけでも変な誤解を生む可能性があるのか、なんてことを考えていた柊だったが、そのひとことでふと我に返る。
着いたのは中庭だった。
昼休憩の時間などであれば人のたまり場であるこの場所も、放課後ともなれば人影一つ見えることはない。かわりに野球部やテニス部の掛け声、吹奏楽部がチューニングしている音が遠くからかすかに聞こえる。
そんな中で夕日を直に受けて輝く彼女は、いっそ神々しさすら感じさせた。
「えと、同じ学校だったんですね」
「そうですね」
氷梨は知っていたことのようにそう答える。
「本当に知りもしない方が昨晩のように訪ねてきていたら躊躇なく通報していましたから」
「……俺のことは知ってたんですか」
「知っていましたよ。考査成績の張り出しで上位に掲載されている方はおおかた把握しているつもりですし。とはいえほとんど話したことはありませんので、知り合いのように接するのもよろしくないかと」
「ま、まぁたしかに……」
知られていたというまさかの状況に再び驚く柊に氷梨は、それに、と続ける。
「急に馴れ馴れしく訪ねてきた方に名乗るのも、と思いまして」
「う、ごもっともです……」
事故のような形だったとはいえ、あの状況は相手にそう思われるのもおかしくはない。柊でも同じような心境になっていただろう。
「それよりも、知られていないことに私は驚きましたけれどね。驕りでもなく、この学校の中ではかなり有名だというのが事実だと思っていたので」
「それに関しても申し訳ないです」
「いえ、気にはしていませんよ。むしろそういう人もいるのだとわかりましたので」
「いや、俺くらいだと思いますけどね……」
冗談でもなんでもなく、心の底からそう思った。大体の人は彼女を知っているだろうし、憧れの存在だろう。
「って、そんなことはいいのです。そろそろ本題に入りましょう」
そう言って小さく咳払いした氷梨は、先ほどよりの目鼻立ちの整った真顔をさらに真面目なものに、もとい少し緊張したものに変えて、改めて話し始めた。
「本題と言っても、自分勝手ではあるのですが……私があの場所に住んでいることを黙っていてほしいのです」
「……そんなことですか?」
「私にとっては『そんなこと』ではありません。事情があるのです」
昨日も言っていたそのフレーズ。もし何も言われないまま彼女だと気が付いても、周りに言いふらしていたとは思えない。が、「事情がある」と頼まれてしまっては断ることもできない。
「……いいですよ。口外しなければいいんですよね」
「はい。ありがとうございます」
氷梨は柊のその言葉を聞くなり、ほっとした様子でそうお礼を返した。
「えっと……話ってこれで終わりですか?」
「あ、はい。ありがとうございました」
それでは、と言って軽く一礼してからその場を去っていった氷梨。その華奢な背中は、ここに向かってきた時よりも少しだけ柔らかいもののように見えた。
(銀杏のことはあまり知らなかったけれど、わざわざこうして一対一で話をしにきたってことは、相当律儀な性格なんだろうな)
そんなことを考えている間にその背中すら見えなくなり、中庭に一人となった柊は、仄暗くなってきた空を見上げながらぽつんと呟いた。
「……敬語って疲れる」
***
「……そっか、知らなかったんだ」
「あぁ」
「同学年なら相手を選ばずタメ口の柊が敬語だからどういうことかと思った」
氷梨との約束が終わった後、言っていた通り校門の前で待っていた二人とすぐに合流した柊。話題は早速、彼女のことに移っていた。
「柊って前から周りに興味ないよね」
「……悪かったな」
「ひーらぎ、ひまりちゃんとなに話してたの?」
夕李の影からひょこっと顔をのぞかせながら、のんびりとした口調でそう問いかけたのは柚羽。先の説明の通り、夕李の彼女だ。
「銀杏と休日中に偶然会って、その時の話。あまり人には知られたくないんだと」
もちろん俺は銀杏って気づいてなかったけど、と付け足しながら、話すと面倒なことになりそうなので雑に説明する。
「ふーん、こくはくされたんじゃなくてよかった」
「あるわけないだろそんなこと」
「だよねー」
「……腹立つな」
「柊、今ゆうに腹立つって言った?」
「めんどくさいなこいつら……!」
ひとまず二人は今の説明で納得してくれたようだ。正直なところ、深掘りされると言わざるを得ない状況になってしまうと予想がついていたので、これで収まって内心ほっとしていた。
そして三人で駄弁りながらそのまま歩くこと約二分。柊の住むマンションと柚羽の住む家の分かれ道へと到着した。
「じゃ、僕たちこっちだから」
「……そういえばそうだったな」
いつも通り柚羽だけが分かれる感覚でいた柊。少しだけ変化した環境にはっとする。
「ひーらぎ、また明日ー」
「おう、末永くお幸せにな」
最後にひとこと茶化しておいて――彼らにとっては逆効果なのだろうが――、二人とはその交差点で別れる。
「……帰るか」
数少ない友人と入れ替わりで斜向かいに引っ越してきたのが学校一の美少女、というまるでライトノベルのような展開に驚きつつも、氷梨にあまり興味はないというが本当のところ。どちらかといえば彼女と変にかかわることによって面倒ごとに発展することのほうが、柊にとって最も恐れるべき展開。
プライベートではあまりかかわらない方が身のためだろうな、とそんなことを考えながら、柊は自宅への道を急ぐのだった。
こんにちは。天守熾空です。初心者も初心者です。筆はとても遅いですが、頑張って書きます。
読んでいただきありがとうございます。「こうした方が読みやすい」などありましたらご指摘のほどよろしくお願いします。
2話目となります。ベタ展開もいいところではありますが、好きなものを詰め込もうとしたらこうなりました。すみません。