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満月の夜、うさぎを想う

時々、おはぎとか、稲荷ずしとか、食べたくなってしまうことがあります。

それほど、大好き、というわけでもないのだけれど……。


思い出した時に、いつものお店へ。

それは、幸せなことなのかもしれません。


アポロ11号が月面着陸を果たしたのは、1969年7月20日20時17分。

この時、ひっそり幻と消えた者がいる。

そう、月で餅をついていたウサギである。


◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇


ここ、桂木かつらぎ町には、宇紗宜堂うさぎどうという和菓子屋があった。

現在の主人で5代目だというから、そこそこの老舗だ。

売っているのは、昔ながらのおはぎ。

柔らかくて、でもちゃんと、もち米の存在感はあって、塩味が効いている。

粒餡はちょっと甘め。

でも、もたれる感じはせず、ぺろっと食べれてしまう、そんな、おはぎである。

お客さんも、昔馴染みやご近所さんがほとんど、という塩梅で、特別に珍しいという店ではなかった。


僕が、この店を利用するようになったのは、3年前のまだ寒さの残る春先、急に降り出した雨を避けるため、軒下を借りたのがきっかけだった。

靴が濡れ、足元が冷えて、薄手の上着を後悔していたところに、店から奥さんが声をかけてくれた。


「よかったら、中に入りませんか?」


僕は、最初、そこが何の店か分からず、濡れた靴のまま入ることを躊躇った。

しかし、奥さんは、引き戸を開けて手招きすると、店内の片隅の、小さな電気ストーブの前に木製の丸椅子を置いてくれた。


「足元が冷えると、つらいからね。あったまりなさい。」奥さんはそう言って、お茶も出してくれた。


僕は、お茶をありがたくいただき、やや薄暗い店内を見回した。

ガラスのケースに、並べられたおはぎ。数も多くはなかった。そして、それ以外に売り物は見当たらなかった。


「うちは、ずっとこれだけなんよ。店も古くて小さいし。ご近所さんが買ってくれる分で、細々とやってるの。」


僕が、足元を乾かしている間に、客は、2人来た。

1人は、こざっぱりとした品の良さそうな老婦人で、遊びに来る孫に食べさせるのだと言っていた。


「最近のお菓子はよく分からないのよ。でも、孫は、これが気に入ってるみたい。のどにつかえないよう、切り分けて、ゆっくり食べさせるようにしてるけど、1個分、全部食べちゃうのよ。」

奥さんに話しながら、老婦人は、渡された包みを大事そうに抱えた。

奥さんは、出口のところまで付いていき、老婦人の代わりに雨傘をゆっくりと広げて、手渡した。


「ありがとう。また来るわ。」


もう1人の客は、くたびれたジャンパーを着たやはり高齢の男だった。


「今まで、世話になったなぁ。今日で、もう、この店に来ることもないだろうよ。婆さんの好物だったから、最後に2つ貰いに来た。」

男は老人ホームへの入居が決まったのだという。

奥さんは、やはり、包みを渡すと、男の歩調に合わせて付いていき、引き戸を開けて送り出した。


「雨、上がりましたね。」

奥さんは、そう言って空を見上げた。


ガラスのケースには、おはぎが1つ残っていた。


僕は、残ったおはぎを買って帰った。

部屋に入り、テレビをつけ、買ってきたおはぎを皿にのせ、ペットボトルの茶を飲みながら、ソファーに腰をおろした。

おはぎなんて、どれくらいぶりだろうか?

それは、懐かしい味だった。


その後、僕は、時々思い出しては、おはぎを買って食べた。

しかし、新型コロナの影響で、僕の会社もテレワークへと方針を変え、宇紗宜堂へは足が遠のいた。


しばらくぶりに、宇紗宜堂の前を通りかかった時、その引き戸のところに、1枚の紙が貼られているのに気が付いた。


閉店を知らせる紙だった。


僕は、呆然として、その場に立ち尽くした。

すると、「あら、こんにちは。」と、聞き覚えのある声がかけられた。


「あの、お店、やめちゃうんですか?」

「そうなの。主人が腰を痛めちゃってね。もう、いつ閉店にするか、時間の問題だったのよ。」

奥さんは、笑って言った。

「本当はね、祖父の代で閉めるはずだったの。月からウサギもいなくなっちゃったし、おはぎなんか、もう時代遅れだってね。そこから50年、よくもったと思うわ。」


奥さんは、閉店後も、掃除のために時々来ているのだと言った。


月からウサギが消え、この町から宇紗宜堂が消えた。

いつの間にか、馴染みだったものが消えていく。僕は、少し、肌寒さを感じた。

種類は違うのですがね。

それなりに利用していたお店が閉店してしまいました。


それはもう、ひっそりと。閉店セールも無しです。


コンビニとか通販は便利だけど、なんだかなぁ。寂しい限りです。



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― 新着の感想 ―
[良い点] 題名がすごく好きです! 夜空を見上げながらどうしてるかなって想う姿を想像しました。 後書きの「それなりに利用していたお店が閉店してしまいました。」という物悲しいお気持ちを物語に昇華されてい…
[良い点] 企画から拝読しました。 >婆さんの好物だったから、最後に2つ貰いに来た とても切ないですね。 当たり前だと思っていたことが変わってしまう、そこにあるのが当然だと 思っていたお店が閉店し…
[良い点] おはぎ大好きです! おはぎをつまみにブランデー飲んだりします! 『最後に2つ貰いに来た』 ここ! ぐすんとなりました! なんとも物悲しい……
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