ドレイクの異変
翌日は『魔法院』に顔を出した。私は院長室でお茶を飲み、研修会の報告のついでにジョナサンから聞いた外界での噂について話した。
「こちらの生き物が外界に連れ去られているという話は、昔からあるんですよ」
院長は特に驚いた様子は見せなかった。
「それがもし事実であるとしても、エレスメイアの『門』からではありません」
「なぜわかるんです?」
「常に三人の術師が結界を張り巡らせているからです。それに私が自分でモニターしていますしね」
「お父さんが……ですか?」
「あの『門』を開いた状態で維持するのが私の役目なのですよ。『門』が利用されると、私の呪文に記録が書き込まれます。ポケットにツノネズミを隠して通ったってちゃんとわかるんですよ」
『魔法院』が『門』を開いたというサリウスさんの話は本当だったんだ。エレスメイアの住民だって『門』は自然発生的に開いたものだと信じている。相当な機密事項のはずなのだけど、外界人の私に話しちゃっていいのかな?
「『門』は自然に開いたんじゃなかったんですね」
そんな話は初耳だという顔で私は尋ねた。サリウスさんに聞いたということは黙っておかないと、彼がお咎めを受けてしまうかもしれない。
「ええ、先代の院長のアイデアです。もちろん国王陛下も賛同してくださいました」
「お父さん、『門』を開いちゃうなんて凄いんですね」
「いいえ、違いますよ。私には『門』を開く能力はありません。開いたのは先代の院長なんです。私にできるのは『門』を開きっぱなしにしておくことだけですよ。ドアストッパーのようなものですね」
「ずっと開いてるんでしょ? 疲れませんか?」
「私にはそういう才能があるようでして、たいして集中する必要もないんです。先代にもそれでスカウトされたんですよ。その縁で今はこうして院長をしているわけですが……」
「やっぱり凄いじゃないですか」
「そんなことはありません。たまたまそういう力を持っていただけの話です」
彼は照れくさそうに頭を掻いた。
院長はあまり自分の話はしないので、義理の父といっても知らないことばかりだ。『魔法院』の院長ともなると、常識では測れない力を持っていて当然なのだろうけど、二つの世界を繋ぐ『門』を維持しているのが彼だったなんて驚きでしかない。
「私に気づかれずにエレスメイアの『門』から生き物を連れ出すのは不可能だと断言しますよ。それどころか、結界に阻まれて『門』に近づくことすらできないでしょう」
彼の口調は自信たっぷりだし、この国から魔法生物が密輸されている線はなさそうだな。
「つまり、もしその噂が本当ならば、エレスメイア以外の国が外界への『門』を開いているということでしょうか?」
「そういう事になりますね。『壁』の向こうにまだ世界が存在しているのなら、そこに住む人たちが外界との接触を図っても不思議はありません。 けれども、先ほども言いましたように、その噂は昔から常に存在しているのです。都市伝説のようなものではないかと私は思うのですけどね」
院長は噂自体を信じていないようだ。外界のどこかで『魔法世界』の生き物たちが残酷な死を迎えているなんて想像したくもない。ジョナサンの取り越し苦労ならそれに越したことはないのだけれど。
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「どうして昨日は来なかった?」
『魔法院』からの帰り道、いつもの場所で舞い降りてきたドレイクが、顔を合わせるなり私に尋ねた。
「昨日は……あの……急ぎの用事があったから……」
図書館でデートだったとは言えず言葉を濁したけれど、いきなり聞かれたものだから目が泳いでしまった。
「大事な用だったのだな?」
「うん、すごく大事な用事」
「そうか。なら、しかたあるまい」
そこで会話が途切れ、竜は黙ったまま歩き出した。
何も話さずに彼と並んで歩くこともある。でもそれは心地の良い沈黙で、今の静けさは私を不安にさせた。
「ねえ、どうかしたの?」
「どうもしないが……」
竜は高みから私を見下ろした。いつもなら首がつるんじゃないかと心配するぐらい、頭を低く下げて歩いてくれるのに。
「怒ってるの?」
「怒ってなどいない」
「何か話そうよ」
「では、研修会の話をしてくれ」
え、私が話すの?
息の詰まる沈黙よりもましかと思い、私は研修会での出来事を順を追って話した。部外者には話してはいけない規則なのだけど、竜を通じて話が漏れるとも思えないから気にしない。
彼はいつものように口を挟まず、時々相槌を打つだけだ。
ドレイク、どうしちゃったんだろう? やっぱり私に恋人ができたことに気がついて機嫌を損ねてしまったんだろうか?
一人で話し続けていると道中が長く感じられる。ようやく村の手前までたどり着いて、私は内心ほっとした。
「じゃあな」
ドレイクは別れを惜しむ素振りも見せず、私に背を向けるとさっさと翼を広げた。やっぱり何かがおかしい。
「ねえ、来週また会えるよね?」
ふいに不安に襲われた私は、今にも飛び立とうとしている竜に大声で呼び掛けた。
「ああ」
彼は振り返って片側の目で私を見た。
「本当に?」
「俺は毎週来るだろう?」
「それは、そうだけど……」
それっきり何も言わずに竜は勢いよく舞い上がり、みるみるうちに小さくなっていく。
「ドレイク!」
ますますひどくなる胸騒ぎに突き動かされて叫んだけれど、もう声は届かない。金色の竜は光の点となって丘の向こうに姿を消した。




