ニッキ、サリウスさんに会う
王都見学と学校初日は滞りなく終わり、今日は放課後の面接を除けば大してやることもない。昼食をいそいで済まし、杖とバッグを肩に担ぐとレイデンに声をかけた。
「じゃ、図書館に行ってくるね」
「あれ、今日は『魔法院』の日じゃありませんでしたか?]
「『魔法院』は明日行くことにしたの」
サリウスさんと交際を始めた事を彼は知らない。話そうとは思ったのだけど、ニッキは本当は恋人ではないと説明するのも億劫で、話しそびれてしまったのだ。今となっては矢島さんの手前、ニッキと付き合ってるフリを続けなくてはならないし、黙っていた方が無難だな。
日中は乗合馬車の便数も少ない。待っている間も乗り込んでからも、時間が進むのが遅く感じられた。一週間ほど会わなかっただけなのに、サリウスさんが恋しくて仕方ない。
けれども図書館に入って最初に出会ったのは、研修会で見飽きるほど見た顔だった。受付カウンターの前でニッキが待ち構えていたのだ。
「おう、ハルカ。来たか」
私の姿を見るなり勢いよく駆け寄ってきた。ウィテニトアさんと話して暇をつぶしていたらしい。
「どうしてここにいるの?」
「初登校の翌日はたいして忙しくもねえからな。絶対にここに来ると踏んでたんだ」
そんなドヤ顔で言われても困るんだけどな。
「だからって突然来ないでよ」
「会わせてくれるって言っただろう?」
「でも、今日だとは言ってないよ」
「けちけちするなよ。主人がどんな奴と付き合ってるのか、いい加減に知っておかないとな。それにババアも怖いんだ。俺を助けると思って会わせてくれよ」
後半が彼の本音らしいな。
「仕方ないなあ。挨拶だけにしといてよ。余計なことは言わないで。絶対にだよ」
「わかってるって。任せとけ」
「もしなにかやらかしたら、これからは『エルフ』って呼ぶからね」
「なんだよ。わかったって言ってんだろ? 信用ねえなあ」
本当にわかってるのかなあ。ここまで来てしまったからには、サリウスさんの顔を見るまでは帰りそうにない。さっさと会わせて追い出してしまおう。
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本棚の間を抜けていつもの場所に近づくと、ニッキが怪訝な顔で周囲を見回した。
「なんだこれ?」
「目くらましの魔法なんだって」
と言っても、私には効き目がないので、ニッキに何が見えているのかは分からない。
「こりゃ、かなり手が込んでるぞ。よっぽど邪魔されたくねえんだな。こんなとこでやらねえで、部屋くらい借りろよ。貴族のくせにケチなジジイだ」
「変な事言わないでよ。私は勉強しに来てるだけだよ」
まあ、前回はほかの事にも時間をとられちゃったんだけどね。
「そんな顔で言われても説得力ねえけどな」
表情に出てしまったらしく、ニッキが意地悪く笑った。
本棚の森から足を踏み出すと、いつもと同じ席でサリウスさんが待っていた。私たちに気づいて笑顔を向ける。
「え? あ、あああ……う?」
後ろでニッキが妙な声を出した。振り返ると彼は金色の目を見開いて食い入るようにサリウスさんを見つめている。
「ニッキ? どうかしたの?」
「あ、あなたは……」
あなた? あなたって言った? ニッキが?
「『東の森』の者か。私を知っているのだな?」
サリウスさんが椅子から立ち上がった。
「はい、知ってます」
「そうか。では、ハルカには話さないでいただきたい。時期が来れば私から話すと約束したのだ」
「ぜ、絶対に、言わねえ……です。約束します。いや、俺のすべてをかけて誓います」
ええ、そこまでかけて誓っちゃうの?
ニッキは私の顔をキッと睨んだ。
「ハルカも聞くなよな。わかったな?」
「わかったけど……」
彼のただならぬ形相に私はうなずいた。
「で、どうなの? そのジジイが私にふさわしい男なのか確認するって言ってたよね?」
「ば、馬鹿! 言うな! お、おれ、帰ります。サリウスさん、失礼い……いたします」
顔を真っ赤に染めたニッキは、サリウスさんにぺこりと頭を下げて、そそくさと本棚の間に姿を消した。
彼はサリウスさんがどこの誰なのか知っているのだ。私が命令すれば話してくれるだろうけど、彼の誓いを破らせるわけにはいかないし……。結局サリウスさん本人が話してくれるのを待つしかないのかな。
「ねえ、あなたは偉い人なんですか?」
あのニッキが純粋な敬意を見せるなんてただ事じゃない。
「偉いとはどういう意味なのだろうな? 人々には敬意を向けられるが、自分では偉いなどと思ったことはない。少し他とは違う力を持っているだけの話だ」
サリウスさんは私の質問に少し戸惑ったようだ。他とは違う力って、どんな力を持っているんだろう?
「案ぜずとも私の事はいずれわかる。それよりもあの者について聞かせてもらおう。彼は君の友達なのかな?」
「はい。彼も留学代理店で働いてるんです。別の事務所ですけど。私に彼氏ができたって言ったら、是非会いたいって……」
「ずいぶんと近しい関係のように思えたが……」
「まあ、仲はいいですから。……あれ、妬いてるんですか?」
「ああ、そうだ」
サリウスさんは私をぐいと抱き寄せた。
「君から時々彼の匂いがするのはどうしてなのだろうか?」
「仕事の関係でよく会うからですよ。今回の研修会でも一緒でしたし」
同じ布団で抱き合って寝てたとはさすがに言えない。そんな匂いまで感じ取っちゃうなんてずいぶんと鼻がいいんだな。
「一週間会えないのがこれほど辛いとは思いもしなかった」
「私もすごく会いたかったです」
そういったとたん、むぎゅっと唇を塞がれた。
彼のキスはやっぱり熱い。彼も同じ気持ちでいてくれたと知ってすごく嬉しい。名前ですら本名なのかわからない人なのに、どうしてこんなに惹かれるんだろう?
「少しは耐性がついたようだな」
私を解放して彼が笑った。
「散々キスされましたから」
「でもまだまだ足りぬようだ」
「あ、あの、サリウスさん……」
けれども彼は容赦なく唇を重ねてくる。机の上に押し倒されるようにして、キスを受けた。
「ハルカ……」
くぐもった声に名前を呼ばれて身体が震える。彼は私の腰に手を回し、自分の身体を押し付けてきた。頬に当たる息が熱い。
サリウスさん、本棚に囲まれた隅の席だとはいえ、ここは図書館の中ですよ。さすがにこれ以上はまずいのでは。けれども、私の落ち着かない様子に気づいたのか、彼はすぐに身を離して私を助け起こしてくれた。
「すまぬ。急がず焦らず少しずつ関係を深めていくのが、外界人のやり方であったな。君といるとつい失念してしまうのだ」
赤い顔で息を整えている様子から察して、あそこで止めるのに相当の精神力を要したようだ。彼の外界情報は少々時代遅れな感もあるけど、おかげで暴走しないでくれて助かった。
「さて、今日こそは講義を進めようか」
彼は席について本を開いたが、その声にはいつもの気概が感じられない。乗り気じゃないなら無理しなくていいのに。
「あの、講義はやめて散歩に行きませんか? 放課後に面談があるので、あまり長居はできないんです。今日はあなたの顔が見たかっただけですから」
「そうか。では散歩がてら外界の土産話でも聞かせてくれるか?」
「はい、喜んで」
暖かな笑顔も栗色の髪もしなやかな筋肉質の体も、彼のすべてがタイプなのだが、何よりも私を惹きつけるのが彼の目だった。緑の瞳の奥底には、とてつもなく大きな知性が潜んでいるようで、見つめていると吸い込まれそうな気分になる。
「どうかしたのかな? 今日の服装はおかしかっただろうか? 一緒にいる君に恥をかかせたくはないのだが、私は流行というものに疎くてな……」
私の視線に気づいたサリウスさんが、美しい装飾の施されたローブを落ち着かな気に見下ろした。
貴族という出自からくるものなのか、身の内に秘めている強い魔力に因るものなのか、彼はいつも自信に満ち溢れているように見える。それなのに私の行動ひとつで自信が揺らいでしまうのが、とても愛おしく感じられた。
「いいえ、完璧ですよ」
誉め言葉なんかじゃない。実際、彼は完璧すぎた。こんな人が私を愛してくれているなんて、まるで奇跡だ。一瞬、失恋した私の心を穴を埋めるために、誰かが彼をプレゼントしてくれたんじゃないかって、そんな馬鹿みたいな考えが頭に浮かんだ。
でも……レイデンと出会えたことだって奇跡だと信じてたんだ。もしかして奇跡って長くは続かないのかも……。
「ハルカ?」
気付けばサリウスさんの大きな手が目の前に差し出されている。私は彼の手を取り、伸びあがって彼にキスをした。
「サリウスさん、大好きです」
「そ、そうか」
ふいをつかれた彼は耳まで赤くなったけど、すぐに私を抱きしめてくれた。
今度の奇跡はいつまでも続いてくれると信じよう。奇跡が奇跡であり続けられるように、私自身が努力をしていこう。
仲良く手を取り合った私たちは、図書館を出て王都の喧騒へと足を踏み出した。




