第16期生、入国
北アメリカ地区の留学生たちを率いて、朝一番にジャニスとニッキは研修場を出た。どうせ来週『魔法学校』の始業式で顔を合わせるので挨拶もなしだ。
私たちのグループの入国はいつも昼前になる。四人の生徒さんとシホちゃんを連れて出国ゲートまで行くと、矢島さんが待っていた。
「見送りに来てくれたんですか?」
「いや、俺も村まで行くんだ」
「ああ、レイデンに会いたいんですね」
「まあな」
「いいですね。すぐに恋人に会えて」
「なんで羨ましがるんだ? お前ら、研修中ずっと一緒にいたじゃないか」
しまった。ニッキの事を忘れてた。
「いやあ、そうなんですけどね」
ちょっと照れたフリをしてごまかしてみる。ジョナサンも矢島さんもニッキと私の関係に期待しているようだし、本当は違うとは言いにくくなってしまった。折を見て別れた事にするしかないか。
手続きを終えた生徒さん達が出国ゲートを抜けて歩き出すと、矢島さんはそばに置いてあった大きなケージを引っ張ってきた。
「それは?」
「ピャイリツァルマネモラだ」
「は?」
中から「くうん」と声がした。隙間から白い物が動いているのが見える。ああ、ピャイが入ってるのか。
『門』を抜けて外界側の薄暗いバンカーから秋晴れの青い空へと足を踏み出した生徒さんたちは、まぶしそうにあたりを見回した。『魔素』が身体を通り抜けていくのが感じられる。今日もいい天気だ。
木下さんは水色の鬼に姿を変えて息をついている。彼を取り囲んで全員が拍手した。
「あの、ありがとうございました。もう自分で運べますから」
木下さんは申し訳なさそうに礼を言った。入国用の小さなスーツケースを運ぶのさえ辛そうだったので、途中みんなに手助けしてもらったのだ。
「すごい筋肉。今なら全員の荷物を運べちゃいそうだね」
あまりの変貌ぶりにマイアは驚きを隠せない。
「もう『タケル』って呼んでもいいんだろ?」
「え、でも、その名前は……」
カールの質問に木下さんは戸惑った顔をした。
「丈夫に育ってくれるようにご両親がつけてくれた名前なんでしょ? ご両親の願いが叶ってよかったね」
アンジーが優しく笑う。
「親にもらった名前は大事にしなきゃ」
「ああ、そうか。そうですね」
彼らの言わんとすることを理解した木下さんは恥ずかし気に笑った。
「でも言いにくいから『タケ』だな」
カールの一言で、彼の呼び名は『タケ』に決定したようだ。
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小さな小屋での入国審査は滞りなく終わり、今日も入国管理官のフリをした国王陛下は「よい生徒さんばかりですね」と満足げに褒めてくれた。
「それでは僕は帰りますね」
ジャンマーの馬車に乗り込む私たちに向かって、ピャイが尻尾を振った。彼の家は『門』の近くにあるらしい。
「ハルカさんはメルベリ村に住んでるんでしょ? 今度、遊びに行きますね」
「あ、ああ、そうだね。そのうちにね」
来てもらわなくていいんだけど、一応お世話になったので、無下には断れないな。
「なんだよ、あの変な犬は?」
馬車が走り出すと、いつものように迎えに来たケロが、私を不機嫌そうに睨んだ。
「研修会にニッキが来たから『魔素部屋』係をお願いしたの」
「ふうん」
ケロは人間には妬かないくせに、かわいいペットの座を脅かしそうな生き物には敵対心を抱く。
「遊びに来たらトカゲみたいに居ついちゃうかもしれないだろ?」
「心配しないで。間違いなく追い出すから大丈夫」
あんなセクハラ犬に居つかれてはたまらない。私の声にこもった決意に、ケロは不思議そうに目をぱちぱちさせた。
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村に近づくと、今回もまたドレイクが低空飛行で迫ってきたが、生徒さん達には前もって警告しておいたので、みんな落ち着いて竜の写真を撮った。ドレイクは私に向かって片目をつぶって見せた。後から会えなくて寂しかったと言い訳をするつもりだろう。
「わざわざお出迎えか。ずいぶんと懐いてるんだな」
隣に座っていた矢島さんが耳元でささやいた。
「え?」
「あんなでかい奴に乗ったんだろ? たいしたもんだ」
「乗ったって言っても、頭の上に座っただけですよ。……矢島さん、よく知ってますね」
「そりゃあ知ってるさ。『スレイヤー』が竜に乗ったって、公式発表されてたじゃないか」
「ああ、そういえば……」
ドレイクに乗った後、王宮に呼び出されて質問されたっけ。失恋の真っ最中だったし、あれっきり気にも留めていなかった。
「『ドラゴンライダー』なんて伝説にしかでてこないんだろ? 『ICCEE』でも話題になってる。お前の事だと知ってるのは上の奴らだけだがな」
「『ドラゴンライダー』って?」と聞き返しかけて『竜に乗る者』の事だと気が付いた。『ICCEE』では英語が公用語だから、 当然そう訳されてしまうよな。
「そんな大事になるとは思ってなかったんですよ」
「そうなのか? お前らしいな」
報告しなかったことを叱られるのかとひやひやしたけど、矢島さんはそれっきり何も言わなかった。
ジョナサンの言う通り、彼が私の監視係であるのなら、根掘り葉掘り質問しないのはなぜだろう? 毎回事務所に来るたびに近況の報告はするけれど、知られたくないことは話さないし、立ち入ったことを聞かれたこともない。『魔法院』に出入りしている私から 『ICCEE』が聞き出したいこともたくさんあるはずなのに、どうして?
もしかして私に質問する必要がないのかな? まさか、人の心が読めるってことはないよね? ありえないとは思うけど気になるな。それが彼の隠している能力なのかもしれないし。
ーー矢島さん、私の心を読んでるんですか?
ためしに心の中で彼に問いかけてみたけれど、矢島さんは気づいた様子もなく景色を眺めている。
ーー聞こえないフリしてるんですね。それでは今から矢島さんを攻撃します。避けないと痛いですよ。
私は彼のわき腹にそっと指輪を押し当てた。最近、指輪を使った攻撃魔法の練習をしている。クルミの殻を割ったり、外で涼んでいるときに吸血虫を追い払ったりと、普段使いに重宝するのだ。
間違ってたら許してね。そう思いながら心の中で呪文を唱える。
「うわ、いてっ!」
矢島さんが大声を上げて飛びあがったので、生徒さんが一斉にこちらを見た。
「なんだ、今のは?」
彼がシャツをめくると、指輪が当たっていたあたりの肌が赤くなっている。
「ああ、これ、虫じゃないですか?」
さっさと指輪のはまった手を後ろに回して、私はしらばっくれた。
「ええ? そんな虫、聞いたことないぞ」
「夏になると出るんですよ。痛むんですか?」
「……いや、大丈夫みたいだな」
彼の反応を見る限り、心を読まれているわけではなさそうだな。たとえ私が手加減するとわかっていても、攻撃を受けると知っていながら無反応でいるのは難しい。
今まで疑問に思ったこともなかったけど、タニファの使命を担った私の動向に 『ICCEE』が無関心なわけがない。私から直接聞きださなくても、他に情報源があるのかな?
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村境の橋を渡ったところで巨大な黒い狼が姿を現し、勢いよく突進してきた。竜には驚かなかった生徒さん達も悲鳴を上げた。狼は勢いよく馬車に飛び乗り、シホちゃんの顔をぺろんと舐めた。
「ゼッダさん! どうして分かったの?」
シホちゃんは狼の太い首にぎゅっと抱きついた。
「シホの匂いがしたんだ」
彼の喜びようははしゃぐ犬そのもので、尻尾がぶんぶん揺れている。ゼッダの家は村の反対側なのに、凄い嗅覚だな。
「今日帰ってくるとは知らなかったぞ」
「急に戻ってくることになったから、びっくりさせようと思って黙ってたの」
「そうだったのか。……シホの計画をぶち壊してしまったな」
ゼッダは耳を倒してしゅんとした。
「ううん、計画ってほどじゃないから気にしないで。迎えに来てくれて嬉しかったよ」
「そ、そうか。ならよかった」
一旦だらりと垂れた尻尾がまたぱたぱたと動き出した。
「あの、シホさんのペットなんですか?」
ショックから立ち直ったアンジーがこわごわと尋ねた。
「仲のいいお友達なの。ゼッダは人狼で、普段は人の姿をしてるんだよ」
シホちゃんが前期の留学生だったのはみんな知っている。けれども今期の生徒さんにシホちゃんとゼッダの関係を話すなと『本社』からのお達しがあった。
やむを得ない理由はあったにせよ、シホちゃんは恋愛禁止の留学期間中に彼氏を作ってしまったのだ。悪い前例を見て、もしかしたら自分も大丈夫かも、なんて気持ちになられては困る。
滞在許可なんて簡単に下りるものじゃないんだから。
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事務所の前に馬車が止まると、いそいそとレイデンが出て来た。
「おかえりなさい、ハルカ。お疲れさまでしたね」
いつもと変わらぬ暖かい笑顔で迎えてくれる。生徒さんたちは写真流出のイケメンを見て色めき立った。
「よう、レイデン。元気だったか?」
馬車から降りて来た矢島さんに声をかけられ、レイデンの顔がさらに明るくなる。
いいなあ。私もサリウスさんに会いたいな。明日は王都見学、その次の日は学校初日で忙しいので、明々後日まで彼には会えない。寂しいけど、仕事に集中しなくっちゃ。
「おや、キュウタちゃんも来たんだね」
待ってましたとばかりに店から出て来たラウラおばさんが、レイデンと矢島さんの間に割って入った。
「ああ、おばさん、こんにちは」
「おばさん、邪魔しちゃダメだって」
「いいじゃないか。この子たちはしょっちゅう会ってるんだから」
「でも今回は一週間も会ってないんですよ」
「いいんだ、ハルカ。今はまだ仕事中だろ。ほら、荷物を下ろしちまうぞ」
矢島さんはレイデンの方をポンと叩いて、馬車の方に向き直ったのだけど、荷物は全部木下さんが降ろしてしまった後だった。
「なんだ、俺の出る幕はなかったな」
矢島さんが肩をすくめた。
「今からお昼なんですが、矢島さんはどうします?」
「アルギスの店だろ? 俺も行くよ」
「せっかく来たのに、ゆっくりする時間がないですね」
「今夜は泊まってくんだ。気にするな」
なんだ。そういうつもりだったのか。それじゃ、遠慮せずに手伝ってもらおう。
パブに向かう途中、矢島さんがポケットから小さな包みを取り出して、レイデンに渡した。
「ほら、土産だ」
「ありがとうございます」
レイデンの嬉しそうな顔を見ていると、急に不安が込み上げてきた。彼は矢島さんに心を許しきっているようだ。でももし、ジョナサンの懸念が正しかったら?
エレスメイアの『不利益』になるような行動を矢島さんが取るようなことがあれば、レイデンはどうするんだろう? 真面目な彼の事だから、思い悩むに決まってる。
矢島さんも彼のことを相当気に入っているように見える。あれだけ遊び歩いていた彼が相手を一人に絞るなんてよほどのことだと村でも噂になっているらしい。
確かにレイデンは最高に格好よくて可愛いし、矢島さんが惚れたって不思議はない。でもあの二人が知り合ってから三年近く経つのに、今さら恋に落ちたりするものなんだろうか?
それともほかに理由があるの? 『ICCEE』の任務で彼に近づいたってことはないよね。レイデンは『魔法院』の関係者でもないし、探り出すべき情報なんて何も持っていないんだから。
そこまで考えてとんでもない事に思い至った。レイデンは 『ICCEE』にとって有益な情報を持っている。私に関しての情報だ。『魔法院』での出来事もよほどの機密事項以外は隠さずに彼に話してきた。別れた後だって、週末以外は事務所で顔を合わせている。エレスメイアで一番私にくわしいのは彼なのだ。
まさか、レイデンが矢島さんの情報源だっていうの?
並んで歩く二人を背後から眺めた。私にはやたらとくっついてきたレイデンも、矢島さんとの間には距離を置いているように見える。年齢差もあるせいか先輩をリスペクトする後輩のような、そんな雰囲気。
もし利用されているとしても『ミョニルンの目』が気付かないはずがない。けれども矢島さんに全く悪意がないとしたら? 彼が自分の行動が正義であると信じている限り、『目』には善人に見えてしまう可能性もある。
「ハルカさん、どうかしたんですか?」
マイアに声を掛けられて、自分が長い間黙り込んでいたことに気づいた。
「ちょっと考え事してたの。ごめんね」
「なんだ、ハルカ。難しい顔して。忘れ物でもしてきたのか?」
矢島さんが振り返った。難しい顔の原因はあなたなんですけどね。
「心配するな。次に来るときに持ってきてやるよ」
「忘れ物なんてしてませんよ。矢島さんの分、頼んでないのを思い出したんです。別メニューにしてくださいね」
「そうなのか? あの詰め合わせ、好きなんだけどな」
「じゃあ、私のをあげますからゴネないでください」
だめだ。今は生徒さんたちの事を第一に考えなきゃ。ジョナサンめ、ずいぶんと荷の重い課題を残していってくれたな。とりあえずは矢島さんの動きに気を配るしかないようだ。




