不穏な噂
「え? そんなのどこで聞いたんですか?」
私はジョナサンの顔を見上げた。陰謀論ではよく聞く話だけど、それが彼の口から出てくると妙に真実味を帯びる。
「友達からの情報だよ。前から噂はあったのだけど、今回のは信憑性が高いようだ」
「それが 『ICCEE』の仕業だと?」
「まだそこまではわからないが、唯一の『門』が 『ICCEE』の管理下にあることを考えると、可能性は高いだろうな」
でも外界には『魔素』を持ち運ぶ技術はないはずだ。魔法を使えるほどの高濃度の『魔素』を外界に持ち出したければ、ケロやピャイのような『魔素』の発生源を『魔素封じの呪文』をかけた容器に入れて運ぶしかない。
「……もしかして、『魔法生物』が連れ出されてるの?」
「そういうことだろうね。考えたくもないが……」
『魔素』を封じたケージに入れられていても、『魔法世界』に戻れなければ、いずれば『魔素』を放出しきって死んでしまう。
「でも、どうやって連れ出すんですか? 『門』は常時監視されているんでしょう? 『ICCEE』が絡んでいるのなら、外界側の監視ははなんとかなるかもしれませんが、エレスメイア側の警備をごまかすのは不可能ですよ」
エレスメイア側の『門』の周囲にはフェンスすらなく、警備員達は暇つぶしにおしゃべりしたり、ぼんやり空を眺めたりしている。一見、簡単に近づけそうに見えるのだが、実際には鈍い私にさえ感じられるほどの強い呪文が、幾重にも張り巡らされているのだ。これをかいくぐって生き物の密輸なんて出来るはずがない。
「エレスメイア側に協力者がいるのかもしれないぞ」
「術師自身が裏切者でないかぎり、誤魔化せるとは思えませんけど」
「その可能性だってあるだろう?」
「『門』を守っているのは『上級魔法使い』達ですよ。彼らはエレスメイアに忠誠を誓っています」
「ハルカは誓ったのかい?」
「え?」
支部勤めの職員に過ぎないジョナサンは、私が『ドラゴンスレイヤー』であることも、『上級魔法使い』に任命されていることも知らないはずだ。
「……いえ、私はただの代理店の社員ですから」
「そうか。そうだったね」
ジョナサンがにやりと笑う。この人、どこまで知ってるんだろう?
友達の情報って言ってたけど、どういう筋の友達なの? 『魔法世界』に関しての胡散臭い噂なんて掃いて捨てるほど出回っている。ジョナサンがいい加減な情報に振り回されるとは思えない。それでもあのエレスメイアの『門』から、生き物を連れ出せるとはにわかには信じがたかった。
「ここ以外にも『門』がある可能性はないですか?」
「ないこともないが、『魔素』が持ち出されているという事は、すでにどこかの国が『魔法世界』と秘密裏に接触しているということだ。考えるだけでも恐ろしいな」
「もしそうだとしても、いつまでも隠し通すのは無理ですよね。他にもわかったら教えてくれますか?」
「次に会った時にね。君に手紙を書いても 『ICCEE』とエレスメイアの両側で検閲されるからね」
「ああ、そうでしたね」
内容を知られずに外界と連絡を取るのはまず不可能だと思っていい。レイデンと付き合い出した時にジョナサンに知らせなかったのは、誰かに読まれるとわかっていたからだ。隠していないからと言って、赤の他人に私生活を知られるのは気持ちが悪い。
「まあ、そんな動きもあるってことを伝えたかったんだ。外界はいつまでもエレスメイアを放ってはおかない。それだけは覚えておいてくれよ」
「はい」
「ほんと、機密ばっかりで嫌になるよなあ」
「え?」
ジョナサンは食堂の入り口に向かって手を振った。振り向くとカール達が仲良く話しながら入ってくるところだった。
「ほら、みんな来たよ。僕たちも席に着いた方がいいな」
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それからは事件と言えるほどの出来事も起こらず、研修会最後の晩を迎えた。ジョナサンの送別会ということで、また集まって飲んだけど、この晩はみんな早めに切り上げて自分の部屋に戻った。
「じゃ、元気でな。明日は四時起きで空港なんだ。ここでお別れだな」
来る時は木下さんの付き添いで特別機に乗れたけど、帰りは民間機を乗り継いでニュージーランドに戻らなくてはならない。せっかく地球の裏側まで出向いてきたのだから、有休をとってイギリスの親戚を訪ねるつもりなのだという。
「お世話になりました」
木下さんは目を潤ませてジョナサンに頭を下げた。
「いや、君もよく頑張ったね。新しい生活に馴染むまで大変かも知れないが、エレスメイアはいい所だ。君も楽しく暮らせるさ」
彼の表情も寂しげだ。もうこの二人が会う事はないのだから。
「次はいつ来るんだよ?」
仏頂面のニッキが尋ねた。
「さあなあ? 『本部』に呼ばれる事なんて滅多にないからな。また何年か先じゃないのか」
「ええ? 休みの時に遊びにくりゃいいだろ?」
「チョコレート、送ってやるから、そんな顔するな」
「俺がどんな顔してるって言うんだよ?」
「駄々をこねてるガキの顔だ。ジョナサンを困らせるのはいい加減にやめろ」
つっかかるニッキの肩を、矢島さんが後ろからつかんだ。
「こ、困らせてなんかねえだろ? ふざけんな! 馬鹿キュウタ!」
子供扱いされたニッキは、赤くなって矢島さんの手を振り払う。
「キュウタもニッキをからかうなよ。じゃ、元気でな」
ジョナサンは明るく笑って、部屋から出ていった。
彼とはあれ以来、立ち入った会話はしていない。矢島さんとの会話を私に聞かせたのは、自らの『誓い』を破ることなく、彼の隠している能力について忠告するためだったのだろう。でも、あれだけの情報では、どういう能力なのかさっぱりわからない。矢島さんの動向に気を配るしかないのかな?
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この日はジャニスも自室に戻り、当然ながらニッキがベッドにもぐりこんできた。ピャイは床の毛布で丸くなり、鬼はいびきをかいている。
「なあ、抱いてもいいか?」
いきなりニッキが尋ねた。
「はあ? ダメに決まってるでしょ?」
いきなり何を言い出すのかと彼の顔を見て驚いた。彼氏がいるのでなければ思わずOKしてしまいそうなほどの切ない表情。これは重症だ。
「ええと、ジャニスに頼んでみたら?」
「ふざけてんのか? そういう意味じゃねえよ。ひっついてもいいかって聞いてるんだよ」
紛らわしい質問の仕方はやめてほしい。
「それぐらいなら許してあげようかな。かわいい僕のためだしね」
「こんな時ばっかり主人面しやがって」
「はいはい、たまには素直になったらどうなの?」
私が腕を伸ばして彼を抱き寄せると、ニッキは金色の頭を私の髪に埋めた。
寂しいんだろうな。かわいそうだけど私には何もしてあげられない。彼が忘れると決めるまで、支えてあげるしかないのだ。彼が私にしてくれたように。
私の匂い、ジョナサンの匂いに似てるんだっけ。余計に辛くなっちゃわないのかなあ。
彼のぬくもりに包まれてうとうとしかけた時、なにかが唇に触れた。ニッキの唇が私の唇に押し付けられている。それはほんの数秒で、彼は私から離れると深くて長いため息をついた。
今夜ばかりは仕方ないな。気づかなかったフリをしておこう。




