矢島さんの能力
矢島さんとジョナサンは昨日のように二人で部屋を出たのだが、ベッドの上にジョナサンの携帯電話が置き忘れられているのに気づいて、私はすぐに後を追った。廊下の突き当りの角を曲がったところにエレベーターと階段がある。曲がり角の手前まで来ると、二人の会話が聞こえて来た。
「さっきは助かったよ」
矢島さんの声だ。
「そうかい? 君にならもっと簡単に収められただろ? 僕たちの手を煩わせる必要があったのかな?」
え? 一瞬誰かと戸惑うほどに冷たいジョナサンの声に、私は思わず足を止めた。
「仕方ないだろ?」
ムッとした声で矢島さんが返す。
「そうだな」
「なんだよ、その態度は? あれは機密だ。お前だから教えたんだぞ」
「わかってる。でも、君なら気づかれるようなヘマはしないだろ?」
「俺はあんな胸糞悪い力を些細なことには使いたくないんだ」
二人の間に沈黙が下りた。矢島さんの能力の話をしているのはなんとなく分かる。彼には隠している力があったんだ。鬼を倒せるほどの攻撃魔法なのかな?
「……来ねえな。ボタン押したのか?」
しばらくして矢島さんが言った。
「いや、君が押したと思ってた」
「また下に行っちまったぞ。階段使うか?」
「いや、待とう。足元がおぼつかないんだ」
「そんなに飲んでないだろ? 自分で酔いを醒ましてくりゃよかったんだ」
「ほんとだな。魔法を使えるのをついつい忘れてしまってね」
そういって笑う彼の声にはどことなく自虐的な響きが感じられる。
「……なあ、ジョナサン。『本部』に来る気はないのか?」
突然に改まった調子で矢島さんが尋ねた。
「僕みたいな滞在許可も貰えなかった奴が来たって、せいぜい雑用係だろ?」
「俺が上に推薦してやるよ」
「君にならできるんだろうな。でもやめておくよ」
「どうしてだよ?」
「ニッキだよ。僕はもうかかわらない方がいい」
「何を言い出すんだ?」
「お前も分かってるんだろう? どうしてあいつがここに来たがったのか」
「まあな」
「早く諦めさせてやらないとかわいそうだ。このままだとあいつ、苦しむばかりだぞ」
そうか。二人ともニッキの気持ちに気づいてたんだ。彼の態度は分かりやすいから、当然と言えば当然かな。
「今のあいつにはハルカがいる。あいつだって諦めようと努力してるんだよ」
「それなら研修会になんて連れて来るべきじゃなかったんだ」
「分かってるよ。顔出すだけにしろって言ったのに、ジャニスが許可取っちまったんだ。『ダイム』の本社が決めた事だ。俺たちに何ができるって言うんだよ」
矢島さん、だから、ニッキを追い返そうとしたのか。
「悪いが僕には何もできない。お前がなんとかしてやれ」
「そりゃ冷たいな」
「仕方ないだろう? 僕はエレスメイアには入れないんだから」
「そうだったな。すまん……」
「お前になら解決できるんだろ? どうして力を使わない?」
「それは……」
そのまま沈黙が続く。どういう事? 矢島さんの力は攻撃魔法じゃないの?
「……まあいいよ。ハルカによく懐いているようだし、この先、本気にならないとも限らないからな」
ため息をつくようにジョナサンが言った。私たち、最初から真剣に付き合っているとは思われていなかったようだ。
鈍い振動が床を震わせ、エレベーターのドアが開く音がした。今、出て行っては立ち聞きがバレてしまう。携帯は後で彼の部屋まで届けに行こう。
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部屋に戻ってからも、残りのメンバーでしばらく話し込んだ。結局、木下さんだけでなくジャニスも居残ることになった。『魔素』のある部屋は誰にとっても居心地がいいのだ。
「あたしとハルカは親友同士、ベッドで寝るわね」
ジャニスがさっさと布団に潜り込む。
「ええ、俺のベッドだぞ」
「うるさいなあ。研修会に来られるようにしてあげた恩を忘れたの? ちょっとは感謝しなさいよね」
結局、ニッキと魔犬は床に敷いた毛布の上で眠りについた。青鬼はベッドいっぱいに大の字に転がっていびきをかいている。
「くそ……キュウタ…ぶっ殺してや……」
時々ニッキの寝言も聞こえてくる。夢の中でも矢島さんと戦っているようだ。
矢島さんか。さっき盗み聞いた内容を整理すれば、彼は『鬼を簡単に倒せる上にニッキの片思いも解決できてしまう胸糞の悪い機密にされるほどの能力』を持っているらしい。それってどんな力なんだろう?
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翌朝、朝食前の食堂でジョナサンに携帯を渡した。彼の部屋の番号を聞いていなかったので、届けに行けなかったのだ。
「せっかくあそこまで持ってきてくれたのに、どうして渡してくれなかったんだい?」
私の顔を見てにやっと笑う。どういうこと? 追いかけていったの知ってたの?
「ハルカ、これからはニッキを頼むよ」
ジョナサンが、私の肩をポンと叩いた。
もしかしてこの人、わざと携帯を目につくところに置き忘れていったの? 私に矢島さんとの会話を聞かせるために?
「本当にもう来ないつもりなんですか?」
「ああ、『本部』にはな。でも、君とは選考会で会えるだろ?」
「そうですね」
その方がニッキのためにはいいんだろう。望みがないのに近くにいるのがどれほど辛いか、私にもよくわかってる。
「僕がキュウタについて言ったこと、覚えているかい?」
ジョナサンが声を潜めた。
「はい。彼を信用するなと」
「そうだ。忘れないでくれよ。エレスメイアを守りたければね」
「あの、矢島さんの能力って?」
立ち聞きしたのはバレているんだから、遠慮せずに聞いてしまうことにした。
「僕には話せないよ。話さないと彼に誓ったからね」
「でも『魔法世界』での誓いは、『魔素』のないところでは効力がないんでしょ?」
「ああ、だが、誓いを破れば『魔法世界』に足を踏み入れた時点で『制裁』が発動することになっている」
「ジョナサンはあっちには行けないんだから、心配することないじゃないですか」
「僕はね、希望を捨ててはいないんだ。いつかまた、エレスメイアに行けるかもしれない。そう思ったら誓いは破れない。ハルカには悪いが話すわけにはいかないんだよ」
心無いことを言ってしまったと気づいて私は赤くなった。
「そうですよね。いずれ、入国制限が緩和されるかもしれませんよね」
「キュウタは僕の弱点をよく理解している。悪魔みたいな奴だよ」
「でも、悪い人じゃないですよ」
彼はレイデンの恋人だ。『ミョニルンの目』を持つ彼が心を許しているのだから、悪い人であるわけがない。
「ああ、あいつはいい奴だし、僕の親友だよ。でも 『ICCEE』に忠誠を誓ってる。僕だちにとって正しいことが、彼にとってもそうだとは限らないんだ」
「 『ICCEE』が胡散臭い機関だと思われているのは分かりますが、実際に何かやらかしたんですか?」
「そうだな。これは君に話すべきなのか迷っていたのだけどね」
ジョナサンは一旦言葉を止めて、さりげなく周囲を見回した。
「外界で『魔素』が流通してるという噂があるんだよ」




