王都の見学
翌朝、目覚めると背中からレイデンに羽交い絞めにされていた。どうりで寝苦しかったわけだ。普段なら彼の方が早く目覚めて私を起こしてくれるんだけどな。かわいそうだけど、今日は生徒さんを王都見学に連れて行かなくてはならない。急がないと間に合わなくなっちゃう。
「レイデン、起きてよ」
「はっ、もうこんな時間ですか?」
彼は一瞬で目を覚まして、身を起こした。私がもたもたと着替えている間にお湯を沸かし、朝食の準備までしてくれた。持つべきものは有能な従業員だ。
この留学代理店事務所は私たちの住居も兼ねている。広場に面した大きな部屋がオフィスになっており、その奥には小さなキッチンとバスルーム。二階には二部屋あって、一部屋は私達の寝室、もう一部屋は物置に使っている。
「ほら、起きて。置いて行っちゃうよ」
ソファで眠っていたケロをたたき起こすと、彼は大きなあくびをした。
集合時間前には生徒さん達は全員事務所に到着していた。慣れない環境で寝付けなかったのか興奮しすぎたのか、皆の笑顔にも疲労が見て取れる。
「嬢ちゃん、おはよう」
ジャンマーとその相棒も時間通りに明るい紫色の馬車を曳いて現れた。
王都までは馬車で三十分ほどの道のりだ。留学代理店の事務所は全部で八つあり、どれもが王都周辺の村にオフィスを構えている。私たちの住むメルベリ村は丘の中腹にあるので、王都まではゆるやかな下り坂が続く。
「あれは何が植えてあるの?」
ダニエルが明るい緑の畑を指さした。
「バサっていう植物なんです。紙を作るのに使われます。うちの村にはバサ農家が多いんですよ」
村から出た直後はバサの畑が続いていたけれど、やがて種まきを待つばかりの耕された畑に変わった。王都に近づくにつれ建物がだんだんと増えてくる。農地が完全になくなるあたりが王都の境界線だ。
王都に入ってしばらく進むと、やがて高い城壁が見えてくる。馬車は東の門から壁内に入った。城門をくぐればそこが旧市街だ。
直径三キロほどの円形の城壁の中心には王の居城がある。昔は王都の住人は城壁の内側で暮らしていたのだが、『壁』が出現し国土が分断されかけた時に、国民の多くが王都に避難してきた。王都の人口は一気に何倍にも膨れ上がり、街は城壁の外にまで広がった。
王都の建物は外界の影響を受けたものが多い。中世ヨーロッパの様式で建てられた、いかにもファンタジー映画に出てきそうなもの見かけるが、外界人の想像を超えた、奇想天外な形の建築物も立ち並んでいる。建築に魔法が使えるので、物理法則を完全に無視した建物を建造できるのだ。現代アートと言われたほうが納得がいくものもある。王都の街並みはファンタジーというよりもSFっぽい光景なのだ。
ジャンマーは城壁内の名所を時計回りに案内してくれた。外界人の私たちには読めない本が並ぶ王立図書館、見慣れない花が咲き乱れる植物園、太古の賢人が魔法をかけたという、ワインが湧き出る噴水、面白い所だと、毎朝希少な生き物たちが出勤してくる小さな動物園もある。
ジャンマーは歩きながらも慣れた口上でガイドをこなしてくれるので、私とレイデンは一番後ろの席で王都の風景を眺めているだけだ。
途中気になるものを見かければ、ジャンマーは進路を変えて立ち寄ってくれる。マーケットでは生徒さん達に買い物の仕方を覚えてもらった。外界人だからとぼったくられる心配はない。せっかく来たのだから持って行けと、おまけをたくさん押し付けられることはあるけれど。
実を言えば、外界人の行動範囲には制限がある。軍事施設や『魔法院』など外界に漏れてはまずい機密を扱う場所に立ち入ることは許されてはいない。とは言え、留学中に訪れるような場所ではないので、立ち入り禁止区画があることは生徒さんには知らせていない。私もこちらで働き始めるまでは知らなかったぐらいだ。
「教会とか大聖堂はないんですか? 全然見かけないんですけど」
ティポが不思議そうに尋ねた。
ヨーロッパではそこら中に見られる宗教施設が、エルスメイアにはない。とはいえ、エレスメイア人が無神論者なわけではない。エレスメイアの『神』にあたる言葉を直訳すると『裏方で私たちの世界を動かす存在』という意味になる。『ICCEE』の人間は英語で『administrator』と呼んでいる。つまり『運営者』だ。
エレスメイア人は「これは『上』の意思なのさ」なんて言い方もするので、意訳して『天』と訳されることもある。
エレスメイア人には『天』に祈ったり捧げものをする習慣がない、『天』は交渉できる相手ではないのだ。苦難は『天』から与えられたスキルを使って乗り越えなくてはならない。そういう考え方なので、彼らには外界人の神頼みが奇異に映るようだ。
もっとも旧移民街に行けば、百年前に『門』が閉じた際に外界に戻れなくなった人達が建てた小さな礼拝堂がある。彼らの多くが魔力を持たない技術者だったと伝えられている。二度と故郷には戻れないと知った彼らが、そこで何を祈ったのだろうと考えると胸が苦しくなる。
生徒さん達にこの話はしない。もしもたった一つしかない『門』が閉じてしまったら、と不安を煽ってはいけないからだ。
途中、屋台に立ち寄って遅い昼ご飯を食べた。みんなかなり度胸がついたようで、見慣れぬ食べ物にもどんどん挑戦しているが、やはり虫系には抵抗があるようだ。レイデンが飲み物を買いに立ったとたんに、シスカとシホちゃんが小声で話しかけてきた。
「ねえ、ハルカさん、レイデンさんと付き合ってるんでしょ?」
「え?」
「そりゃ、レイデンさんを見てたら分かりますよ」
やっぱり。生徒さんの前ではプロらしく振舞えと再三注意してるんだけど、どうやっても隠し切れないほどに私のことが好きらしい。それはそれで嬉しいんだけど、仕事中はまずいし、恥ずかしい。
「どうやってあんな素敵な人を捕まえたんですか?」
「仕事の募集をしたら働きたいって訪ねてきたんです」
「いいなあ」
シスカは目をキラキラさせて、屋台に向かって歩いていくレイデンを目で追った。羨ましくて仕方がないようだ。
「異世界で恋に落ちるなんてロマンチックですね」
シホちゃんの口調もうっとりしている。
そりゃ、異世界で恋愛だなんて聞けばそう感じるよね。けれども私たちの出会いはロマンチックとはほど遠いものだったのだ。