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鬼と酒の故事

 夕食後は自由時間なので、留学生達は 『ICCEE(アイシー)』の敷地内を散歩したり、雑談をしたりしてして気ままに過ごす。疲労の限界に達した木下さんは『魔素部屋』に直行し、ジョナサンが彼の荷物を運び込んだ。もう一つベッドも入って狭い部屋がさらに狭くなったのに、昨日のメンバーが集まって飲み会が始まった。


「木下君も飲みなさいよ」


 ジャニスがベッドに座っている青鬼にグラスを差し出した。さきほどまでの肉体の苦しみから解放された彼は穏やかな表情をしている。


「僕は飲めないんです。肝臓も悪いので医者に止められてます」


「それは人間でいる時でしょ? 弱いお酒で試してみたら。ねえ、ジョナサン」


「そうだな。少しだけ飲んで様子を見てみたらどうだい?」


「じゃあ、一口だけ」


 彼は恐る恐るワインを口に含んだ。


「あれ? おいしいですね」


「でしょう? ジョナサンのお土産のニュージーランドワインなの」


「お酒がおいしいなんて思ったことなかったんです」


「飲めないなんて、パーティに行ってもつまんないわね」


「日本は付き合いで飲まなきゃいけないんで、困りましたよ」


「ああ、それ知ってる。おかしな風習よねえ。弱いのに飲まなきゃいけないの?」


「はい。無理して会社の飲み会に出たんですが、ウーロン茶にこっそりお酒を入れられて、救急車で運ばれたことがありました」


「ええ? 陰湿なことするのね」


「仕事を休んでばかりだったので、疎まれてたんでしょうね。社長はいい人だったんですが、僕が休んだ分、ほかの社員にしわ寄せがきちゃったんです。結局そこは辞めました」


「大変だったのねえ。ほら、もうちょっと飲んでみなさいよ」


 ジャニスが彼のグラスにワインをそそいだ。鬼になった木下さんは身体も大きいから、少々飲んでも支障はないだろう。オーガの血を引くオルレイロなんて度数の高い酒をがぶ飲みしないと顔の色さえ変わらないのだ。私もビールを飲みながら、彼らの会話に耳を傾けた。


 あれ? 遠近感がおかしいと思ったら木下さんの身体が大きく見える。まだ一口しか飲んでないのにもう酔っちゃったのかな?


 よく見ると、彼の座っているベッドが大きくたわんでいる。彼の身体はたしかに一回り大きくなっていた。


「鬼ってお酒が入ると身体が大きくなるの?」


 尋ねてみたけど、もちろん木下さんが知ってるはずもない。


「あれ、ほんとだ!」


 自分で自分の身体を見下ろして驚きの声を上げた。


「このぐらいガタイがよければ、苦労しなかったのになあ」


「あら、何かスポーツしてたの?」


「いえ、身体が弱くて体育の授業はほとんど見学でした。ひょろひょろだから、いつもカツアゲされてたんですよ。貧しかったし、お金なんてもってないのに……」


 木下さんはグラスに注がれるのを待たずにボトルを掴み上げ、一気に飲み干した。身体が大きいのでワインボトルが小さく見える。ああ、そのワイン、ニュージーランドのシャルドネだ!


「それ、まだ飲んでなかったのに!」


 私は思わず立ち上がった。


「ワインならまだあるわよ」


 呆れた顔でジャニスがテーブルの上を指さした。


「違うの。拉致されてから一度もニュージーランドのワインを飲んでないの」


「なによ、拉致って?」


「ニュージーランドで楽しく働いてたのに、突然エレスメイアに連れてこられちゃったって意味」


「え? どういうこと? あなた、留学生だったんでしょ?」


 しまった。タニファの話はジャニスにはしちゃいけないんだった。ワインごときに我を忘れるとは、お酒が入ると失敗が増えるな。


「ハルカは留学前から『ディアノ』の社員としてニュージーランドで働いてたんだ。選考会がお隣のオーストラリアだったもんで、強制的に受けさせられたんだよ」


 機転を利かせてジョナサンがごまかしてくれた。これはいきなり留学させられた私のために 『ICCEE(アイシー)』側が用意した作り話で、ジョナサンや矢島さんとは口裏を合わせてある。


「へえ、じゃあハルカはエレスメイアに来たかったわけじゃないんだ」


「最初はね。今は来てよかったって思ってるけど」


 ジャニスに嘘をつくのは心苦しいけど、機密なので仕方ない。


「ハルカ、ワインならもう一本隠してあるんだ。置いていくから一人で飲むといい」


 ジョナサンが陽気に笑った。


「やった! ありがとう、ジョナサン」


「そんなに好きなんだったら、送ってあげるよ」


「なんだよ、ハルカばっかり。俺にも何か送ってくれ」


 後ろからニッキが割り込んだ。


「構わないが、何がいいんだ?」


「ホーキーポーキーのアイスクリームがいい」


「それは無理だな。冷凍食品は送れないんだ。ホーキーポーキーのチョコじゃだめか?」


「仕方ねえな。食ったことねえけど、それで我慢してやるよ」


 不機嫌そうに答えたけど、口元は笑ってる。ジョナサンに絡んでる時はいつもこんな感じで楽しそうだ。見てると胸が痛くなる。


「ねえ、あなた、名前はなんていうの? 『キノシタ』ってファミリーネームでしょ?」


 ジャニスが新しいボトルの栓を抜いて木下さんに手渡した。


「下の名前は好きじゃないんですよ。丈夫っていう意味なのに、病欠ばっかりだって、小学校の頃からずっとからかわれてきたんです」


 ああ、だから下の名前を使いたがらなかったんだ。


「今なら何を言われてもぶっ飛ばせるのにね」


「ええ。そうですね。でも、そういうのは苦手なんです」


「鬼って怪力なんでしょ。これ、つぶしてみてよ」


 ジャニスがビールの入っていた缶を床に置いた。


 木下さんが素足でどんと踏みつけると、缶はぺちゃんこになった。たいして大きな動きでもなかったのに、地震のように床が揺れた。


「あはは、凄いわね」


ジャニスが楽しそうに笑う。木下さんも笑いながら、手に持ったボトルを一息に空けた。


「何があった? 開けろ!」


 矢島さんの声に、ドアを開けると彼が飛び込んできた。


「お、おい、木下に飲ましちまったのか!?」


 巨大化した鬼の姿に彼の顔から血の気がひいた。


「これはヤバいだろ」


「はい、飲まさない方がよかったかもしれません。辛い話ばかりなんで、こちらが辛くなっちゃってお酒の味がしないんです」


「そういう意味じゃない」


 矢島さんは壁にたてかけてある私の杖を掴むと、私の手に押し付けた。


「え?」


「今から酒を取り上げるから援護しろ。暴れそうになったらすぐに眠らせるんだ。いいな」


「どうしてです?」


「鬼は物凄く酒癖が悪いんだ。知らなかったのか? これ以上酔わないうちに止めないとまずいことになる」


「そんなの知りませんよ。生徒さんを撃つのは嫌ですよ。攻撃魔法なら矢島さんも使えるでしょ?」


「鬼に聞く呪文は限られてるらしい。たぶん、俺のじゃ効かん」


 もう、なんでこんなことになっちゃうんだろう? 私は杖で木下さんの強さを測った。人の姿の彼からは想像もつかないレベルの頑丈さだな。これならうっかり殺してしまう心配はなさそうだけど、それでも撃つのは気が引ける。


「ハルカ、君は座ってろ」


 いきなりジョナサンが後ろから私の腕をつかんだ。


「おい、キュウタ。僕がいるだろ? 嫌な役目をハルカに押し付けるな」


「ああ、そうか。驚き過ぎてお前の事を忘れてた。頼むよ」


 矢島さんが道を譲り、ジョナサンが木下さんに歩み寄った。


「木下君、飲み過ぎたようだね」


「いえ、大丈夫ですよ。まだまだいけます」


「いいや、ここでやめておいた方がいいだろう」


「もう少しだけ飲ませてくださいよ。身体は大丈夫ですから」


「それはわかってる。でも君は飲まない方がいいらしい。失礼するよ」


 彼は鬼のお腹に手を押し付けて呪文をつぶやいた。やがて大きく膨れ上がった青い身体が徐々に縮みだした。


「あれ?」


 木下さんは目をぱちぱちとさせて、周りを見回した。


「ああ、すいません。自分の話ばかりしてましたね。いつもは気を付けてるんですが……」


「あたしが質問したからでしょ。あなたのせいじゃないわよ」


「木下、お前は飲まないほうがいい」


 矢島さんが彼の周りから酒のボトルを拾い集めた。役に立たなかったくせに偉そうだな。


「ええ、せっかく飲めるようになったのに? ちょっとぐらいいいじゃない」


 ジャニスが不満げに抗議した。


「いや、ダメだ。鬼は温和な生き物だが、酒を飲むとコントロールを失うんだ」


「そうなんですか? そういう大切な情報は先に教えておいてくださいよ」


 私も思わず文句を言った。矢島さん、いい加減にもほどがあるよ。


「研修中に本人に直接話すつもりだったんだよ。会場はアルコール禁止だから問題ないと思ったんだ」


「アルコールを持ち込んだ馬鹿がいるからな。やっぱ責任者の監督不行き届きなんじゃねえのか?」


 嫌味を言うニッキを矢島さんが横目で睨みつけたが、今回ばかりは言い返せないようだ。


「でも、木下君が悪酔いするとは限らないでしょ?」


 ジャニスが食い下がる。


「それはそうだがここで試すのはリスキー過ぎるだろ? 日本で鬼が悪者扱いされてきたのは、どうしてなのか知ってるか?」


「ううん、知らないわ」


「昔、金持ちがお人好しの鬼を酒に酔わせてライバルの家を襲わせたことがあったんだ。そのせいで鬼は乱暴者だってイメージが定着しちまったんだよ」


「ええ、やっぱり日本人って陰湿ね」


「矢島さん、それ、いつの話ですか?」


「室町時代の文献に記録が残ってる。ほかにもそういう事件があったのかもしれんがな」


 ずいぶんと昔の話だな。


「『魔法世界』の鬼たちも飲みたくなったら人里離れた場所まで出かけて行ったそうだよ。自分たちでもわかっていたんだろう」


 矢島さんは木下さんに向き直った。


「要するに、お前も我を忘れて暴れ出すかもしれないってことだ。エレスメイア(あっち)に行ってもそれを念頭に置いて行動してくれよ」


「はい、分かりました」


 しゅんとした顔で青鬼はうなずいだ。


「じゃ、エレスメイアに戻ったら山奥で酒盛りしましょうよ。いい場所知ってるの」


 明るい声でジャニスが提案した。


「たった今、飲むなって言ったとこだろ?」


 矢島さんがあきれ果てた様子で彼女を睨む。


「飲めるのに飲んじゃいけないなんて、人に押し付けることじゃないでしょ? 人がいないところなら、迷惑もかからないんだから、好きなだけ暴れたらいいのよ」


「いえ、やめましょう。ジャニスさんをつぶしてしまうかもしれません」


 木下さんが首を振った。


「それは無理ね。そこ、湖のほとりだから。水さえあればあたしの方がずっと強いわよ」


 腰に手を当てて、ジャニスが笑う。


「うちの生徒さんなんで私も行きますよ。山奥で飲み会なんて楽しそうですし」


「お、おい、ハルカ?」


 口をぱくぱくさせる矢島さんを私は無視した。


「諦めろ、キュウタ。この二人がいれば安心だろ。僕が参加できないのが残念だけどね」


 ジョナサンが笑ったけれど、その声は本当に残念そうに響いた。


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