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ハルカのにおい

 朝食の席ではカールが眠そうに目をこすっていた。


「眠れなかったの?」


「はい、もうすぐエレスメイアに行けると思ったら、寝つけなくなっちゃって……」


 彼の目の下にはくまが出来ている。


 このぐらいならよくあることだし、問題はないかな。それよりも食事が喉を通らない木下さんのほうが深刻だ。さっき鬼の姿で休息を取ったところなのだけど、虚弱な人間に戻るのは相当堪えるらしい。


「キノは大丈夫なんですか?」


 私の隣のアンジーが心配そうに尋ねた。ジョナサンが『キノシタ』だと紹介したので、『キノ』になったようだ。下の名前は『丈夫(たけお)』というのだけど、本人はその名で呼ばれるのを嫌がった。


 健康であることが参加資格の一つなのに、見るからに病弱そうな人間が交じっていれば気になるのは当然だ。二次と三次の選考会参加も免除されたので、突然に現れた彼を不思議に思ってる人もいるだろう。


 入国の際、変身しても驚かないように、彼が『鬼』だと話しておくつもりだったんだけど、早めに済ませた方が良さそうだな。


「ジョナサン、木下さんの事、話してもらってもいいですか?」


 彼はうなずくと、選考会の会場で木下さんの身に起こったことを簡潔に話してくれた。英語には『鬼』にあたる言葉はないので、『日本のあたりにいる角のあるオーガのような生き物』の事だと説明する。三人の生徒さんは驚きを隠せない様子で、木下さんを見つめている。


「よかった。エレスメイアに行けば元気に暮らせるんですね」


 ジョナサンの話が終わると、ほっとした様子でマイアが言った。


「早くオニになったキノが見たいよ」


 カールも身を乗り出して、木下さんに微笑みかける。


 英語の苦手な木下さんにみんなの言葉を伝えると、彼はもじもじと赤くなった。


「ありがとうございます。心配させちゃってすみません」


 今期の生徒さんも感じのいい人ばかりだな。楽しい四か月間になりそうだ。



        *****************************************



 研修会では『ICCEE(アイシー)』職員が講師となって、『ホストファミリーとの接し方』や『交通機関の利用方法』など様々なテーマの講習が開かれる。


 使われる言語は主に英語。英語が母国語でない生徒さんのために、翻訳された資料が渡され、それぞれの代理店から通訳専門のスタッフも派遣されるのだけど、質疑応答となると気後れしてしまう人も多い。


「英語が苦手な人には不公平ですよね」


 以前、そのことで矢島さんに文句を言ったことがある。


「どこの言葉を使ったって、損する奴は出てくるだろ?」


「同時通訳を入れればいいのに。お金はあるんでしょ?」


「そこまでしなきゃならないほど大事なことは教えないからな」


「え?」


「研修なんて受けなくてもどうにでもなるのは、お前が一番分かってるだろ? 研修会はな、最終審査も兼ねてるんだ。念のため、入国前に全員を集めてトラブルメーカーが交ざってないか確認するんだよ。選考が終わって気も緩んでるからボロも出しやすい。おっと、今のは代理店には秘密なんだ。言うなよ」


「矢島さん、口が軽すぎませんか? 気を付けた方がいいですよ」


「お前にしか話さないよ。ハルカは信頼してるんだ」


 そう言って、彼は掴みどころのない笑みを浮かべた。



 大事なことは教えていないと言っても、ここで習うのはエレスメイア生活が何倍も満喫できてしまうお役立ち情報ばかりなのは、苦労した私が知っている。というわけで、毎回私は生徒さんが講習に集中できるよう全力をつくすのだ。面倒なトラブルの防止にもなるしね。


 言葉の通じないニッキは、資料の配布や机の移動などの雑用専門だ。もちろん生徒さんたちには大人気で、マスコットキャラ的な存在になっている。ある講師が気を利かせて『エレスメイアでエルフと呼ばれる性悪な生物』の話をしてくれてからは、面と向かって『エルフ』と呼ぶ者はいなくなり、彼の表情も若干穏やかになった。


 そうは言っても言葉が通じないとストレスが溜まるようなので、休憩時間には『魔素部屋』に一緒に戻った。ジョナサンも毎回木下さんを連れてやってきた。鬼の姿でいるうちに食べられるだけ食べて、体力をつけてもらうことにしたのだ。


「木下君は『魔素』なしでは厳しいな。彼専用の『魔素部屋』を用意して寝泊まりしてもらおうか」


 ニッキとおしゃべりしている青い鬼を横目で見ながら、ジョナサンが提案した。


「今からだと手配が面倒でしょ? この部屋に泊ってもらったらどうですか?」


「君たちのお邪魔になるだろ?」


「いえ、全然。どうせ変態犬がいるので、何もできませんし」

 

 いなくても何もしないのだけど、彼が遠慮しないようにそう言っておく。


「それなら、お願いするよ。ありがとう、ハルカ」


 肩の荷が下りた様子で彼が礼を言った。この人、こういうところが素敵なんだよな。うちの代理店の生徒さんの面倒を親身に見てもらって、感謝するべきなのは私の方なのに。


「でも、簡易ベッドじゃ、鬼が寝るのは無理ですよね」


「部屋がベッドで一杯になってしまうが、しっかりしたのを入れてもらったほうがいいな」


「そこまでしなくてもいいですよ。私は別の部屋に移りますから、木下さんにはそのベッドに寝てもらって、簡易ベッドにニッキが寝ればいいでしょ?」


「いいのかい?」


「よくない。俺はハルカと寝たい」


 いつの間にか話を聞いていたニッキがふくれっ面で割り込んだ。ああ、何で話をややこしくしてるんだ。この馬鹿エルフ。


「僕もハルカさんがいないといやですよう」


 ピャイも甘えるように口を挟んだ。彼は矢島さんに借りたシャツと短パン姿でベッドに寝そべって、スマホのゲームに興じている。白くて柔らかい髪に、くるりとした茶色い目が印象的な可愛い感じのイケメンなんだけど、中身とのギャップが激しすぎて余計に気持ち悪い。


「ねえ、あなたも犬に戻ったら? そのままじゃ、もう一つベッドがいるでしょ? 犬用の籠を用意してあげるから」


「嫌です。ハルカさんと僕が一緒に寝れば済むことでしょう?」


「だからあなたとは寝たくないって言ってるの」


「ハルカさんの匂い、たまんないんですよ。じゃあ、靴下か下着を貸してもらえませんか?」


 彼はうっとりとした表情で鼻をひくひく動かした。『魔素』の供給源でさえなければ、今すぐに蹴り出してやるのに。



 ジョナサンと木下さんが出ていくと、私はピャイに聞こえないように小声でニッキに尋ねた。

 

「ねえ、私っておいしそうな匂いがするの?」


「おいしそう? 何の話だ?」


「そこの犬が『味も匂いもいい』って言ってたでしょ?」


 淫魔のジリンさんにも美味だって言われたし、なんとなく気になる。


「そりゃたぶん、体臭じゃなくて魔法的な意味での匂いだな。感じる奴にしか分かんねえけどさ」


「どういう意味?」


「お前には相手の強さがわかるんだろ?」


「うん。杖を持ってると、手のひらを通じて伝わってくるんだ」


「そんな感じにさ、相手の魔力を五感で感じる奴がいるんだ。感じ方は人それぞれだし、感知できる対象もちがうんだけどな。俺の場合は目で見える。強さは分かんねえが、質が分かる」


「魔力の質って何?」


「聞くな。説明できねえ」


「じゃ、私はどんな風に見える?」


「お前は暖かい光に包まれてる。陽の光っぽい色合いだ。いい感じだな」


「いい感じ? それだけ?」


「嫌な感じよりはいいだろ? 俺にわかんのはそんなもんだ」


 高校の時、オーラが見えるって友達がいたけど、そういうイメージなのかな?


「ピャイは相手の持つ魔力を、匂いとして感じてるんだろう。強い子孫を残すのが生き物の本能だから、お前の強さに反応してんじゃねえかな」


「迷惑だなあ」


「本能には逆らえねえだろ。大目に見てやれよ」


「本能か。じゃあドレイクも、そこのセクハラ犬と同じってことだよね」


「どうしてそこにドレイクが出てくるんだ?」


「だって、私に卵を産めってしつこいんだよ」


「そういや、そう言ってたな。竜に求愛されるなんてすげえじゃねえか」


「つまり、彼にしてみれば私は強い子孫を増やすためのメスにすぎないんだよね?」


「まあ、求愛するんだからそういうことだろ。何か気に入らないのか?」


「友達だと思ってたのは私の錯覚なんだよなって思ったらモヤモヤしてきたの」


 ニッキが愉快そうな表情で私の顔をじろじろと眺めた。


「なあ、お前、ドレイクが好きなのか?」


「はあ? おかしなこと言わないでよ。私には好きな人がいるんだよ」


「でも、男として意識してるよな」


「そんなわけないでしょ? 竜だよ」


「じゃあ、ドレイクにどう思われようと、構わねえじゃねえか」


「だって会ってから何年も経つのに、私一人で友達ごっこしてたなんて、むなしすぎるでしょ?」


「そうかなあ。そんだけ付き合ってるんだったら、あっちだって性欲以上のものを感じてるんじゃねえのかなあ?」


「もういいよ」


 身も蓋もない物言いはピャイだけでたくさんだ。この話はここで終わらせよう。


「おかしな体臭がするんじゃないって分かってほっとしたよ。デオドラント、変えようかと思ってたんだ」


「お前の匂いも悪くねえけどな。嗅いでると気持ちよく眠れるからな」


「うわ、ニッキまでそんなこと言うの?」


「いいじゃねえか。まだ、彼氏って事になってんだろ?」


「どんな匂い? 何かに似てる?」


「え? そ、それはだな」


「なんなの? 私に言いにくい物? 何かのフンとか?」


「いや、変なもんじゃねえよ」


 彼の頬がなんだか赤い。


「え? もしかして好きな人の匂いだったりする?」


「そんなわけねえだろう? 馬鹿じゃねえのか?」


「ええ? ほんとに? それで私のベッドに入ってきたがるの?」


「だから違うって言ってんだろ!?」


 誤魔化そうとしても表情を見れば図星だとわかる。私の匂いってジョナサンに似てるのか。男の人の匂いだなんて、やっぱりデオドラントを変えた方がよさそうだ。


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