ハルカ、研修会場へ
早朝に事務所を出て、一頭立ての馬車で『門』へと向かう。半年前はレイデンに散々抱きしめられてから送り出されたのだけど、今回は「じゃ、留守番、よろしくね」と言っただけで別れた。今頃は彼との新婚生活を謳歌しているはずだったのに、人生って予測がつかないものだな。
「ハルカ、こっち、こっち!」
『ICCEE本部』内の出入国ロビーについたら、北アメリカ担当のジャニスが声をかけて来た。『魔素』がないので翻訳魔法は使えず、彼女との会話は英語になる。驚いたことに彼女の隣にはニッキがいた。
「あれ、なんであなたがいるの?」と、本人に尋ねても通じない。
「友達に会いたいっていうのよ」
代わりにジャニスがだるそうに答えた。
「でも、研修会に出なくてもジョナサンには会えるんだよ」
「それじゃ嫌なんだってごねまくるから、連れてきちゃったの」
普通、現地職員は研修会には連れて来ない。外界では言葉も通じないので、足手まといにしかならないのだ。
「でも、『魔素』がないのもいいわよね。何を言っても通じないし。やーい、馬鹿エルフ」
ニッキが怒りのこもった目でジャニスを睨んだ。さすがにエルフはわかるんじゃないのかな。
「うちのグループはもう着いちゃってるのよね。このまま研修場にいくけど、ハルカはどうする?」
「私も一緒に行くよ」
留学生は自国から民間機でドイツ入りするのが普通なのだが、北アメリカ地区の留学生だけは 『ICCEE本部』内の空港までアメリカの軍用機でまとめて運ばれてくる。そうしてくれた方が、バラバラに到着されるより、こっちとしては楽なんだけどね。
私たちは入国ゲートに向かった。代理店や 『ICCEE』の職員の手続きは簡略化されており、IDカードをスキャンすれば済むのだけど、現地職員であるニッキは『魔法院』からの書類を提出せねばならず、確認に時間がかかった。
「ああ、もう、だから連れてきたくなかったのよね」
ジャニスがぶつぶつ文句を言ったけど、ニッキは何を言われているのか全く分からないといった顔で無邪気に微笑みを返している。エルフと呼ばれた意趣返しだな。
ようやく入国ゲートを抜けると、矢島さんが椅子に腰をかけて待っていた。
「出迎えなんてよかったのに。今日は忙しいんでしょ?」
「だからだよ」
なんだ、サボりの口実か。
「おい、どうしてお前がここにいる?」
ニッキを見て彼が目を剥いた。
「ジョナサンに会いたいんですよ」
「ちょこっと顔を出すだけだったんじゃないのか? 第一、ジョナサンはまだ到着してないぞ」
「え、夜中には着くはずだったでしょ?」
今回、『鬼』の木下さんとジョナサンは日本から 『ICCEE』の専用機でこちらに向かう手筈になっていた。私たちが以前使った『魔素部屋』付きの小型機だ。木下さんは気圧の変化にも弱く、『魔素』なしでは長距離のフライトに耐えられないのだそうだ。
「台風で出発が延びたんだ。到着は今日の午後になるってさ。こいつには出直して来させろ」
「せっかくここまで来たのに?」
矢島さん、やっぱりニッキには厳しいな。
「研修会に出たって邪魔になるだけだろう? お前も自分の男だからって甘やかすんじゃない」
「ジャニスが連れて来たんですよ。ちゃんと働かせますから追い返さないであげてください」
「あたしが本社に頼んで許可もらったのよ。すねると後が面倒だから入れてやってよ。鬱陶しいのはわかるけど、雑用には使えるでしょ?」
必死の形相のジャニスが加勢する。確かに職場で不機嫌なニッキと二人きりだなんて悪夢でしかない。
「ああもう、仕方ないな」
結局は矢島さんが折れて、全員で研修場にむかうことになった。
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『ICCEE本部』の敷地内には、五階建ての研修用宿泊施設がある。研修場と言っても、食事やシーツに至るまで五つ星ホテル並の高品質だし、留学生一人一人に個室が与えられる。どの国も将来の『魔法使い』への出資は惜しまないのだ。
まずは到着済みの留学生たちに会いに行くことにした。今期、うちの代理店が担当する生徒さんは四人。ジャニスの所は九人もいるので、また嫌味を言われたがいつもの事だし気にしない。
今回は久しぶりにニュージーランド人が選考に残った。マイアという二十代前半の女性なのだが、顔つきが幼くて高校生でも通りそうだ。フィリピンのアンジーは三十代の落ち着いた雰囲気の女性。たまたま地元で選考試験が開かれると聞いて受けてみたらしい。オーストラリア人のカールは長身で筋肉質、明るくて礼儀正しい絵に描いたような好青年だが、気づけばぼーっと夢見るような表情を浮かべている。
私が自己紹介すると、三人とも興奮を隠しきれない様子で矢継ぎ早に質問を始めた。研修会では今までの留学生の経験を元に、事前に知っておくべきことを事細かに教えてくれる。私は予備知識なしにエレスメイアに送り出されたので、おかしな失敗ばかりやらかしてしまった。それ以降、研修中に『うっかり留学生Hさん』の失敗談が紹介されるようになったのは矢島さんの仕業だろう。きちんと研修を受けられなかったのは私のせいじゃないのに腹立たしい。
残りの一人、『鬼』の木下さんは午後遅くになってジョナサンと共に到着した。私はニッキとジャニスと一緒に施設内の空港の小さなロビーで出迎えた。
「やあ、ハルカ。なんだ? ニッキまでいるのか」
両開きのドアからロビーに足を踏み入れたジョナサンは私たちの姿に笑顔を浮かべた。半年前にはなかった顎髭のせいで、貫禄がついたように見える。
「ハルカさん!」
彼のすぐ後ろから現れた女性がいきなり私の名を呼んだ。
「え? シホちゃん?」
「急に戻って来れることになったんです。心配かけちゃってごめんなさい」
笑顔のシホちゃんが駆け寄って来て私の手を取った。
「ハルカを驚かせようと思って、黙ってたんだよ」
ジョナサンの顔には例のにやにや笑いが浮かんでいる。彼女の嬉しそうな顔を見てホッとした。ご両親がなかなか折れないと聞いて、このまま戻って来られなくなっちゃうんじゃないかと気を揉んでいたのだ。
「ところで、木下さんはどこですか?」
肝心の木下さんがまだ出て来ていない。
「あれ、今まで後ろにいたのに」
ちょうどジョナサンが振り返った時、ふらりふらりと痩せた男性が現われた。私たちを見てぺこりと頭を下げ、わずかに笑顔を浮かべたが、具合が悪いのを隠し切れない様子だ。
彼が木下さんか。想像していたよりもずっと虚弱そうだな。
機内では『魔素』のある部屋で鬼の姿でいたのだけど、人に戻ったとたんに疲れが出たらしい。私たちはすぐに研修場の建物まで戻り、彼を部屋に案内した。『本部』の敷地は無駄に広いのだけど、電動カートが使えるので移動は楽だ。
個室に入ると木下さんは椅子に腰を下ろして、息を整えた。
「顔色が悪いですね。私がついていましょうか?」
「いえ、疲れが出ただけです。時差もあるので、少し眠りますね」
シホちゃんの言葉に彼が首を振ったので、私たちは彼を残して部屋を出た。
「木下君は『魔素』がないところじゃ、スーツケースを運ぶのもやっとなんだ。シホちゃんが同行してくれて助かったよ」
なんとか彼を『本部』まで送り届けることができて、ジョナサンは肩の荷が下りたようだ。
「彼、よく今まで普通に暮らして来れましたね」
「普通なもんか。幼いころから入院ばかりしていたそうだ。生まれてすぐに父親は病死、母親が女手一つで育てて来たんだが、彼の看病で仕事に出るのも大変だったらしい」
ジョナサンは木下さんに心底同情しているように見える。
「エレスメイアで新しい生活を楽しんでくれるといいですね」
「ああ、本当にな。僕は報告があるから、事務所に行くよ。夕食までには戻ってくる」
彼が立ち去ろうとしているのを見て、ニッキがふくれっ面で何か言ったけど、もちろん誰にも理解できない。ジョナサンがくるくると片手を動かして合図をすると、ニッキは肩をすくめてうなずいた。
そういえば、三年前にニュージーランドで初めて会ったときも、フイアとジェスチャーで意思の疎通をしてたっけ。面倒見のいいジョナサンが、外界では会話のできないニッキのために考え出してやったんだろう。
「シホちゃんは? これから村に戻るの?」
「いえ、研修会が終わるまでは『本部』にいます」
留学経験者として研修会の手伝いを頼まれてしまったようだ。すぐにでもゼッダに会わせてあげたいけど、村には私たちと一緒に戻ることになりそうだな。
日本を発つ直前まで、ご両親に反対されていたのだが、エレスメイアに一人でも多く外界人を送り込みたい 『ICCEE』と日本政府からの後押しもあり、なんとか説得できたのだそうだ。
ちなみにゼッダは彼女が戻ってくる事を知らない。会えるのはまだ先なのに、今知らせたらゼッダさん、何も手につかなくなっちゃうでしょ? そう言って彼女は笑った。さすが、彼の事をよくわかってるな。
「おう、お前ら、ここにいたのか」
いきなり矢島さんが現われた。
「ニッキに『魔素部屋』を借りといてやったからな。四階の奥の部屋だ」
さすが矢島さん、ニッキとは仲は悪いけど、そういう所は気が利くな。
「わざわざ魔法の生き物を連れてきてくれたんですか?」
『魔素部屋』を満たすには『魔素』を放出する魔法生物が必要だ。
「そんな面倒なことするか。ジョナサン達の飛行機に乗ってた魔犬に頼んだんだ。あと一週間ぐらいは平気だっていうからな。俺は後で行くから始めてていいぞ」
「何を?」
「今夜はジョナサンの歓迎会なんだろ?」
ああ、そういうことか。
会話のできないニッキのイライラが溜まってきたようなので、さっそく『魔素部屋』に連れていくことにした。ドアを開けると小さな部屋の真ん中にふわふわの白い小型犬がちょこんと座っていた。
「こんにちは。僕はピャイリツァルマネモラと言います」
礼儀正しく犬が挨拶した。
「あら、かわいいわね」とジャニスが言うと、魔犬は嬉しそうに尻尾を振る。ピャイで辞書登録しておこう。
柔らかな頭をなでてやると手をぺろぺろと舐められた。ケロみたいに生意気じゃないし、やっぱり犬ってかわいいな。




