雨の日に竜と歩く
その日は朝からじとじとと雨が降っていたのでレイデンに雨除けの魔法をかけてもらって『魔法院』へ出かけた。自分でも使えるのだけど、効き目が弱くてすぐに切れてしまうのだ。
帰り道、いつもの場所でドレイクに会った。雨はまだ降り続いている。
「表情が明るいではないか。いいことがあったのか?」
「別になにもないけど……」
とっさに嘘が口をついて出た。彼の顔を見たら彼氏ができたなんて言えなくなったのだ。
「そうか。まあいい。ハルカが幸せなら俺も幸せだ」
うう、胸が痛むな。でもこの竜は繁殖の本能に駆られて私との卵を欲しがっているだけなのだ。迷惑をかけられているのはこちらの方なのに、なんで私が気を使わなきゃならないんだろ?
「来週から外界で研修会なんだ」
私はさっさと話題を変えた。
「もうあれから半年か。早いものだな」
「今度の留学生には鬼がいるんだよ」
「鬼だと?」
竜は興味を持ったらしく、大きな頭を寄せて来た。
「正確には鬼の子孫だけどね」
「そうか。先祖が外界に留まったのだな」
「どうしてだろうね。『魔素』がないせいで代々早死にだったんだって」
「それだけの理由があったのだろうな。伴侶が外界を離れられなかったのかもしれんぞ」
「どちらかの世界を選ばないといけないなんて辛いね」
「そうだな。ハルカならどうする?」
「外界にはお母さんがいるからね。帰らないわけにはいかないかな」
でも、こっちには……サリウスさんがいる。彼の姿を思い浮かべるだけで胸が熱くなる。私がエレスメイアを去ることになれば、彼はどうするだろう? まさか、ついて来てはくれないよね?
「どうした?」
「ううん。そんなことにならないといいけど」
「お前が外界に戻ることになっても、俺は一緒に行ってやるからな。安心しろ」
「なんでついてくるの?」
「まだお前に卵を産ませていないからだ」
ああ、やっぱり。
「外界じゃ『魔素』が溶け出しちゃうんでしょ?」
「まあ、なんとかなるだろう」
「そうなの?」
「気合の問題だ」
それは違うと思うけどな。
凶悪竜扱いされてるドレイクがくっついてきたら、外界は大パニックになるだろうな。想像したらおかしくなった。
「なんで笑ってる?」
「ううん。なんでもない」
サリウスさんも同じことを言ってくれればいいのに。まあ、どちらかの世界を選ぶなんて事態にはならないとは思うけど。
「……おい、ハルカ。俺に隠し事をしていないか?」
「してないよ」
私はしれっと嘘をついた。竜は嘘をつかないというけれど、私は嘘ばっかりだ。
「うわ、冷たい!」
突然、頭に雨粒が当たって私は声を上げた。『魔法院』を出る時にかけた雨除けの魔法が切れてしまったのだ。
「おい、風邪をひくぞ」
ドレイクが翼を広げて私の頭上に差し掛けてくれた。
「ありがとう。雨除けの呪文は苦手なの」
「お前の魔法で雨雲を吹っ飛ばしてしまえばいいではないか」
「そんなの無理だってば」
「試してみるか? お前の力が見たい」
「人間が天気なんて変えたら『天』が怒っちゃわない?」
「『天』が怒るだと? 外界人はおかしな心配をするのだな。真上だけなら構わんだろう。やってみろ」
冗談で言ってるのかと思ったのに彼は本気らしく、さっさと羽をたたんでしまった。
仕方ないなあ。私は杖の石にかぶせたカバーをはずし、真上に向けて構えた。灰色の空はのっぺりとしてどこに照準を定めればよいのかわからない。竜が期待に満ちた目で見ているので取りあえず撃ってみた。杖は青い光を放ったけれど、雨は変わらず降り続いている。
「何も起こらないね」
「そうだな」
彼はまた翼を私の上に広げてくれた。
「竜って雨雲よりも弱かったんだね。ドレイクは簡単に吹っ飛んだのに」
「何を言う。今のは本気には見えなかったぞ」
「あなたにも本気は出してないよ」
「あの時、お前が本気を出していれば俺は今ここにはいない」
「殺しちゃわなくってよかった。傘がないと困るもんね」
「俺を傘代わりにする女はお前ぐらいのものだ」
ぶつぶつ言いながらも、彼はなんだか嬉しそうだ。自分より強い相手に魅力を感じるのが竜の本能だからだろう。
村はずれに着くころには、雨も小雨になっていた。
「家まで送らせてはくれないのだろう?」
「うん、やっと覚えたんだね」
私は指輪を頭上に掲げて、雨除けの魔法をかけ直した。ここから事務所までならなんとか持つだろう。
「ドレイク、ありがとうね」
「礼ならキスでいい」
竜はいきなり鼻面を突き付けてきた。
「だ、だめ!」
今はサリウスさんという彼氏がいる身だ。たとえ相手が竜でも浮気をしているような気分になってしまう。
「なんだ、その可愛らしい反応は? 照れているのか?」
「キスはできないって言ってるの。お礼は別にさせてもらうから」
「……やはり何かあったのか?」
「ない、なんにもない。じゃあ、まぶた、まぶたにならしてあげる」
ドレイクの巨大な黒い目が私を覗き込む。心を見透かされているような気がして私は顔をそむけた。
「……ふん、怪しいな。まあ、今回はそれでよいとしよう」
彼の目が分厚いまぶたの下に隠れたので、私は急いで唇を押し付けた。飼い犬にキスするようなものなのに、なんだろう、この罪悪感は?
サリウスさん、ごめんなさい。これは浮気じゃないからね。相手はでかい竜だから。恋愛できる対象じゃないから。
それにしてもドレイクにはなんて言おうかな。いつまでも隠しているのは気が引ける。彼の卵を産めないことは最初の最初にはっきりと告げてあるんだし、私が悪いわけじゃない。
それでも彼が傷つくだろうと思うと、どう切り出せばよいものなのか見当もつかなかった。




