ゼッダの憂鬱
翌週、図書館へ向かう前に、ラウラおばさんのパン屋に立ち寄った。彼女はかなりの王室ファンだ。庶民は王室に敬意を示しながらも、ゴシップも気になるらしい。店内の棚には王室グッズを扱う店で買ってきた似顔絵のついたカップが飾られている。
「ねえ、おばさん。貴族についてもくわしい?」
「そうだね。公表されてることならね。あの人たちには秘密が多いから」
「貴族の家ってたくさんあるの?」
「今あるのは十四だったかね。ほれ、そこの壁を見てごらん。王族と貴族の家のメンバーがだいたい載ってるよ」
これまた王室グッズの店で買ったと思われる大きなポスターが戸口の横に貼られていた。名前らしきたくさんの文字列が、いくつものグループに分かれて並び、それぞれに違う紋章がくっついている。グループの一つ一つが王家や貴族家を表しているらしい。
名前同士は細い線で結ばれており、家系図のようにも見える。ヨーロッパの王侯貴族の家は婚姻で複雑に絡み合っているものだけど、この図には他家との婚姻を表す線は書き込まれておらず、王家は王家、貴族家はそれぞれの家で完全に独立している。外界の家系図とは書き方が違うのかもしれない。
「竜の紋章がくっついてるのが王族さ」
おばさんが上の方に並んだグループを指さした。王族の紋章は何種類もあるけれど、どれも竜をモチーフにしているようだ。
「貴族の家はこっちだよ。ここはもう跡継ぎが途絶えそうだって話だ。三代で能力を継ぐ子が生まれなければ、市民に降格って決まりだからね」
王族の下には十四の紋章が並んでいる。ほとんどがヨーロッパでよく見かける盾のような形の紋章だが、このデザインは元々は魔法世界から外界へ伝わったものだという説もある。剣ではなく攻撃魔法を防ぐための盾だ。
「この太い文字で書かれてるのがご当主の名前だよ。おっと、ハルカは読めないのね」
サリウスって名前の人はいない?と聞きかけて、おばさんには私の辞書登録した名前が理解できないことを思い出した。呼び方を変えてしまうと、お互いが同じ人物を知っていない限り通じなくなる。レイデンに名前を書いてもらった紙をとっておけばよかったな。
「私ぐらいの歳の息子がいる家はある?」
「どこも子供は多いからね。『血の魔法』を絶やさないように跡継ぎをたくさん作るのさ。直系以外もいれるとかなりの数になるんじゃないかねえ」
そりゃそうか。サリウスさんが跡取り息子であるとは限らない。暇つぶしに王都でボランティアをしているぐらいだから、傍系の末っ子である可能性も否めない。
大きなポスターを見上げて、王族のさらに上の夜空が描かれた部分に、大きな星が並んでいるのに気づいた。星は全部で八つあり、どれも少しずつデザインが違う。
「あそこの星には意味がある?」
「あれは竜たちだよ。王族よりも身分が高いのさ」
「ふうん」
きっと、真ん中の大きくて派手な星がドレイクだな。
「おばさん、ありがとう」
「ハルカが貴族に興味を持つなんて、一体どうしたんだい?」
「『魔法院』で見かけたから気になったの」
サリウスさんがどこの誰だかもわからないうちは、付き合っている事は黙っておこう。詮索好きなおばさんに質問されたら困ってしまう。
店を出ようとしたら、いきなり暖簾をくぐって入ってきたゼッダと鉢合わせした。
「ああ、ハルカか……」
彼は暗い顔で私を見下ろした。心なしかやつれて見える。
「シホから手紙が来たんだが、まだしばらくは戻ってこれないそうだ。帰ったらあっちの方がよくなっちまったのかな」
「心配しないで。時間がかかってるだけだから」
矢島さんからは、帰国してご両親にエレスメイアで狼男と暮らすと正直に告げたせいで一悶着あったとは聞いている。でもそれをゼッダに話すわけにはいかない。
「違う世界に引っ越そうと思ったら準備も大変なんだよ。今までお世話になった人への挨拶もあるし、私の時も思ったより時間がかかっちゃったから」
「そうだよな」
ゼッダが大きくため息をついた。ほかにも気になることがあるみたいだ。
「ねえ、どうしたの?」
「これなんだが……」
彼は懐から封筒を取り出し、中から写真を引っ張り出した。肌身離さず持ち歩いているのかな?
それはシホちゃんの家族写真だった。両親と弟らしき少年とペットの大型犬が写っている。絵に描いたような素敵な家族だ。
「シホちゃん、元気そうだね。この写真がどうかしたの?」
「どうかしたなんてもんじゃないだろう? こいつはなんなんだ?」
彼はシホちゃんの隣のゴールデンレトリバーを指さした。
「それは、ただの犬だよ」
「こいつがか? この毛並みを見てみろ。首輪だってピカピカだし、階級章がくっついてるぞ。外界の偉い奴なんじゃないのか?」
よく見ればお洒落な首輪から鑑札と名札がぶら下がっている。
「ねえ、ゼッダ。外界にはただの犬しかいないんだよ」
「え、そうなのか?」
「うん」
「本当だな?」
「誓って本当だから」
私の言葉にゼッダはようやく安心したようだ。飼い犬に妬かないでほしいな。
「シホちゃんを信じて待っていてあげて。ゼッダの事、大好きだから絶対に戻ってくるよ」
「そ、そうだな」
彼はおばさんにパンの代金を払うと、入ってきたときとは大違いの明るい表情でいそいそと出て行った。
「おやまあ、すっかり元気になったようじゃないか」
おばさんが愉快そうに笑う。
ゼッダのお土産には格好いい首輪を買ってくるように、シホちゃんに伝えておこうかな。




