サリウスさんのお相手
店を出てからしばらくの間、サリウスさんは無言だった。斜め後ろを歩く私を何度か振り返り、ようやく口を開く。
「ハルカ、あの女性の言ったことだが……」
「いえ、気にしてませんよ」
ああいう場所で気軽に楽しんじゃうのがここでのやり方なのは分かってる。私がとやかくいう事ではない。こんなに素敵な人なんだから、相手には不自由しないだろうし。
でも彼が『おキレイな方』とのお楽しみに使った店に連れていかれたかと思うと、いい気分はしないな。
「誤解をしているようだが、あそこには友人と行ったのだ」
「気にしてませんってば」
あんなところで美女と部屋を借りて、他に何をするって言うんだろう。言い訳ならしない方がまだました。余計に嫌な気分になって、私は彼から目を反らせた。
「いいや、誤解しているではないか。友人には悩みを聞いてもらったのだ」
「悩み……ですか?」
完璧なサリウスさんは悩みとは無縁に見えたので、私は思わず聞き返した。
「ああ、想いを寄せる相手に微塵も興味を持ってもらえなかったのでな。どうしてよいのかわからず、相談に乗ってもらった」
「え?」
「そういう事だ。信じてもらえぬのなら、仕方がないが……」
嘘をついているようには思えない。呪いでも解けたかのように心が急に軽くなった。なんのことはない。私は謎の美女に焼きもちを焼いていたのだ。
彼が照れくさそうに咳払いをして前を向いたので、私は何も言わずに手を伸ばして彼の手を握った。
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王都にはところどころに小高く盛り上がった丘がある。ほとんどは古い建造物に覆われているのだけど、川沿いの丘は公園の一部となっており、頂上は展望台として市民に開放されていた。
私たちは丘の中腹の草の上に腰を下ろして王都の景色を眺めた。丘を迂回して流れる川が金色の蛇のようにきらきらと日光を照り返している。川岸のこちら側に沿って五メートルほどの高さのある分厚い石の壁が築かれていた。
「『壁』ができる以前は、王都はあそこで終わっていたのだ。今でも川向こうに暮らすのは、『壁』に追われて王都へと移り住んだ者の子孫がほとんどだ」
「旧市街とはずいぶん雰囲気が違いますよね。来週はあのあたりを歩いてみませんか?」
「来週か。それはデートの誘いととってもよいのだろうか?」
「はい、そうです。また土曜日でいいですか?」
彼はその質問には答えずに私を抱き寄せキスをした。エクヴァの効果なんて切れてるはずなのに、前回と全く変わらず唇が熱くてビリビリする。
「やっぱり死にそうです」
「慣れてもらわねば困るぞ。キスから先に進めぬではないか」
「え?」
サリウスさんはニヤリと笑い、狼狽する私の口をまた塞いだ。
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夕方の光を浴びて、巨大な『エレスメイアの木』が金属的な輝きを放っている。彼方の山の稜線に日が沈もうとしていた。
「そろそろ戻らねばならぬな。君の村まで送っていこう」
「いえ、いいですよ。馬車を降りれば事務所はすぐですから」
停留所のへ向かう途中、彼は街角の出店で小さなピンク色の花束を買い、そのまま手渡してくれた。嬉しくてまたドキドキしちゃったけれど、彼の行動のさりげなさに、本当は女性をエスコートし慣れてるんじゃないかと少しばかり疑ってしまう。
「では次は図書館で会おう」
そう言って、彼が別れのキスをする。馬車が角を曲がって見えなくなるまで、彼は歩道に立って見送っていてくれた。
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事務所に戻ると、ニッキは床に這いつくばってトカゲと遊んでいた。
「ニッキの馬鹿」
「なんでだよ?」
私の第一声に、彼は戸惑ったようすで立ち上がった。
「なんてモノ、食べさせるの? あの飴、エクヴァが入ってたんでしょ?」
「ああ、あれのことか。緊張してたみたいだからさ。リラックスした方がいいと思ったんだ」
「とんでもないことになったんだけど……」
「そうなのか? でもくっついちまったんだろ?」
「え?」
「顔見りゃわかるよ」
にんまりとニッキが笑う。サリウスさんにも同じようなことを言われたけど、私ってそんなに顔に出やすいんだろうか?
「……あなたが余計なことしたせいで、自分の気持ちに気づくのに時間がかかっちゃったんだからね」
「そりゃ、どういう意味だ?」
文句を言ってやりたかったけど、サリウスさんの事をクーデターを企む誘拐犯だと思い込んだなんて、もちろん恥ずかしくて言えない。
「……まあ、今回は許してあげる」
「なんだよ。気になるなあ」
彼は口をとがらせた。
「今度会わせろよな。一応、ちゃんとした奴か確認しておかねえとな」
「やだよ。余計なお世話です」
ニッキの事だから、失礼な事を言うのはわかってる。絶対に会わせないようにしなくっちゃ。
「気になるなあ。この俺よりも格好いいのか?」
こいつ、自分が美形って自覚はしっかりあるんだな。
「うん、格好いい。見ただけでドキドキしすぎて心臓が壊れそうになっちゃう」
「へえ、そこまですげえのか」
サリウスさんの顔を思い出したら、また動悸が激しくなった。今日一日でずいぶん心臓に負担をかけてしまったな。
私の顔が赤くなったのに気づいて、ニッキがまたニヤリとする。
「とりあえずうまくいって、めでたしめでたしだな。晩飯食いに行こうぜ」
「胸いっぱいでお腹空いてない」
「そうか。じゃあ、パン屋でなんか買ってくる」
「もう帰ってもいいんだよ?」
「お前のそんな顔見るの、久しぶりだからな。じっくり鑑賞させろよ」
おかしな奴だな。
結局、彼の買ってきたパンを平らげた私は、花瓶に生けたピンクの花を眺めながら、幸せな気分でその日の残りを過ごした。
最終馬車に乗り遅れたニッキはまた泊まって行った。彼氏ができたばかりなのに、どうして隣でニッキがいびきをかいているのか疑問に思わないこともなかったが、ソファはいやだとゴネるので気にしないことにしよう。




