ホームステイ先へ
食堂につくと生徒さんたちは用意されたテーブルにめいめいについた。食堂といってもカウンターではアルコール飲料も買える。外界のパブに似た雰囲気だ。お酒だけでなく幻覚作用のある飲み物も買えるんだけど、怖いので試したことはない。
馬車の旅の興奮が落ち着いたところで、ホームステイ先で気を付けるべきことなど、注意事項のおさらいをする。研修でも説明を受けているので理解はしているはずだけど、いつもと違う環境だと忘れてしまうこともある。こまめな再確認がトラブル防止の要なのだ。
話が終わると、シェフのアルギスさんが直々に料理を持って来た。松花堂弁当みたいに、色々な料理が少しずつ盛り付けれられた大皿が、一人一人の前に置かれる。外界とは食材が違うので、早く慣れてもらうのが狙いだ。ごくたまにアレルギーを起こす生徒さんもいるのだが、アルギスさんはアレルギー系の治療魔法が得意なので、都合がいい。
「これはなんですか?」
くるりと丸くなった佃煮のようなものを摘まみ上げたエドウィンが、アルギスさんに質問した。
「ヤマザソリの尻尾だ」
「サソリ?」
「うまいから食ってみろ」
「は、はい」
聞かなきゃよかったという顔で、エドウィンはサソリの尻尾を口に入れた。
「ほう、なかなかいけますなあ」
山田さんはなんでもためらいなく口に運んでいる。案外若者よりも適応が早いかもしれない。
こちらの食事は穀物や野菜の割合が多い。動物の肉はタブーではないが、しゃべる牛や豚が人に交じって暮らしているので、避ける傾向にあるようだ。
川魚は新鮮なのが手に入るし、ニワトリが自ら卵を売りに来るので、タンパク質には困らない。虫っぽいものもよく食べる。最初は抵抗があったけど、慣れればなんでも食べられるようになるものだ。
生徒さん達は見慣れない料理を前に、アルギスさんを質問攻めにしている。今のところ、コミュニケーションに問題がある生徒さんはいないようだ。渡航してから意思の疎通に問題があると発覚することもあり、特に最初の数日間は生徒さんの様子に目を配らなくてはならない。
翻訳魔法は『魔法使い』であれば誰もが持っている能力なのだけど、本人の語学力に大きく左右される。まずは自分の母語を習得しなければ使えない魔法なのだ。
エレスメイアの言葉は詩のように麗しいと言われているが、私にはどうもピンとこない。私が文学少女であればもっと美しく聞こえたのだろうけど、翻訳物の海外ミステリばかり読んでいたせいか、誰の言葉も直訳っぽく聞こえてしまう。カタカナ英語も入りまくり。残念ながら、私のレベルにあった言葉に訳されてしまうのだ。
一人称は、英語と同じく一つしかないのだけど、私の場合、相手の第一印象で自然に変化する。例えば見た目のかわいいケロは、自分自身の事を『僕』と呼んでいるように聞こえるし、おじいちゃんなら『わし』と聞こえる。ステレオタイプなことこの上ない。
翻訳魔法にもいろいろ種類がある。私のように相手の言葉が自国語に訳されるのが一般的だが、相手の頭にイメージを送る能力を持った人も存在する。
ケットシーのケロもそんな力を持っていて、たとえば私が聞いたこともない果物について質問をすると、その果物の姿を私の頭の中に浮かびあがらせてくれる。ここに来てからずいぶんとケロの能力にお世話になった。
ケロはさっきからおこぼれに預かろうと生徒さんの間をうろうろしている。彼にも魚料理を注文したのに、足りなかったのかな?
「ねえ、ダイエットするって言ってなかったっけ?」
注意すると猫はぷっと膨れた。
「いいんだよ。最近痩せてきたから」
「冬毛が抜けただけでしょ? ただでさえ重いのに、これ以上重くなったら、もう膝にのせてあげないよ」
「ええ! それはやだよ」
ケロは半ば強制的に留学させられた私にくっついて、ニュージーランドからエレスメイアに戻って来たのだけど、それからはずっとそばにいる。たまに姿を消すこともあるが、数日すれば必ず戻ってくる。予備知識もない世界にいきなり放り込まれたものだから、彼がいてくれて本当に助かった。
こまめなサポートこそが留学生活の成功の秘訣なのだ。たとえそれが猫からのサポートであっても。
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食堂から事務所前の広場に戻ると、ホストファミリーがすでに集まっていた。一組ずつ、生徒さんと家族を引き合わせ、お互いを紹介する。
外界の留学生と決定的に違うのは、最初からお互いに言葉が通じることだ。通訳に走り回らなくてもいいので、これは本当に助かる。ホストファミリーを希望するのは外界に興味のある家庭が多く、留学生には理解を持って接してくれる。
広場には近所の人たちも集まってくる。村人たちは留学生に興味深々だ。新しいグループが到着するたびにちょっとしたお祭り騒ぎになる。まだ昼間だというのに酒樽やバーベキュー台も持ち出され、生徒さんたちには巨大なキノコの串焼きや、甘すぎる果実酒なんかが振舞われる。
二軒隣でパン屋をやっているラウラおばさんは、生徒さんたちにお菓子を配るのを楽しみにしている。エドウィンの顔がひきつっていたので、お菓子を見たら今回は蜘蛛入りクッキーだった。正確には蜘蛛ではなくてエリムムという寄生生物で、エビっぽい味がするんだけど、問題はたぶんそこじゃない。
エリムムクッキーを配り終えたおばさんが近寄って来た。
「ハルカちゃん、あんたが留守にしたとたんにエルフの馬鹿どもに庭を荒らされてね。ちょっと脅かしておいてくれないかい?」
「何時ごろ出るのかわかりますか? 見回りに行きます」
戻って早々、害獣退治の依頼だ。仕事代はいつもパンで支払ってもらう。エレスメイアでは通貨はあるものの、物々交換も盛んに行われている。
やがて、生徒さんたちは一人また一人とホストファミリー宅へ引き取られていき、広場も閑散としてきた。最後に山田さんが自分よりも年の若い夫婦に連れられて広場を去ると、レイデンが私の肩を抱いた。
「さ、明日からまた忙しいですよ。今日は早く休みましょう」
研修に参加する生徒さんに付き添って『本部』に泊まり込んでいたので、彼とは五日も会っていない。
「休ませてもらえるのかなあ?」
「もちろんですよ」
そういいながらも私をぎゅっと抱き寄せる。
「レイデンはほんとにハルカちゃんが好きなんだねえ。留守の間はずいぶんと寂しそうにしていたよ」
パン屋の店先でラウラおばさんが笑った。
「それにしても美形だねえ。まさか行方不明の王子様だったりするんじゃないだろうねえ」
おばさんはうっとりした顔でレイデンを見つめている。まあ、彼の秘密を知ってたらそんなことは言い出さないんだろうけどね。
彼女はゴシップが大好きで、おかげで『ICCEE』からの情報では得られない、エレスメイアの噂話にも随分と詳しくなった。
行方不明の王子の噂は、彼が公の場に一切姿を現さないことから始まったものらしい。エレスメイア王家の王子は、見目麗しい上に相当の魔力の持ち主なのだが、城の者も手を焼くほどの変人で、もう何年も姿をくらまして魔法の修行をしているという。『魔法院』にこもっているという話もあれば、どこかの貴族の館に入り浸っているという話も聞く。
「変人でもイケメンの王子様なんでしょ? 一度お目にかかってみたいな」
そう言ったとたんにレイデンの顔が曇った。
ーーしまった。またやってしまった。
「あ、ただの好奇心だから。ほら、隠れて修行してるなんて、どんな人なのか気になるでしょう?」
「そうですね」
彼はふいと目をそらす。
「やきもち焼いちゃった?」
「いいえ、別に」
「素直じゃないなあ。私の王子様はレイデンだけだよ」
伸びあがってキスすると、彼は耳まで赤くなり「ありがとうございます」と律儀に礼を言った。陳腐なセリフだけど、この人にはこれが一番効き目がある。直視するのもためらわれるほどのイケメンのくせに、彼の自己評価は驚くほど低い。
そろそろ二人きりになってあげないとね。まだ広場に残っている村人たちにお礼を言うと、私はレイデンの手を引いて事務所に戻った。