恋の錯覚
もしかしてサリウスさんに惚れちゃった?
いやいや、そんなはずはない。確かにタイプど真ん中と言っても過言ではないし、この人となら付き合いたいとも考えた。けれども何度も図書館で会っているのに、初めてのデートで顔を見たとたんに恋に落ちるなんてありえない。
ああ、そうか。彼を素敵だと思う気持ちが、エクヴァーーで辞書登録済みーーのせいで増幅されたんだ。それで彼を見るたびに心臓がバクバクしてたんだ。つまりこれはエクヴァの作用の一つに過ぎないってことだ。
なるほど、そう考えれば説明がつく。理由さえ分かれば慌てることもない。
「あの……もうおさまったみたいです」
「いや、まだ顔が赤いぞ。私はしばらく外に出ていよう。どうか気にせずに休んでほしい」
「サリウスさんはここにいてくれてもいいんですよ」
原因がはっきりしたので余裕が出て来た。いちいち外に出てもらうのも申し訳ない。部屋の隅には肘掛椅子も置かれているから、座って待ってもらえばいいのだ。
「いや、それは……」
彼の視線がちらりと私の身体に落とされ、すぐにそらされた。それにつられて私も自分の身体に目をやる。
ーーうひゃあ!
ワンピースが腿の付け根近くまでめくれあがっている上に、薄い布がぴったりと身体に貼りついている。私は慌ててワンピースの裾を引っ張り下ろした。
「す、すみません……」
「いや、謝るのは私の方だ。君の具合が悪いのはわかっているのに、そ、その……不埒なことが頭に浮かんでしまった。許して貰いたい……」
正直に謝ると彼は逃げるように出て行ってしまった。それでさっきも気を使って外にいてくれたのか。
密室のベッドの上でずっと挑発的な姿を晒していたなんて恥ずかしすぎる。酔いを醒ますどころか強いアルコールを注がれたように心も体も火照ってしまい、なかなか静まってはくれなかった。
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しばらくしてドアがノックされたので、私は急いで身を起こして衣服を整えた。
「具合はどうかな?」
サリウスさんが遠慮がちに入ってくる。
「もういいみたいです」
「今日は無理をせずに帰った方がよいのではないか?」
「え?」
「私が村まで送っていこう」
「本当に大丈夫です。ご迷惑ばかりかけて、このまま帰るわけにはいきません」
「だが……」
「もう平気ですから」
心配する彼を説き伏せて、私たちは少し街を歩いてみることにした。酔いが残っているようならすぐに帰ると約束させられたけど。
料理屋を出て、日陰の多い裏路地を彼と並んで歩いた。
この人、こんなに格好良かったかな? 知的で超イケメンで、品もあるし歳に似合わない貫禄もある。週に二回会って、そんなことはもう知ってるつもりでいたけれど、今日初めて彼に出会ったみたいだ。
エクヴァの効果がまだ消えていないのか、顔を見るたびに動悸が激しくなる。見なければ済むことなのにどうしても目が行ってしまう。
ちらりちらりと目を向ける私に、サリウスさんは眉を寄せた。
「やはり酷い顔なのか? それとも私の服装に問題があるのだろうか? 君に気に入ってもらおうと努力はしたのだぞ」
「いえ、サリウスさん、顔も服も完璧ですよ」
「そ、そうか」
彼はほのかに頬を赤らめた。褒められて照れてるようだ。
「ハルカ、今日は君が来てくれてとても嬉しい」
「いえ、誘ってもらったのに、迷惑かけてごめんなさい」
「それはもう気にしないでもらいたい。君のせいではないのだからな」
彼の声は講義の時より明るく感じられる。私に気を使わせまいとしているのかな。
「ところで君に教えてもらいたいことがあるのだが……」
「なんでしょうか?」
「外界人のしきたりはあまり知らぬのだ。私はどのような手順を踏めばよいのだろうか?」
「なんの手順ですか?」
「君を恋人とするための手順だが……」
こ、こ、恋人!? 呼吸困難をおこしそうになって立ち止まった。
「どうしたのだ?」
「……サリウスさんが刺激の強い事を言うからです」
「まだエクヴァが切れておらぬのか?」
「そうみたいです」
彼が顔を近づけて私の匂いを嗅ぐ。
「もう香りは消えておるが……」
「そうですか? 変ですね」
匂いはもう嗅いだのにそのままの距離で私を見つめているので、また呼吸が苦しくなってきた。どうして離れてくれないの? 離れるどころか、彼の顔はさらに近づいて、唇が私の口をふさぐ。
ーー熱い! 火を注がれてるみたいだ。
キスされていたのはほんの一瞬なのに、スローモーションのように感じられた。
「すまない。手順を聞いておきながらつい先走ってしまった」
慌てて私から離れて、彼が謝罪した。けれども口が開かず返事ができない。身体の力も入らない。私は石畳の上にしゃがみこんだ。
「ハルカ? どうした?」
「死にそうです」
「どうしてだ?」
「サリウスさんが……キスなんてするから……」
「すまなかった。だがどうして死にそうになるのだ? 私が近づくたびに様子がおかしくなるではないか。……もしや……私が不快なのか?」
彼ははっと目を見開いた。
「そうか。君は講義の礼のつもりで付き合ってくれていたのだな? それなのに恋人になりたいだなどど私は……」
「そうじゃないんです。サリウスさんは好きです」
「無理はしなくてもよい」
「いえ、ほんとに好きなんです。手順は全部飛ばしてもらって構いません」
このときめきは錯覚じゃない。エクヴァの効き目なんてとうの昔に切れている。私は彼に恋してしまったのだ。
サリウスさんは何も言わず、赤く染まった顔で立ち尽くしている。やがて、私の隣にしゃがみこみ、「では、お付き合いいただけるのだな?」と小さな声で尋ねた。
「はい。喜んで」
路地裏の石畳の上でしゃがみこむ私たちに通行人たちが好気の目を向ける。気恥ずかしくて彼の顔が見れない。やがてサリウスさんが私の顔を両手で包み込むように持ち上げ、二回目のキスをしたので私はまた死にそうになった。




