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竜の血の薬

「今から『魔法院』に行ってくる」


 翌朝、時間通りに出勤してきたレイデンに私は告げた。


「あれ、今週はもう行きませんでしたっけ?」


「大事な用事があるの。今日は特に予定はないでしょ?」


 本当のことを言うと、今週は『魔法院』には行っていない。事務所を出たものの、カフェの個室を借りてぼーっとしてすごしたのだ。


 彼とこの短い会話を交わしただけで、胸が締め付けられた。どんな仕打ちを受けたって彼を愛さずにはいられない。


 けれども手遅れになる前にその想いを断ち切らないと、流砂に飲み込まれるように絶望の底へと落ちてしまう。昨夜のジリンさんの忠告で、はっきりとそれが実感できたのだ。


「じゃあね、レイデン」


 私は大きな声で彼に別れを告げた。杖を背負って飛行バイクにまたがり、戸惑った様子の彼を後に残して全速力で『魔法院』に向かった。



        *****************************************



「お父さん、こんにちは。失恋に効く魔法があるって聞いたんですが……」


 ドアをあけるなり質問した私を、院長が机の向こうから怪訝な表情で見つめた。


「ハルカ、いきなりどうしたんですか?」


「助けて欲しいんです。このままじゃ心が壊れちゃうんです」


「そうですねえ、心の痛みを和らげる薬はあるんですよ。けれどもあなたには効かないかもしれませんね。彼の事を忘れようと心の底から思っていなければ、効力は現れないんです」


「忘れたいんです。さっさと忘れて自由になりたいんです。でも……」


 私の目から涙が溢れるのを見て、院長は慌てて立ち上がった。


「はいはい、ハルカ、今すぐに病院へ行きましょう」


 病院に着くとゼッタが怪我をしたときにお世話になった治療師長のラゴアルさんが出迎えてくれた。


「例の奴をお願いしますよ」


 院長が小声で言った。


「え、あの超イケメンと別れたんですか?」


「かなりの重症のようです」


「可哀そうに。今度のはよく効くよ。竜の血が手に入ったおかげで、伝説の薬師キュリラのレシピを再現できたからな」


 ラゴアルさんは誇らしげに私の肩をぽんと叩いた。


「ドレイクの血、そんな薬に使っちゃったんですか?」


「なに、ほんの一滴だ。失恋は魔法使いたちのパフォーマンスにも影響するからね。馬鹿にしたものではないんだよ」


「それはよく分かります」


 彼女は小さな器に薬を注いで私に手渡した。薬はどろりとして黒蜜のように見えた。


「これを飲んでも、よりを戻せば効き目は切れるからね。心配はいらないよ」


「よりを戻すつもりなんてありません。そんな中途半端な気持ちで薬が欲しいといってるんじゃないんです」


「その意気なら効き目がありそうだね。呪文の代わりに相手を罵りながら飲んでくれるかな」


「レイデンの馬鹿!」


 私が怒鳴ると、右手の指輪から火花が散った。



        *****************************************



 帰り道、飛行バイクでのんびりと地面を這うように進んでいたら、ドレイクが舞い降りてきた。


「この間はどうして来なかったのだ? 体でも壊したのか?」


「少し調子が悪かったの。でも、もう大丈夫だから」


「そうか。心配したではないか」


 悪いことをしちゃったな。カフェの二階の窓から森の上空を舞う竜の姿が見えたのだけど、落ち込み過ぎていて彼のことを考える余裕がなかったのだ。


「ごめんね」


「謝ることはない。調子が悪かった割には機嫌がよさそうだな。何かあったのか?」


「失恋の薬をもらっちゃった」


「ほう、ついに目玉小僧を忘れる気になったのだな」


「まあね」


「それはよかった」


 竜が大きな鼻先を私の身体に押し付けてきたので、飛行バイクが傾いた。


「ちょっと何するの? 落っこちるでしょ?」


「もう邪魔者はいないのだろう?」


「だからってあなたと付き合うなんて言ってないし」


「なんだと? 俺のどこが気に入らんのだ? もしかして、ほかに気になる男がいるわけではあるまいな?」


「ええと、それはまだだけどね……」


 毎週欠かさず会いに来る竜を傷つけるに忍びず、私は嘘をついた。



        *****************************************



 伝説の薬師が生み出したというだけあって、失恋の薬は驚くほど効いた。事務所に戻ってレイデンの顔を見ても胸はまったく痛まない。苦しみから解放された心があまりにも軽くて、思わず踊りだしたくなった。


「ハルカ、どうかしましたか?」


 私の雰囲気が違うのに戸惑ったらしく、レイデンが心配そうに声をかけた。


「ちょっとこっちを向いてくれる?」


 ためしに彼の顔をじっくりと見つめてみた。薬を飲んだ後でも、思わず見惚れてしまうほどの格好良さだ。けれどもそれはスクリーンに映った俳優を見て感じる程度のときめきで、彼はもう私の最愛の人ではなかった。


「ハルカ……?」


「もういいよ。ありがとう」


 彼と過ごした幸せな日々も、遠い過去の色褪せた記憶としか感じられなかった。その夜は久しぶりにぐっすりと眠れた。


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