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ある日の講義

 それからは週に二回、図書館に通った。生徒さんがいない時期は業務も少ない。土日も事務所兼自宅にいるわけだから、平日の午後、数時間抜け出しても全く支障はないし、レイデンと一緒にいなくて済むのもありがたかった。


 サリウスさんと図書館で会うようになってからそろそろ一ヶ月になる。これまでの講義ではエレスメイアの歴史を年代順に学んできたのだけど、この日は気分を変えて『壁』について教えてもらうことにした。


「飛んでも越えられないんですか?」


「何人もの飛行魔法の使える『魔法使い』が試したが『壁』は垂直にどこまでも続いていたらしい。空気が薄くなって途中で諦めて戻ってきたのだ」


 彼は私が何を尋ねようと、たいていのことには答えてくれた。


「外界人の科学者の入国を拒んできたエレスメイアも『壁』の調査だけは許可した。気球を上げてみたり、レーザーを照射したりと様々な方法で調べたのだが、『壁』の正体に繋がることは何一つ発見することはできなかったそうだ」


「……サリウスさん、こっちの人なのにレーザーなんて知ってるんですね」


「まあな」


「科学者が来てたんですね。外界人で『壁』を見た人はいないって聞いてたのに」


「『壁』に関してはエレスメイア国内でも機密なのでな。そのあたりの事が公表されることはないのだよ」


 あれ? 機密なのに私に話しちゃってもいいのかな。気にはなったけど質問はせず、そのまま話の続きを聞いた。


 彼から聞いたことはすべて日本語でノートに書き留めて、家に帰ってから読み返すようにしている。一ヶ月の講義でノートが半分以上埋まってしまった。


 『人々が最初に『壁』の存在に気づいたのは、1950年の五月のことだった。灰色がかった色をした柱状のものが世界の各地に出現した。手で触れてもその表面を感じることはできない。けれども力場のようなものに阻まれて、いかなる手段を使っても柱には干渉できなかった。


 『魔法院』の専門家たちが調べても正体が分からない。柱はやがて板状にどんどんと幅をひろげ、最終的にはお互いに繋がりあって『壁』の形状になった。この現象は世界の各地で同時に発生し、『魔法世界』が分断されつつあると気づいた人達は都市部へと移動を始めた。


 エレスメイアは『壁』の出現により国土の85%を失ったと言われている。王の呼びかけもあり、ほとんどの住民は王都の近くに移り住んだ。エレスメイアと敵対していた東の国ロインダスからも難民が流入した。現在ロインダスからは国境より三十キロほど内側に出現した『壁』により切り離されている。『壁』はそれからもゆっくりと厚みを増し続け、人々はいつか国土がなくなってしまうのではないかと恐れた』



「二十年前に『魔法院』が『門』を開いたのは、いざというときの避難経路を確保するためだ。国交を開いたのもな」


 サリウスさんはそこで一旦言葉を止めて、素焼きのカップから水を飲んだ。


「え? 『魔法院』が開いたんですか? 自然に開いたんだって聞いたのに」


「機密なのだがな。私が話したとは誰にも言わないでくれ」


 機密って……そんなの 『ICCEE(アイシー)』の人でさえ知らないんじゃないの? それとも上層部は知っているんだろうか?


「どうしてあなたが知ってるんですか?」

 

「さあな。そろそろ歴史だけでなく、私にも興味が湧いてきただろうか?」


 サリウスさんはにやっと笑って私の目を覗き込んだ。あれれ、これは口説かれてるんだろうか? でも、貴族のイケメン御曹司が外界人を口説くかな?


「口説かれているんじゃないかと考えているのだったら、それは正解だ」


「え?」


「次は外で会えないか?」


「あ、あの……」


「返事は急がない。次の質問は?」


 口調は変わらなかったけど、彼の頬は僅かに赤みを帯びている。


 この人、なぜかレイデンを思い出させる。容姿は違うし、貴族というだけあって態度も尊大だけど、緑色の瞳は彼と同じぬくもりを宿している。


 でも、彼を好きになれるかな? 外見も素敵だけど、一緒にいると不思議に穏やかな気持ちになれる。レイデンに会う前の私なら間違いなく惚れてるはず。


「すみません。もう少し考えさせてください」


 この人なら信頼しても大丈夫。付き合ってみてもいいじゃない。そう頭では思ったのに気がつけば断りの言葉が口から出ていた。


「そうか。気が変わったら教えてほしい」


 彼は特に失望した様子も見せず、再び講義を続けた。



        *****************************************



 図書館から出ると青い夏の空が広がっていた。帰りの馬車に揺られながらサリウスさんの事を考える。一般市民が知りえないことを知っているのはどうして? 本当に『暇を持て余している貴族の息子』なのかな? 


 どうしてあんなスペックの高そうな人が、私に興味を持つんだろう? レイデンと違って、モテない理由があるわけでもないだろうに。貴族ともなると色々と制約があって、簡単には女性と付き合えないのかもしれない。外界人なら後腐れなくて、恋人にはちょうどいいと思っているのかも。


 ぼんやりと思いを巡らせているうちに、馬車は村の停留所に到着した。事務所のある広場に足を踏み入れると、事務所の外に矢島さんの飛行ぞりがとまっているのが見えた。


 あれ? なんの用で来たのかな? 今日のこの時間、私がいないのは知ってるはずなのに。


 私にキスしたあの日から頻繁に事務所にやってくるようになった。私が背を向けるたびに、レイデンとひそひそと話をしている。私の知らないところで何かが密かに進行しているのだ。


 何を企んでいるのか確かめてやろう。私は事務所と隣の家の隙間に入り込んだ。一メートルほどの幅があるが、ツタのような植物が両側の壁に生い茂っているので、一歩踏み込むと表からは見えない。壁際に置いてあった大きな木箱によじ登り、高いところにある小さな明り取りの窓から中を覗いた。


 レイデンは机に向かって真面目に仕事をしているようだ。矢島さんは私の机の上に座って、足をぶらぶらさせながらお茶をすすっている。時折レイデンに向かって話しかけるのだが、レイデンは笑顔で返事を返していた。


 彼の笑顔なんて久しぶりに見たな。私と別れてからというもの、仕事以外の会話は一切しなくなった。お互い、笑い合うことなどなくなってしまったのだ。


 やがて矢島さんが立ち上がり、机に立てかけてあった自分の杖を握った。私の帰りを待たずに帰るつもりらしい。私は箱から降りて、ツタの葉の陰から外に出てきた矢島さんとレイデンを盗み見た。


 矢島さんがそりに乗り込み、地面からふわりと浮上させた。いつもながら、飛行ぞりを操る彼の姿は様になるな。ファンタジー映画に出てくるようなエレスメイアの服も違和感なく着こなしている。


「次はいつですか?」


 彼を見上げてレイデンが尋ねた。


「そうだな。金曜日の終業前に来るよ。あいつはまたニッキのところに行くんだろ?」


「はい。そう言ってました」


「あのニッキと付き合えるとは、あいつも案外物好きだな」


 やっぱり私の話をしてたんだ。予定なんて聞いてどうするつもりなんだろう? 二人でこそこそしちゃってむかつくなあ。


 そんな私の腹立ちも、次に見たものにきれいさっぱり吹き飛ばされてしまった。


 浮き上がるそりから身を乗り出して、矢島さんがレイデンにキスしたのだ。


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