図書館に行く
レイデンと別れてから二か月も経つのに、失恋の痛みはいまだに私を苦しめている。一日八時間以上も隣にいるなんて拷問でしかない。気にしないフリをしていても、彼のしぐさも声も表情も、私の心をえぐるのだ。
生徒さんもいなくなった今、いかにして彼の事を考えずに毎日を過ごせるかが最大の課題となった。
週末にはジャニスたちの村に泊りがけで遊びに行った。その間はレイデンの事は忘れていられるし、週に一度は私に会わないとおばあちゃんに怒られるとニッキもうるさい。
彼は金曜日の夕方になるとわざわざ迎えに来てくれるのだけど、その時間に来る事の多い矢島さんと鉢合わせして毎回口論になる。村人たちの間では私がニッキと付き合い出したことになっているようだ。いつまでもレイデンに未練があると思われるのも嫌なので誤解はあえて解いていない。
仕事の後の散歩は今も続けている。最近は飛行バイクに乗って少し遠くまで足を延ばすようになった。
オルレイロに貰ったバイクが事務所の隅で埃をかぶっていたのだけど、ある時、自転車みたいに地面すれすれを飛べば怖くないのだと気づいたのだ。
「せっかく飛べるのに、もったいない話だねえ。箒を使った方が手軽なんじゃないのかい?」
私が足の届く高さでしか飛ばないのを見て、ラウラおばさんがげらげら笑った。
外界人はちょくちょく箒のネタでからかわれる。最初は何のことやらわからなかったのだが、外界の魔女は箒に乗ることから来たジョークなのだ。
昔は外界に魔女と呼ばれる人たちがいた。『魔素』のない外界で魔法が使えるわけもないのだが、魔法の真似事のほかにも、薬草やそれを使った医療の知識が豊富で、地域社会に貢献していたそうだ。
『門』が開いていたころには『魔法世界』の住人との交流もあり、毎年春になると大きな祭りが合同で開かれたという記録が残っている。彼女たちが箒にまたがって空を飛べると信じていたのが、『魔法世界』の人々には奇異に映ったようだ。
実際に箒を『魔具』として飛ぶ事もできるのだけど、あの細い棒に全体重をかけるわけだから、どんな座り方をしても痛くって実用には耐えない。もっとも丸太のような太い棒に座って飛ぶ人はいるし、要はおしりさえ痛くならなければ、なんでも『魔具』として使えるわけだ。
その点、飛行バイクには詰め物をしたサドルと足を乗せる台がついていて、実に快適だ。最近のモデルには風防もついている。地面をゆっくり這うだけの私には必要のないものだけど。
毎晩夕食後にはエレスメイアの歴史について書かれた本を読んだ。事務所の本棚にあった古びた英語の歴史書を見つけたのだ。前々から歴史に興味があったので読み始めたのだけど、読んでいてなんだか物足りない。外界で出版されているエレスメイアの歴史書は、百年以上前に外界人によって書かれたものしかないらしい。抜けている箇所も多く全体的な流れが繋がっていないのだ。
『ICCEE』になら正確な資料があるのではと矢島さんに問い合わせたら、事務所にドイツ語の本が送られてきた。
表向き、私はドイツに赴任していることになっているのだが、ドイツ語なんて文章どころか簡単な単語すらわからない。レイデンの便利な能力を使って読んでもらう事もできるんだけど、彼のあの美声で音読してもらうなんて、耐えられるはずもない。
難しい顔で本を睨んでいたら、珍しくレイデンが話しかけてきた。
「歴史の本ですか?」
「うん。でもドイツ語だから読めないんだ」
彼は本を手に取ってパラパラとページをめくった。
「これは分かりにくいですね。場所も時系列もばらばらです。エレスメイアで書かれた本を使ったほうがいいんじゃないですか?」
「ますます読めないでしょ?」
「王都の図書館に歴史に詳しい人がいるんです。先日、生徒さんを図書館に案内したときにお世話になりました。時間があれば個人講義もしてくれるそうですよ。頼んでみてはどうですか?」
「司書なの?」
「ボランティアで時々来てるんだそうです。目立つ人ですからすぐに分かりますよ」
そう言われて出かけてはみたのだが、図書館は三つのセクションに分かれているうえ、巨大な棚が立ち並んでいるので探すのも大変そうだ。
暇だからとくっついてきたケロと一緒に受付に向かった。
「あら、ハルカさん、ケロちゃん、いらっしゃい」
司書のウィテニトアさんが私たちに気づいて笑顔を向けた。
図書館には生徒さんを連れて見学にくるので、彼女とは顔見知りだ。どういう仕組みなのか知らないが、彼女は図書館中の本を一瞬で検索できるという凄い能力の持ち主なのだそうだ。
地方都市や『魔法院』にある図書室にも同じような能力の司書が務めているのだが、彼女の力は桁違いらしく、事あるごとに『魔法院』に呼び出されて、研究や調査の協力をしている。ゼッダが襲われた時もハーピーの毒について彼女が検索をかけてくれたらしい。
「あの、この方、いらっしゃいますか?」
レイデンにもらった紙を彼女に見せた。例によってシャリウシェイヌ何某とかいう日本人には発音不可能な名前だったので、エルスメイア語で書いてもらったのだ。辞書登録は『サリウス』さんでいかな? 簡単にしておかないと覚えられない。
「今日は見かけましたよ。探しにいかせますのでお待ちくださいね」
彼女が黄色い小鳥に声を掛けると、鳥は高い天井と本棚の間を抜けてどこかに飛んで行った。
待っている間、ケロと受付の前の本棚で時間をつぶした。王都の図書館は外界の現代美術館のような外観をしている。明るいガラス張りで、広々とスペースが取ってあって、ファンタジー映画に出てくる魔法の世界の図書館とは随分とイメージが違う。古い書物もあるが、魔法を使って保管されているので、コンディションは良好だ。かび臭さとも埃とも無縁の空間なのだ。
寄木細工の美しい床の上には、寝袋に入って本を読んでいる人たちがあちこちに転がっている。本好きが高じて図書館に住み着いているのだ。家賃の代わりに一日数時間、図書館の雑用をしているらしい。
一日中本を読んでいるだけあって、専門分野であれば難しい質問にも答えてくれるそうだ。もしかしたらサリウスさんもこの人たちの一人なのかな?
ケロが本棚に並んだ本の題名を読み上げてくれた。彼は猫のくせに字が読める。本を読んでくれることもあるのだけど、すぐに疲れただのなんだのと文句を言い出すのであまり役には立たない。
精細な絵が並んだ生き物の図鑑を見つけたので、近くの席に座ってページをめくった。グリフィンのような外界で知られている生き物だけでなく、私が聞いたこともない種族もたくさん載っていて興味深い。
「あれ、これ……」
私は緑色の生き物の絵を見つけて、ページを繰る手を止めた。
「タニファだね」
ケロも本を覗き込んだ。ニュージーランドの国立公園でタニファに出会ってから、そろそろ三年半になる。
「ここに来れば『繋がる』って言われたのになあ。何が繋がるって意味なんだろう?」
「さあね。繋がってみなきゃ分からないよ」
「こっちの人って、みんな同じこと言うんだね」
「だって分かんないんだから仕方ないだろ? それじゃハルカは何が繋がってほしいのさ?」
「え?」
「どうせ、レイデンとの縁がまた繋がってほしいなあ、なんて思ってるんだろ?」
「違うってば。意地の悪い事言わないでよ。彼はもう諦めたの」
「ふうん」
ケロは金の目を細めて冷ややかに私を見た。腹の立つ猫だな。
「タニファの言った『繋がる』は、そんなにスケールの小さなものじゃないと思うんだ。ついでに私と運命の人とを繋げてくれるっていうんだったら、それに越したことはないけどね」
「お話し中、失礼する。私を探していると聞いたのだが……」
突然に後ろから男性の声がした。慌てて振り返った私は自分の目を疑った。
歴史にくわしいボランティアと聞いて、人懐こそうな初老のおじさんを想像していたのに、そこには私と大して年も変わらない長身の超イケメンが立っていたのだ。




