外界の鬼
久しぶりに矢島さんが姿を現した。外界のお菓子を私の机の上にぽんと置いたので、黄緑色のトカゲが驚いて「きゅっ」と鳴いた。『門』から連れて戻ってきたのはいいものの、事務所が気に入ったらしくそのまま居ついてしまったのだ。
「手土産なんて珍しいですね」
「たまにはいいだろ? 今出れるか? コーヒー、おごってやるぞ」
矢島さんに事務所の外に誘われるのは『ICCEE』から極秘の連絡事項がある時だ。
私たちは近所のカフェに向かった。途中で出会う人たちが矢島さんに声をかける。第一期生として留学中、この村でホームステイをしていたので、村人たちとは長年の顔なじみだ。
ラウラおばさんに聞いた話だと『キュウタちゃん』は村の暮らしにもすぐに馴染み、郷に入っては郷に従えの精神で、男女を問わず誘われるままに遊び回っていたらしい。留学制度が始まった当初は、地元民との交際は禁じられていなかったのだ。
一見真面目な日本男児の矢島さんはエキゾチックだとモテまくりだったそうだ。誰と会っているのかは知らないが、今もちょくちょく週末を村で過ごしにやってくる。
彼が行くカフェはいつも決まっている。もっとも外界風エスプレッソが飲めるからカフェと呼んでいるだけで、外界のカフェとは別物だ。昼間からアルコールを嗜む客もいれば、いかにも情事を終えたばかりの風情の男女が二階から降りてきたりもする。
飲食店では小さな部屋を貸りられるのが一般的で、出会ってすぐの相手と行為に及ぶのが普通のこの国ではラブホテルのように利用されることも多いのだが、家族連れが休憩するのに使ったり、一人でのんびり読書したいからと借りる人もおり、特に用途は決まっていない。少額で気軽に借りられるので重宝されているのだ。
カフェに入るとバリスタ兼バーテンダーのミッカリさんが明るく迎えてくれた。彼女は真っ赤なショートヘアの大柄な女性だ。矢島さんへの接客態度から、彼のセフレの一人じゃないかと疑っている。
席につくと、矢島さんはすぐに本題に入った。
「昨日、フィリピンで第一次選考会があったのは知っているな?」
「はい。矢島さんは行かなかったんですね」
「ジョナサンには誘われたんだがな。せっかくのリゾートなのに遊ぶ暇がなさそうだから止めておいたんだ」
この人、私と同じことを考えてたんだな。
「合格者は何人ですか?」
「今のところは五人だが、そのうちの一人は素行に問題があるそうだ。二次審査で落とされる可能性が大だな」
という事は四人か。来期は少ないな。
「でな、その中に一人、鬼がいるんだ」
「鬼……ですか?」
「鬼だ」
「鬼って赤かったり青かったりして角が生えてる鬼ですよね。虎の皮のパンツをはいてる……」
「パンツ以外はあっている」
「鬼がエレスメイアに留学にくるって言うんですか? 意味が分かりません。第一、外界に鬼なんていたら大騒ぎじゃないですか」
「見た目は人間なんだ。本人も自分が鬼だなんて知らなかったんだよ。一次選考で『魔素部屋』に入るまではな」
「何が起こったんですか?」
「部屋に入ったとたんに様子がおかしくなってな。みるみるうちに角が生えて来たんだと」
「つまり、『魔素』に触れて本性を現したってことですか? でも鬼は『魔素』がないと生きていけないんでしょ?」
「鬼って言っても純血の鬼じゃない。人との混血なんだ。そのおかげで外界でも生き延びてこられたんだろう。虚弱体質に苦しめられていたんだが、それを隠して選考に応募したらしい」
「へえ、百年前までは『門』は方々にあったんでしょう? 混血の人って実はたくさんいるんじゃないですか?」
「ああ。だが外界だと具合が悪くなるから、たいていは『魔法世界』の方に移り住んでいたようだな。とはいえ、今回が初めてのケースってわけでもないんだ。人狼の血が混ざった奴が、『魔素部屋』に入って毛深くなった例もある。胸毛とすね毛がもじゃもじゃになったぐらいの変化だが」
「あんまり嬉しくないですね」
「元々毛の薄い男だったから嫌がってたな。滞在許可はもらえなかったが、本人は外界に戻ってほっとしたようだ」
「鬼の人は『魔素』がないせいで虚弱体質だったんでしょう? 留学が終わって外界に戻ったら余計に辛いんじゃないですか?」
「今回は立派な角まで生やしてしまったからな。エレスメイアに受け入れを打診する予定なんだ。外界で暮らしていけないこともないが、『魔素』のない環境では寿命が縮むばかりだからな。彼の家は代々短命だったそうだ」
「気の毒ですね」
「日本にも『門』があれば、先祖の故郷に返してやれたんだがな」
「純血じゃないですが、この村にも鬼がいますよ」
「そうなのか? 見た覚えがないな」
「二年前に王都から越してきたんです。ひい爺さんが行商人だったんですが、『壁』が出現して、帰国を断念したそうです」
エレスメイアは他国との交易を盛んに行っていたので、『壁』によって故郷に戻れなくなった人や生き物たちの子孫が今もたくさんいる。遠い東の国からやってきた鬼の子孫も何十人もいるそうだ。
「ほう、彼に紹介してやってくれるか?」
「はい。連絡してみます」
その後、矢島さんは外界での出来事について話し始めた。それはそれで興味深いのだけど、とっくにコーヒーを飲み終わっているのに切り上げる様子がない。
「あの、ほかにも何かあるんですか?」
「お前、まだ立ち直ってないんだろ?」
「いえ、立ち直りましたよ。もう諦めはつきましたから」
「そうなのか? 心配してわざわざ会いに来てやったんだぞ」
「あれ、鬼の話をしに来たんでしょ?」
「そっちは急ぎでもないからな」
前回来たときは逃げるように帰ったくせに偉そうな態度だな。まあ、お土産を持ってきてくれたぐらいだから、心配はしてくれているんだろう。
「それにしちゃ表情が暗いぞ」
「そうですか?」
「鏡を見てないのか?」
「自分じゃわからないんですよ」
「まあ、諦めがついたというのならちょうどよかった。こっちを向いてみろ」
「こうですか?」
矢島さんが身を乗り出してついと顔を近づけたかと思うと、いきなりキスされた。
「何をするんですか!?」
慌てて突き放したら、彼は困惑した表情で目をしょぼしょぼさせた。
「……いや、違ったみたいだな」
「何が違ったんですか? 今のは立派なセクハラですよ。分かってますか?」
「分かってる。ここ最近、なぜかお前が気になってな。だが、そういう意味ではなかったようだ」
「そういう意味って?」
「お前に恋愛感情を抱いてしまったのかと思ったんだが、そうではなかったということだ。ときめきもムラムラも何一つ感じなかったからな」
遠回しにディスられてる気がしないでもない。
「じゃあ、どういう意味なんです?」
「わからん。だが何か引っかかるんだ。お前も気づいたことがあったら教えてくれ」
攻撃魔法でぶっ飛ばしてやろうかと思ったけど、本人はいたく真剣に悩んでいるようだ。
「もし『そういう意味』だったら、どうするつもりだったんですか?」
「そりゃあ、交際を申し込んだに決まっているだろう?」
「はあ? 順序がおかしいでしょ? いつもそうなんですか?」
「いや、まさか。そんなことしたら訴えられるぞ?」
この人、やっぱりおかしいな。怒っても労力の無駄らしい。
「俺、もう帰るわ。事務所に戻ろう」
矢島さんは何事もなかったように立ち上がってドアに向かった。
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事務所の前で矢島さんが飛行ぞりに乗ろうとしていると、レイデンが表に出て来た。
「矢島さん、お急ぎでなければお話したいことがあるんですが……」
「おう、なんだ」
レイデンから矢島さんに話なんて珍しいな。二人の共通の話題なんて私の事以外には思いつかないんだけど。気にはなったけど、二人を外に残して事務所の中に入った。
それにしても矢島さんにキスされるとは思わなかったな。もし『そういう意味』だったら、彼の事だから本当に交際を申し込まれていただろう。
態度は偉そうだけど頼りにはなるし気遣いもできる。エレスメイア流に不特定多数と遊ぶのさえ諦めてくれれば、いい恋人になってくれそうな気もする。
彼と付き合っている自分を想像して私は苦笑した。人としては好きだけど、恋愛感情を抱ける相手じゃない。それだけはないな。
そっとドアを開けてレイデンが入ってきた。嬉しいんだか悲しいんだか、よくわからない複雑な表情をしている。何があったんだろう? 私の方をちらっと見て、困ったような顔をして席に着いた。やっぱり私の話をしていたんだ。
質問して欲しくなさそうな雰囲気だし、レイデンと仕事以外の話はしたくない。私はPCのモニターを見つめて興味のないフリをした。




