呪縛の縄
「それにしても、ハルカが『スレイヤー』だったとはねえ。害獣退治屋なんてたくさんいるし、そんな能力で滞在許可をもらうだなんておかしいとは思ってたのよ」
ジャニスが私の杖を片手でテーブルから持ち上げようとした。
「あれ? この杖、すごく重いのね」
「パピャイラの芯なんだって。普通の杖だと『スレイヤー』の呪文に耐えられないの」
「ふうん。ドレイクを倒したのってほんと?」
「うん」
「それじゃ、もしかしたらこの下は……」
彼女は杖に巻き付けてあるマスキングテープを容赦なくはぎ取った。銀色に光る三本の筋が現われる。
「やっぱりね。『魔法院』公認の魔法使いは外界人にはいないって聞いてたのに、それも嘘か」
「私だけだって。これも機密だから黙っててよ」
「そうねえ、今度アミッドを紹介してよ。そうすれば、誰にも言わないし、親友の私に秘密にしてたのも許してあげる」
「え、アミッド?」
「同僚なんでしょ? 物凄くタイプなのよね。留学中に一度会ったきりだけど」
『髭面イケメンスレイヤー』のアミッドは、エレスメイアのスーパーヒーローだ。最近はドレイクをぶっ飛ばした謎の『小さいスレイヤー』と人気を二分しているようだけど。
『ドラゴンスレイヤー』といえば聞こえはいいけれど、普段は特にすることもない。竜の研究に明け暮れているエルビィと違って、アミッドは『魔法院』の雑用や、研究員の手伝いをして過ごしている。独身で家族は田舎にいるので『魔法院』に泊まり込むことも多いようだ。
当然ながらファンも多いし、無条件にモテるはずなんだけど、浮いた噂の一つも聞いたことがないな。考えてみれば不思議な話だ。付き合ってる人がいないのであれば、ジャニスを紹介しても支障はないかな。
「わかった、聞いてみるよ」
「やったあ! ありがとう、ハルカ」
上機嫌のジャニスはどんどんお酒を勧めてきた。ニッキの態度も普段と大して変わらない程度には戻ったようだし、そのままずるずると飲み会になった。
「ジャニスと仲良くやってるんだね。安心したよ」
「ああ? 何言ってんだ? 俺が我慢してやってるだけだろ?」
私の言葉にニッキが目を剥いた。
「でも息がぴったりだよ。付き合っちゃったら?」
「こんな馬鹿女と付き合えるわきゃねえだろ?」
「あたしだって片思いでうじうじしてる男は願い下げだわ」
「ああ? してねえって言ってるだろ?」
お酒のせいでほんのりピンクだったニッキの顔が深紅に染まった。なんだ、やっぱり好きな人がいるんだ。
「へえ、私の知ってる人じゃないよね?」
「ち、ち、ちげえよ。ハルカの知り合いじゃねえよ」
語るに落ちたことにも気づかずに、ニッキが目をそらす。この焦り方を見れば、たぶん私の知ってる人だな。
でも彼との共通の知り合いなんてほとんどいない。もしかしてフイアかな? 気は合うようだったけど、どちらかというといつもジョナサンに絡んでいたような。
待てよ。もしかしたらジョナサンの方? ずいぶん会いたがってるし、写真も飾ってあったし。
だとしても驚くような事でもない。エレスメイアではバイセクシャル率がやたらに高い。性に奔放なこの国では、若いうちから色々試して自分のセクシャリティを見つけていくのが普通なのだ。
「せっかくだからハルカに相談に乗ってもらえばいいのに」
「だから好きな奴なんかいねえって言ってるだろ?」
「はいはい。そんな切ない顔して言われてもねえ」
視線だけで殺せそうな顔で睨みつけるニッキを無視して、ジャニスは私のグラスにワインを注いだ。レイデンのいる事務所では話しにくかったことも、ここでは気にせずに話せる。苦しい胸の内を吐き出すことができて、少しずつ心が軽くなっていく。
語り合ううちに今まで知らなかったジャニスやニッキの新しい顔も知ることができた。二人とも態度こそ悪いけど、その分裏表がない人たちなのだ。久しぶりに心の底から笑えた気がする。ニッキの誘いを断らなくてよかったな。
その時はまだ、そんな風に思っていられたのだ。
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身体をそっと揺すられて目を覚ました。部屋の中はしんとして薄暗かった。いつの間にか床の上で眠っていたらしい。人影が私の上にかがみこんでいるのに気づいてぎょっとした。
「誰?」
「しっ、大声を出すな。あいつが起きる」
それはニッキの声だった。
「何してるの?」
「そろそろ『主従の契約』を結ぼうと思ってな」
「嫌だって言ったけど」
「いいや。お前は俺には逆らえない。そうだろ?」
腕を動かそうとして両手首を細い縄で縛られているのに気づいた。うっすらと銀の光を放つ縄の端をニッキが握りしめている。
「ああ! それ……」
ケルピーを捕まえるのに使ってた魔法の縄だ。
「端っこを切り取って貰ってきたんだよ。こんなにすぐに役に立つとは思わなかったけどな」
「それって泥棒だよ? 何を考えてるの? 悪用したら捕まるよ」
「お前との契約には俺の運命がかかってんだよ。俺だけじゃない、俺の里とこの世界の運命もだ。さあ、契約を結べ」
「わかった」
大袈裟過ぎるよ、と言いたかったのに、口が勝手に返事をした。彼の言葉に逆らえない。意識は鮮明なのに、自分の行動が止められないのだ。そして、それを不快に思うどころか、彼に従う事に喜びすら感じてしまっている。
この『魔具』、強力すぎるよ。止めないとまずいことになる。
「どうしたらいいの?」
けれども私の口は意志に反して彼の指示を求めた。理性はやめろと叫んでいるのに、身体と感情はいう事を聞かない。
「これにサインしろ」
身体を起こすと、いつの間に用意したのかバサの紙の契約書が目の前に置かれていた。渡されたペンで名前を書く。その隣にニッキも自分の名前を書いた。
「これだけ?」
「いや、まだだ。これはババアに証拠として持ってくもんだ。完了すれば文様が浮かぶ仕組みなんだよ。契約は今から結ぶ」
「どうやって?」
質問は普通にできる。彼の意志に逆らわない行動であれば自由が効くようだ。
「俺たちの身体で結ぶんだ」
え、え、ちょっと待ってよ。
「お前をこんな形で傷つけることになってすまねえとは思ってる」
謝られても困る。近くで眠っているはずのジャニスに助けを求めようとしても声が出なかった。どうしたって彼の邪魔はできないのだ。
縄の端を握ったまま、彼はポケットからナイフを取り出し、鞘から銀色に光る刃を引き抜いた。
「え、え、ニッキ?」
「なんだ?」
「セックスするんじゃなかったの?」
単刀直入に質問したのは、状況を正確に把握しておきたかったからだ。
「なんでだよ? したいんだったら後でしてやる」
彼は縛られている私の左手首をぐいと曲げ、手のひらを露出させた。
「切るの?」
「ナイフは切るもんだって決まってるだろ? ちょっとだけだから我慢しろ」
諦めて顔を背けると、手のひらの中央に鋭い痛みが走った。ニッキも自分の手の同じ個所を切り、私の手に重ねて傷口同士を強く押し当てた。
「こうやってお互いの血を混ぜるんだ」
うえ、気持ち悪い。
「いいか、ようく聞けよ。俺の言った通りに復唱しろ」
ニッキの澄んだ声がゆっくりと呪文を唱える。私の口が従順にそれを繰り返した。
「ずいぶん原始的なんだね」
もっと嫌味を言ってやりたかったけど、これが精一杯。妨げにならない程度なら意見を口にしても許されるようだ。
「ババアに習ったからな。かなり古い魔法なんだろう。契約は深い階層で結ばれるから、簡単には気づかれないと言ってたな」
「こんなことして病気がうつらない?」
「お前、病気持ちなのか?」
「あなたの病気がうつらないかって聞いてるの」
「失礼だな。俺は病気なんか持ってねえぞ」
圧迫された傷口がじんじんと熱い。想像なのか現実なのか、彼の血液が私の身体の隅々にまで運ばれていくのが感じられる。痛みはもう消えていた。
「他人の血ってのは強いもんだな。酔っちまいそうだ」
私の血、アルコールじゃないんだけど。
「ニッキはこういうの、やり慣れてるの?」
「馬鹿言うな。お前が初めてだ」
口調が妙になまめかしいな。彼の顔を見てドキリとした。琥珀の瞳がとろりと潤んでいる。この人、ほんとに酔っぱらっちゃってるよ!
私の手を強く握りしめたまま、熱を帯びた顔を寄せてくる。縄で縛られたままでは顔をそらすことすら許されない。
「これでお前は俺の主人だ。今から俺がたっぷり奉仕してやるよ」
そう言うなり、私の髪をかき上げていきなり唇を重ねてきた。




