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池の水を抜く

 翌朝は少しだけすっきりした気分で目を覚ました。


「暇なんだったら今日は遊んでやってもいいぜ。最初に事務所に寄るけどな」


 そう言いながら、ニッキはグラノーラっぽいけど妙に酸っぱい朝ごはんを出してくれた。午前中の馬車で帰ろうかと思ってたんだけど、口調とは裏腹の期待に満ちた表情をされると断りにくいな。


 この週末はツアーの予定は入れていない。今期の最後の週末になるので、生徒さんたちにはホストファミリーや友達と過ごしてもらおうという配慮なのだ。


 何かあればケロとレイデンに押し付けてしまおうとケロ宛に手紙を送り、ニッキに誘われるままに代理店事務所について行った。プタイタ村は私の住むメルベリ村の三倍近くあり、手工業を生業とする人が多いせいか、雰囲気がかなり違う。


 代理店の事務所は一等地の広場に面した外界風の邸宅だ。様々な店舗がぐるりと広場を取り囲み、中央には奇妙な生き物の形をした噴水がうねうねと水を吹き上げている。週末の朝なので、人影はまばらだ。


 事務所の分厚い両開きのドアの上には『Dime(ダイム) Tripper(トリッパー) Ellesmaire(エレスメイア) Support(サポート) Office(オフィス)』と英語ででかでかと書かれ、その下にエレスメイア語、スペイン語、フランス語、ドイツ語の表記が並んでいる。


Dime(ダイム) Tripper(トリッパー)』は若者の貧乏旅行を専門に扱う小さな旅行会社だったのだが、アメリカの大手旅行社に買収されて、エレスメイア留学専門の代理店になったという。管轄には北アメリカだけでなく中央アメリカ全域も入っているが、毎回留学生の八割近くはアメリカ人だ。


 この事務所には何度か来たことがあるけれど、とにかく無駄に広くて、使われていない部屋の方が多い。中に入るとニッキが一階のカーテンと窓を開けて回った。


「あれ、土曜だから行かないって言ってなかったっけ?」


「掃除ぐらいはしてやるよ。あの女、頭が悪いから要領が悪いんだ。何にでも水をぶっかけやがるしな」


 ジョナサンがニッキはツンデレだって言ってたけど、思ってたよりツンデレ具合が激しいようだ。


「これが面倒なんだよな」


 ぶつぶついいながら、彼は植木鉢や椅子などの床の上の物を机の上に乗せ始めた。


「私も手伝うよ」


「じゃ、大きなごみを拾ってくれるか。混ざってるとまずいからな」


 邪魔な物がなくなると、ニッキが指輪を振った。何が起こっているのかわかりにくいが、窓から差し込む日光の筋に目を凝らせば、床の上の埃が三十センチほどの高さに浮かび上がってキラキラ光っているのが見える。


「それ、できるんだ。かっこいいよね」


「だろ?」


 こういった実用的な魔法を使いこなす方が、攻撃魔法なんかよりもずっと格好良く見える。私には使えない魔法だ。レイデンは得意なんだけどね。おっと、今日は彼の事を考えるのはやめよう。


 ニッキは仕上げに風を起こして、大きく開いた裏口から一気に埃を掃き出した。


「これを平日にやると叱られるんだよ。近所に飲食店が多いからな」


 なるほど、それで週末に掃除するのか。エレスメイアでは週末はお休みの店が多い。週末だけのマーケットが方々で開かれるので、買い物や外食には困らないんだけどね。


「あら、もう終わったの? きれいになったじゃない」


 正面のドアからジャニスが入ってきた。


「なんだよ。俺が働いてるか見張りに来たのか」


「当り前じゃないの。それはそうと、昨日はどうだった?」


 にやにやしながらニッキの顔を覗き込む。


「添い寝してやっただけだ」


「ええ? ほんとに?」


「ハルカの顔見ればわかるだろ?」


「確かに昨日と大して変わってないわね」


 彼女は無遠慮に私の顔を眺めまわした。私、どんな顔してるっていうんだろう?


「ねえ、あたしはこの後仕事なんだけど、暇ならついてくる?」


「仕事って?」


「村長から貯水池の水を抜くように頼まれたのよ。馬がいて危なくて近寄れないとかなんとか」


「馬? 池に?」


「おかしな話でしょ? 村長のところの小鳥が伝言に来たんだけど、何を言ってるのかよくわかんないのよね。行ってみればわかるでしょ」



        *****************************************



 三人で村の南側にあるという池に向かった。時々、村の住人に交じって、木と金属で出来たロボットのようなものとすれ違う。この村の工房で作られた『カラクリ』という機械仕掛けの人形だ。


 ドイツの黒い森近辺では昔からハト時計が作られており、そこから伝わった技術と魔法とを組み合わせて、機械人形を作るようになったのだと言う。馬のような形だったり人型だったり種類は様々だが、知能も感情もなく、運搬などの単純な労働に使われている。


 ちなみにエレスメイアにはドイツ製のカッコー時計を方々で見かける。第一次世界大戦前に持ち込まれた物を今でも大切に使い続けているのだ。中には魔法を使った正に『魔改造』を施された時計もあり、鳥が奇怪な声で鳴き叫んだり、予期せぬ動きをしたりするので、初めて見る時計には近づかないようにしている。


 村はずれの雑木林を抜けると、遠くに光る水面が見えた。二十五メートルのプールほどしかない小さな池だ。周囲には牧草地が広がり、ほとりには小さな丸い屋根の家が建っているが、人の住んでいる気配はない。


 池からかなり離れたところに十人ほどの人が集まっている。


「ああ、ジャニスさん、助かります」


 私たちに気づいて、恰幅のいい男性がパタパタと駆け寄ってきた。


「こんにちは、村長さん。あの池の水を抜くの? 馬なんていないじゃないの」


「馬と言ってもケルピーなのですよ。この池に仔馬のころに住み着いたのですが、最近は近づくと飛び出してくるんでね。怖がって誰も近づかないのです」


 ケルピーって水棲馬か。話は聞くけど一度も見たことないな。


「私たちで捕まえますから、水を減らして池に隠れられないようにして欲しいのです」


「それだけでいいの? ずいぶんと簡単な依頼ね」

 

 ジャニスは池に近づいて、濃い色のアメジストのついた杖を頭上高く持ち上げた。村人たちも束ねた縄を握って池の周りを取り囲む。


「減らせるだけ減らしてもらえればいいですよ」


「全部抜いちゃってもいいんでしょ?」


 彼女が杖をぐるりと回したかと思うと、池の中央の水面が盛り上がり、白くうねる柱となって空へと伸びていった。池の遥か上空でぐるぐると渦を巻き始め、やがて巨大な水の球が形作られる。


 エレスメイアでは日常的に魔法が使われているけれど、これほどの規模のものは初めて見た。村人も度肝を抜かれて空を見上げている。映画のCGみたいだ。


 水の球はどんどんと膨れ上がり、それに反比例して下がっていく水面にケルピーの首が現れた。


「ほら、出たわ。早く捕まえなさいよ」


 縄を握った村人たちは馬の姿を見てためらった。青緑色をしたその生き物は馬とは思えない大きさだったのだ。


「なんということだ。ここまで育っているとは」


 村長さんの顔はケルピーと変わらぬぐらいに青ざめている。


 住処を奪われた馬は、首を激しく振りながら、耳を突き刺す金切り声を上げた。口からはぶくぶくを泡を吹き、地獄から来た生き物のようだ。


「もう、早く捕まえてくれないと集中力がもたないんだけどな」


 ジャニスの機嫌が悪くなってきた。


「捕まえられないんだったら、あの水をぶっつけてもいいけど、手加減が難しいからつぶしちゃうかもよ」


「そ、それは困ります」


 村長はおろおろと馬とジャニスを交互に見比べた。どちらが怖いかと言われると、ジャニスの方が恐ろしい気がする。


 その時、ひときわ大きな嘶き声が耳をつんざいた。巨大な水棲馬は足元の泥を蹴散らして一気に土手を駆け上がり、私たちに向かって突進してきた。


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