魔力
ね、ね、猫が……「しゃべった?」
ニッキが身体を起こし、ケロと同じようににやりとした。
「合格だな。まあタニファと会話したって時点で分かってた事だが」
「どういうことですか?」
私は説明を求めてジョナサンを振り返った。
「記録によるとタニファは外界人との交流にはマオリ語を使ったそうなんだ。でも、君には日本語に聞こえたんだろう?」
あれ? そういえばそうだった。なんでそんな大事なことを忘れてたんだろう?
「僕たちは何語を話してる?」
今度はジョナサンがにやにや笑ってる。あれれ……?
「日本語? え? ど、どういうことですか?」
確かにさっきまでは英語で会話していたのに。そういえば言葉が通じないと思ってたニッキまで日本語でしゃべってるし。
「魔力の判定テスト、受けたことないかい? 君の代理店でやってるんだろう?」
「ありません。私の部署はエレスメイア留学とは関係ないですし……」
「つまりだね、君には魔力があるんだよ。無ければニッキやケロの言葉を理解することは不可能だ。タニファの言葉が通じたのも君に魔力があるからだな」
「私に……ですか?」
フイアが笑った理由がわかった。私も『魔法使い』だったんだ。
「じゃあ、これが翻訳魔法なの?」
「ああ、そうだ。魔力を持つ人間は『魔素』の存在する場所であれば魔法が使える。それは知ってるね?」
「はい。でも、なんでここで?」
「ケットシーの身体は多くの『魔素』を含んでいる。この部屋はケロの身体から溶け出した『魔素』で満たされてるんだ。つまりエレスメイアと同じ環境になってるってことだな」
ニッキが退屈そうに伸びをした。
「部屋の壁に呪文をかけて、『魔素』の流出を防いでるんだ。俺は一日中ここに閉じ込められてるんだよ。気の毒だろ?」
「『魔素』がないとストレスだって、お前が外に出たがらないだけだろ? 任期はもうすぐ終わりだ。我慢しろよ」
ここにいる全員が流暢な日本語で話しているように聞こえる。これが魔法の力? 便利過ぎるんだけど。
「ジョナサンとフイアも『魔法使い』なんですよね?」
「僕は記念すべき第一期留学生だったんだ。フイアは三期生だ。君んとこの社長には世話になったよ」
世間は狭いな。あの社長と知り合いだなんて。
「さ、お互いに理解しあえるようになったところで、もう一度今回の『遭遇』のおさらいをしてみようか」
ジョナサンに促されて、私はタニファに言われた言葉を繰り返した。
「また繋がるといったんだね? 予言なのかな?」
フイアが首をかしげた。
「水中にはまだかなりの『魔素』が残っていた。あちら側に池か川でもあるんだろう。そこから『門』を通って流れ込んだ水で沼ができたのかもしれねえな。沼の周囲の植生を調べたんだが、まだ緑色のシダや草が水没していた。水が流れ込んだのはつい最近だな」
淡々とニッキが考察を述べる。
「ねえ、タニファはハルカを待ってたんじゃないの?」
「で、目的を達したから『門』を閉じたということだろうな」
フイアの言葉にジョナサンが頷いた。私だけ会話についていけていない。
「目的ってなんですか?」
「君にメッセージを伝えることだ」
「そのために『門』を開いて私が通るのを待ってたと?」
「おそらくな」
「『門』って自由に開けたり閉めたりできるものなんですか?」
「こちらからは無理だが、あちらには手段があるのかもしれん。タニファが開いたという事も考えられる。かなりの魔力を持つ生き物だと伝えられているからな」
「でも、あそこで足を滑らせたのは偶然ですよ?」
「そうだな。だが、こういう『偶然』はよくあるんだよ。特に魔法が絡むとね」
ジョナサンが微笑んだ。
「運命という言葉が一番近いかな」
「当たり前だろ。何だって繋がってんだからな」
ニッキの声は醒めている。
「繋がってるって?」
「外界の奴らには理解できねえんだよ。エレスメイアの奴らだって、たいして変わらねえけどな」
彼は鼻で笑った。
「しかしセルフィーまで撮るとはよく冷静でいられたもんだね」
フイアが感心したように、タニファの写真を手に取った。
「見たことのない生き物だね」
ケロも写真を覗き込む。
「お前、ずいぶんと図太い神経してんだな。ほんとは俺たちの世界の人間じゃねえのか?」
ニッキがじろじろと私を眺め回した。
「私、非常事態に強いみたいなんです。仕事柄でしょうか?」
緊張したり恐怖に襲われたりしても、深呼吸すればスイッチを切り替えたように冷静になれる。便利な特技なんだけど、そのおかげで幼少期はかわいげのない子だと思われ、大人になってからはかわいげのない女だと思われた。まあ、いいんだけどさ。
ジョナサンが立ち上がった。
「ここまでの経緯を『ICCEE本部』に報告してくる。久々の『遭遇』事件で奴らも興奮してるよ」
彼が部屋を出ると、ニッキはまたソファにごろんと横になった。フイアは私にスナック菓子の袋を押し付け、自分でも一つ開けてぽりぽりと食べ始める。
ケロは私の膝によじ登って無理やり丸くなった。猫に懐かれるのは嬉しいけど、膝からは思い切りはみ出してるし、ずっしりと重くて足が痺れそう。
「あなたはケットシーなんだね。猫とは違うの?」
「ケットシーは猫だよ」
「エレスメイアの猫はしゃべるんだね」
「みんなじゃないよ。普通の猫がほとんどさ。僕たちはそんなに数は多くないんだ」
「あなたの身体から『魔素』が出てるの?」
「うん、こっちに長く居過ぎると『魔素』が切れて死んじゃうんだよ」
「え? そんなに危ないのにどうして来たの?」
「だって異世界だなんて面白そうじゃないか」
ケロはむっくりと起き上がって、私の頬に大きな顔をこすりつけた。
「それにね、こっちに来れば素敵なことに出会えそうな気がしたんだよ」
フカフカな前足で乱れた髭を整えると、猫はまたにやりと笑った。
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それから五分ほどしてジョナサンが戻って来た。
「さて、『本部』と話をしたんだがね。君はドイツに行くことになりそうだな」
ドイツ? それって、もしかして……。
「タニファは『反対側』と言ったんだろう? 地球の『反対側』にはエレスメイアへの『門』がある。地球上に現存するたった一つの『門』だ。タニファの指示はつまりはエレスメイアに渡れということだろう」
「私にエレスメイアへ行けっていうんですか?」
「そうだ。タニファの件はエレスメイア側にも報告するそうだ。君には魔力もあるし、入国許可は下りるだろうが、タニファの指示が曖昧過ぎて、あちらに渡っても君に何をしてもらえばいいのか見当もつかん。まずは留学生として現地に慣れてもらうのが手っ取り早いだろう」
ここで言葉を止めてジョナサンは私を見た。例のにやにや笑いが顔に浮かんでいる。
「ちょうどタイミングよく、来週から次期の留学シーズンが始まるんだ」
「ちょうど、ですか?」
「運命っていっただろ? ハルカ、君にはエレスメイアの『魔法学校』に留学してもらう。日本の外務省からも直々に依頼が入るってさ。すぐに荷物をまとめた方がいいな」