竜の血
翌朝、私は早起きをしてドレイクを探しに出かけた。ゼッダのためにできることがないだろうかと考えていたら、一つだけ思いついたのだ。
村からそう遠くないところをのんびりと舞っている竜を見つけたのだけど、手を振っても叫んでも私に気づく様子がない。
私は杖を構え、ドレイクの尻尾の先を狙って撃った。今までの実験で、かなり距離があっても的を外さないことは実証済みだ。竜は驚いて翼をばたばたと羽ばたかせたが、やがてこちらに気づいて方向を変えた。
「痛いではないか」
ぶつぶつ言いながら私の前に舞い降りる。
「ごめん、こうでもしないと気づいてもらえないと思って」
「そうか。ならいつでも撃て。お前から会いに来てくれるとは嬉しいぞ」
本当に嬉しいらしく尻尾がぴょんぴょん跳ねている。やっぱり大型犬みたいだな。
「あなたに聞きたいことがあるの」
ハーピーが現れた話をすると、彼は不愉快そうに牙をむきだした。
「ふん、ハーピーか。気持ちの悪い生き物だ。『壁』を抜けて来たな」
「え? 『壁』を? そんなことができるの?」
「ああ、魔力の強い生き物であれば、『壁』は越えられる。このところ『壁』が薄くなっているようだから、ほかにも入ってきているかもしれんぞ」
「厚くなる一方じゃなかったの?」
「いや、場所によっては何十キロも後退している。立ち入り禁止になっているので国民は気づいていないが、『魔法院』は把握しているはずだ」
なるほど、それなら何十年も目撃されていなかったハーピーが現れたことにも説明がつく。
「何かが抜けてくるって事は、つまり『壁』の向こうにもまだ世界があるんだね」
「そういうことだな。『壁』ができてから一度だけ西隣に行ってみた。『壁』を抜けるのは骨が折れるのでそれっきりだが。お前が行きたいというのなら連れてってやるぞ」
「遠慮するよ。それよりも、質問なんだけど……」
「なんだ?」
「ゼッダの体にハーピーの毒が入ったみたいで熱が下がらないの。治療方法、あなたなら知ってるんじゃないかと思って」
「あれ? そいつ、まだ生きてるのか?」
「うん」
「普通は半日ももたんぞ。解毒剤があったのか?」
「ううん。解毒剤の作り方は伝わってないんだって」
「じゃあ、なんで生きてるんだ?」
「ゼッダは狼だから強いのかも」
「ハーピーの毒に耐性があるのは俺たちぐらいのものだ。狼だろうと関係ない。『魔法院』の治療師の腕がいいのだろう」
「それがね、お医者さんもハーピーの毒なんて扱ったことないから困ってるの。今、毒を消せる『魔法使い』が一人もいないんだって」
「珍しい魔法だからな。だが何らかの力がそいつを生きながらえさせているのだろう。興味深いな。分かったら教えてくれ」
「え~、役に立たないなあ」
「俺だってなんでも知ってるわけじゃない」
「ドレイクには耐性があるんだね。竜の血は薬にならないの?」
「薬の材料に使われるようだがな。材料があっても解毒剤の作り方がわからないのなら、役には立たんだろう」
「そうよね。やっぱり役に立たないな」
「俺の事か? 俺の事だな?」
「うん」
「竜の血はそのままでは飲んでも解毒にはならんが、生命力を高める働きはあるのだぞ」
「そうなの?」
「そうだ」
ドレイクは得意そうに鼻から熱い息を吹き出した。
「そこまで自慢するんだったらくれるんだよね?」
「やらんこともないが持って帰れるか?」
「水筒ならあるけど……」
ドレイクがこんなに近くで見つかるとは思っていなかったので、飲み物や弁当も持ってきていたのだ。
「密封できる容器なら大丈夫だ」
竜は自分の前足の甲に鋭い牙を突き立てようとした。
「ああ、やめて、痛そう! 注射器、借りてこようか?」
「お前らの針では俺の皮膚は通らんだろう。ちょっとひっかくだけだ」
私は水筒を空にして、にじみ出てきた血液をすくい取った。青や緑色をしてるんじゃないかと思っていたのだけど、普通に赤い血だ。けれども、生臭い鉄の臭いはしない。
「すぐに蓋をしろ。外気に当たると固まってしまうからな」
「まだ出てるよ。もったいない」
「飲むか?」
「うえ、ちょっと無理」
そう言っている間にも傷は塞がっていく。
「ありがとう。早速ゼッダに持っていくね」
ドレイクは爪の先で固まった血をはがした。ワイン色の結晶のようだ
「せっかくだからこれも持っていけ。生き血ほどではないが魔力はある。身体が弱ったり怪我をしたときに口に入れるとよいと言われているな」
「きれいだね。ありがとう」
私は真っ赤な結晶を受け取ってポケットに入れた。
「今日はよく礼を言われるな。礼を言われたのは初めてじゃないか?」
「ドレイク、実はいい奴なんじゃない?」
「感謝するならおれの卵を産め」
「それは無理。でも何かお礼するね」
「ならキスしてくれ」
「彼氏がいるっていったでしょ?」
「瞼でかわまん」
自分の体を傷つけて血を流してくれたんだし、それぐらいならいいか。つぶった瞼も馬鹿でかい。真ん中あたりにペタッと唇を押し付けた。
「ふん、次回は口にしてもうぞ」
ドレイクは満足そうに頭を持ち上げた。
「次はないし」
「少しずつだが俺たちの仲も進展しているな」
「してないよ」
「二年半でキスまでこぎつけたのだ。卵も遠くないだろう」
どうしてそうなるんだか。
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私はすぐに病院に向かった。ゼッダの熱はまだ下がらず、昨夜から眠り続けているという。治療師のラゴアルさんは私がドレイクの血を持ってきたと聞いて仰天した。
「竜の血なんて、どうやって手に入れたんだ!?」
「頼んだらくれたんです」
「ドレイクが素直にくれたのか? お前は凄いな」
彼女は水筒の血を魔法のかかった別の容器に移した。
「これで凝固する心配はない。ゼッダにはまず数滴与えてみよう」
「ええ? それだけでいいの?」
「あまり飲ませると返って毒になる。強いものだから少しずつ与えないとな」
「貰いすぎちゃいましたね」
「ゼッダに飲ませなかった血は『魔法院』で引き取っても構わないか? 薬の材料になるんだ」
そう言えばドレイクもそんなことを言ってたな。
「無駄にしたくないから使ってもらえると嬉しいけど」
「そうか。製法は伝わっているのに作れなかった薬がたくさんあるんだ。助かるよ」
そんなに貴重な物だとは思いもしなかった。もっと貰ってこようかな。口にキスって言ったって、どこにキスしても固いウロコなんだからたいして変わりはない。むしろこっちが詐欺を働いてる気分になりそうだ。




