『王立魔法院附属病院』
終業間際に病院から連絡が来た。ゼッダの容態が思わしくないという。事務所を閉めて病院へ向かおうとしているところに、ジャンマーが馬車を引いて近づいて来た。
「仕事から戻ってきたとこなんだ。ゼッダが化け鳥に襲われたって聞いたんだが……」
もちろん噂は村中に広まっている。ゼッダは誰からも好かれる村の人気者なのだ。
「今から『魔法院』の病院に行くの。お客さんがいないんだったらお願いしてもいい?」
「乗んなよ。俺も見舞いに行くよ」
小さな馬車に二人しか乗せていないので、ジャンマーは軽々と駆けていくが、口調は重い。
「『魔法院』の方か。ってことは深刻なんだな」
「うん、王都の病院って聞いてたんだけど、救急隊の判断で『魔法院』の病院に運ばれたって」
王都には大きな病院がある。だが、魔法に関係した怪我や病気は『魔法院』の敷地内にある『魔法院附属病院』の管轄だ。重症患者もそちらへ送られることが多い。
病院は重厚な石造りの建物で、ガラス張りの本棟から離れた森の際に建っている。ほかの建物から離してあるのは、伝染病が発生したときに感染を防ぐためだと聞いた。
中に入ると受付の人が清めの魔法をかけてくれた。病院自体が結界に包まれているのか、感覚がおかしい。長い廊下を宙に浮かぶ青い炎に案内されて進む。
私とレイデンの後ろをジャンマーがぽくぽくと付いてくる。馬を病院に連れてくるな、なんて言う人はいない。人間並みの知能を持った生き物たちには人権が認められているのだ。人じゃないのに人権というのも変だけど、私にはそう翻訳されて聞こえる。エレスメイア語では『持って生まれた権利』という意味らしいのだけど。
廊下の突き当りの大きなドアを開けると、そこには大勢の治療師たちが集まっていた。私の姿を認めて「よう、ハルカ」と声をかけたのは治療師長のラゴアルさんだ。
ベッドの上には狼の姿のゼッダが横たわり、医者が数人、ハーピーに切り裂かれた背中の傷を検分していた。きれいに縫い合わされてはいるが、傷の周りの黒い毛は剃られていて傷口が生々しい。シホちゃんはベッドの横に置かれた椅子に腰かけて、ゼッダの前足を握っている。頬には涙の痕が残っていた。
「熱が下がらないんだ」
ラゴアルさんが容態について説明してくれた。この治療師には風邪をひいたときにお世話になったのだけど、いまだに男なのか女なのかわからない。見た目は長身の美女なのだけど、声はハスキーで話し方も豪快だ。治療師の衣の下の体形ははっきりしないのだが、たいして胸があるようにも見えない。確認するのも失礼な気がするので、とりあえず三人称には『彼女』を使っている。
「ルーディが記録を調べてくれたんだが、ハーピーの爪には毒があるらしい」
「解毒剤は?」
「どのような毒なのかどこにも記録が残っていないんだ。解毒剤の作り方も、そもそも解毒剤があったのかさえわからない。お手上げだよ」
「ねえ、ゼッダさんが死んじゃったらどうしよう」
シホちゃんが涙声で私を見上げた。
「ホームステイ先を変わってしばらくしたら、王都の学校まで会いに来てくれたの。それからは毎朝、家の前まで来てくれたから、一緒に通学してたんだ」
そうだったのか。ゼッダはシホちゃんに好意を持っていたのだ。ホームステイを変えさせたのは自分が止められなくなるのが怖かったのかもしれない。
「ゼッダさん、お仕事があったのに王都まで来てくれてたんだね」
名前に反応したのか、突然にゼッダが目を開いた。
「シホ、すまなかった」
それだけ言うとまた苦しそうに目を閉じる。
「謝らないで。助けてもらって感謝してるの」
シホちゃんの声にゼッダは僅かに目を開いたが、その瞳に宿る光は弱い。
「ここに泊まってもいいですか? 付き添いたいんです」
「そうしてもらえるとありがたいな。ベッドを用意させるよ」
ラゴアルさんは励ますようにシホちゃんの肩をぽんと叩き、そばにいた看護師に指示を出した。
留学生である以上学校を休むことは許されなかったが、幸い今日は金曜日だったのでシホちゃんはこの週末、泊まりこんで付き添うことになった。誰にでもある程度の治癒の魔法が備わっている。手を握るだけでも立派な医療としてみなされるのだ。
私の連絡を受けて、シホちゃんの荷物を持ってきてくれた院長に、ラゴアルさんが怪訝な顔をした。
「どうして院長が? 彼女と知り合いですか?」
「ええ、うちで預かっている留学生です」
「彼女、よい子ですね。患者との絆が強いようで助かります」
「は、はい。ラゴアルさん、シホをお願いしますね」
彼女と言葉を交わす院長の顔がほんのりと赤い。
あれ、もしかして、院長の好きな人って……。けれども、今はそれどころではない事態なので、そのことは後で考えよう。




